短編集112(過去作品)
時間を贅沢に使っているように感じる。普段の時に、時間を使うという意識と少し違っている。普段は、時計を見て感じた時間と時間の間をどのように使ったかという意識になるのだが、描いている時は、集中している時間がどれほどのものかで時間を感じる。時計の時間は二の次だった。
キャンバスに向って考えていることは、描きあがっていくにしたがって次第に変わっていく、成長していく感覚に近いのかも知れない。
人の目を必要以上に気にするタイプだった。
特に後ろから覗かれると、気が散ってしまう。それは集中できないからというわけではない。元々集中などできない性格だからである。いろいろなことを考えているのも、きっと自分の世界に入り込んでいるから、そんな自分の世界を後ろから覗かれているように感じるからで、気持ちのいいものではない。
何でも見透かされているように思うのは、自分の家の中に土足で入り込んでくる人を思わせる。これほど失礼なことはない。普段であれば露骨に嫌な顔をすることだろう。
そういえば、絵を描き始めようと思った時、人が描いている絵を勉強のつもりで後ろから覗いていたことがある。露骨に嫌な顔をされた。
――ちょっと見るだけじゃないの――
と思ったが、その人にとっては、たまったものではなかったのだろう。
それまでは、何をするにも急いでいた。
電車に乗っても降りるのは一番でないと気がすまない。改札口や階段に一番近いところにいて、扉が開いたと同時に最初に行き着く。ゆっくり歩いている人にペースを合わせるのが億劫だった。
――そんなに焦ることはないのに――
気を遣っているところを見るのも嫌だった。
急いでいる人が後ろから来ているのに、そんなことはお構いなしで、目の前の人にだけ譲ればいいと思っている人、特に中年の女性に多いのは、いわゆる「おばちゃん根性」のようなものではないだろうか。
――合理的な考えが、結局は人に気を遣っていることになる――
と考えている。必要以上に特定の人だけに気を遣っては、却ってまわりの流れを崩してしまうことになる。
まわりが見えていないのなら仕方がないとも思うが、どうもそうではないようだ。まわりを犠牲にしてでも目の前の人に気を遣っているのは、結局は何か見返りのようなものを心のどこかで期待しているように見えてしまう。見えてしまうと本当に汚いものを見てしまったようなやり切れない気持ちになってくる。世の中で見たくないものの最たる例かも知れない。
描いている絵を見ながら、自分の世界に入り込む。そこには他の人の気持ちも介在も何もない。逆に描きながら考えていることで、他の人が介在してきたならば、正直に目の前に写っているものを表現するなどできないだろう。
――果たして、自分の描きたいものとは、目の前のものを素直に表現することなのだろうか――
個性的なものには造詣が深い。
偽りの中にこそ真実が隠されているのかも知れない。正直にこだわるあまり、素直以外の感情を捨て去ることができるだろうか。できるならば問題はないのだろうが、どこかで他人が介在していると必ずしも他の感情も生まれてくる。
それでも正直に表現したいという思いが強いことで、なるべく自然を形にして表現したいと思うのだろう、風景画など特にその気持ちの表れではないだろうか。ただ、描いていて自然の力強さに圧倒されてしまうこともある。自然が一番素直で、一番力強い何かで彩られているものに違いないからだ。
後ろから声を掛けてきた男性、彼が誰であるか分からない。普段であれば露骨に嫌な顔をするに違いないのだが、その時は嫌な気分はしなかった。
話かけられた時にも何かを考えていたはずである。
人に話しかけられて嫌な思いをするのは、それまで考えていたことが考えられなくなり、頭の中が真っ白な空白になってしまうことが嫌だったのだ。だが、その時は真っ白になったのではない。後から思い出すことはできないが、明らかに記憶のどこかに残されているようだ。
却って気持ち悪いが、思い出そうと努力する気もないので、
――そのうちに思い出すことになる――
と自分の中で信じることで、冷静になれたのだ。
話しかけられた時に感じたのは、さらに過去の思い出だったように思う。それも、
――何か思い出そうとしているような懐かしい記憶――
まるで堂々巡りをしているような感覚だった。
名前は桜井千草という。千草は、今までに何度か、
――自分の中にもう一人いるような気がする――
と感じたことがあった。
絵を描くようになったのも、もう一人の自分を意識するがゆえで、絵を描いているうちにもう一人の自分を発見できるのではないかと思ったからだ。
さすがになかなかそこまで行き着くことはないが、確かに描きあがった絵を見て、どこか自分の感性ではないものを感じることがある。やはり自分の中にもう一人誰かが存在しているに違いない。
先ほど後ろでじっと見つめていた男性の視線を思い出す。
その人が見ていたのは、明らかに千草ではない。千草の中にいるもう一人の自分を見つめていたのだ。
「あなたは知っているの? 私の中にいるもう一人の自分を」
喉から出掛かっていた声だったが、何とか抑えることに成功したが、相手にはどのように写ったであろうか。少し気になっていた。
絵を描くことの真髄は、千草の中ではもう一人の自分を見つけることであった。
琢磨は少年時代のことを思い出していた。
少年時代から高校の頃までは暗いタイプの少年だった。時に小学生の頃は苛められっこだっただけあって、毎日学校に来るのが嫌だった。
人に言えない、今から思い出しても恥ずかしさで顔が真っ赤になるのだが、なぜか男の子と遊ぶよりも女の子と遊ぶ方が好きだった。それは、ませていたわけではなく、性格が大人しすぎて、男の子の遊びについていけないところがあったからだ。
低学年の頃などはおままごとをしたり、人形で遊んだりしていると気持ちが落ち着いていた。
親や先生が心配していたのは分かっているが、自分ではどうにもならない。
「もう少し大きくなったら大丈夫なんじゃないですか」
という先生の話だったが、本当に大丈夫なのか、琢磨本人が不安だった。
男の子が近づいてくれば自然と避けるようになり、女の子と一緒にいれば落ち着いてくる。この気持ちは、実は今でも変わらないところがある。
今の琢磨は、自分の中に少女がいるような感覚だった。それを感じるのは、小学生時代の自分を思い出した時で、その時に自分の中で感じていた女の子が、成長することなく潜んでいるように思えてならない。だから、今でも小学生の頃を思い出すのだ。それが思い出したくないと思う時に限って思い出してしまうのも、自分の中に逆らうもう一つの人格が備わっているからに違いない。
それにしても小学校の先生も無責任なものだ。カウンセラーが必要だったかも知れないのに、簡単に親を説得してしまったのだから、その時以来、学校の先生という人種があまり信じられなくなっていた。
小学校の高学年になると、それまでまったく興味のなかった勉強に打ち込むようになった。
「宿題、忘れちゃだめよ」
作品名:短編集112(過去作品) 作家名:森本晃次