短編集112(過去作品)
油絵のようで、デッサンの上から着色している作業の途中だったが、まずデッサンの立体感にびっくりさせられた。イラストとしてだけでも十分にうまさを感じさせられる作品である。
「恥ずかしいですわ」
と言いながら、視線はしっかりと目の前の被写体を眺めている。どんな作品が仕上がるのか気になるところだった。
「絵を描く女性って、それだけで絵になる気がしますね」
「そうですか? 私にはピンと来ないのですが、とにかく描くことが好きなので、頑張ってますよ」
「絵はウソをつかないと思っているんですが、やっぱり、目に写っているものをいかにそのまま表現できるか何でしょうか?」
「人によって書くものの目的が違っているかも知れませんが、見る人によって見え方も違うと思うんですよ。だから、同じように描いていても、同じものができるはずなどないんですよね。それが個性ではないんでしょうか?」
いちいち感心していた。
「それは同じ人が描いた場合でも同じことが言えるかも知れませんね。一度描いた絵をもう一度描いてみて見比べてみると、同じものが描けているはずはないと思うんですよ。それが当たり前で、まったく同じものなら気持ち悪いでしょうね」
彼女が一瞬ビクッとなった。
「でも、描いている本人は、同じものを描く時、最初とはまったく違った感覚になっているはずだと思います。それでも結局は似たような絵になるでしょうね。確かに同じものは絶対にできるはずはありませんが」
「そうなんですか? じゃあ、僕が感じているのとは少し開きがありますね」
「ご自分でやってみると分かると思いますよ。それはスポーツをする人にも言えるかも知れません。たぶん、練習を重ねたり、反復練習をしていると、まったく違った感覚であっても、同じような動きにはなる。絵にしても同じようなものが出来上がるのは当然で、ただ、まったく限りなく同じものに近いものを作るに留まっているのでしょうね」
芸術を感じたいと思っているくせに、自分から芸術に足を踏み入れることのなかった琢磨は、芸術をしている人を、少し羨ましく見ている。尊敬の眼差しになっているつもりだが、実際はどうなのだろう。
じっくりと見ていると、最初に感じていたより、次第にキャンバスが小さく感じられるようになっていた。立体感はそのままに感じるのだが、それ以上に、まわりの景色が広くなっていくような気がした。
緑に囲まれた駐車場なのだが、日が差しているのに、あまり明るさを感じない。暑いはずなのに、ヒンヤリとした感覚さえあった。
ただ湿気は十分に溢れていた。緑の中の独特の感覚であった。他の人がどう感じるか分からないが、緑に覆われていると、湿気を強く感じるのが琢磨だった。
琢磨はしばらく感じていなかった懐かしさを感じていた。
――妹が生きていれば絵を描いたりしていたかも知れないな――
絵を描いている姿が妹とダブってしまい、それで気になってしまったのかも知れない。確かにまわりに誰もいないお寺で、一人キャンバスに向っていれば目立つ存在ではあるが、なかなか声を掛けられる雰囲気ではない。声を掛けることができたということは、それだけ親近感を湧くものがあったということである。
話が途切れても少し後ろから見ていたが、あまり見ていては気が散ってしまうと思い、
「それでは頑張ってくださいね」
と声を掛けて、その場を離れた。
彼女は軽く頭を下げただけで振り向くことはなかったので、やはりかなり集中していたに違いない。
絵を描きながら眺めている世界、目の前に広がっている世界をいかに正確に描くことができるかが、絵描きの価値に繋がってくるのだろう。
何もないキャンバスに向って少しずつ作り上げられる絵は、最初こそ何か分からないが、次第に形を整えていく。
バランスを取ることから始まり、まわりを固めながら、細部へと目を向ける。別に絵画教室に通ったわけでも、芸術を専攻しているわけでもない。本屋で買ってきた本を見て、
――自分にもできるかも知れない――
と思い、軽い気持ちで描き始めたのだった。
軽い気持ちではなかなか描けるようにならないだろう。やってみて確かに簡単なものではなかった。途中からは意地のようなものもあったかも知れない。絵を描きたいと思った最初の気持ちを忘れてしまっていた時期である。
気持ちを落ち着かせたいと思って描いている絵である。意地になってまで描くのであれば最初の意図とは違ってきそうではないだろうか。だが、描けるようになると最初に感じていたものをしっかりと思い出して、落ち着いた気分になれるものだった。
意地になっていた時期は、自分の中では別世界のイメージである。まるで他人事とでもいうのであろうか、あまり時間を掛けずにスムーズに描けるようになったように思えてならない。
だが、絵を描いているうちに、目の前のものを正確に表現することに疑問を感じてきた。確かに描けるようになるまでは、正確に描くことにまい進し、目の前のキャンバスがその先に見えるものを映し出していることに快感すら覚えていた。
――何もないところから、新しいものを作り上げることが好きだ――
と感じていたからだ。
それが芸術という言葉で彩られる。何とも高貴な気分ではないか。落ち着いた気分になるのは、芸術という言葉に反応しているからで、そこにはまわりとの確執は問題ではない。自分との戦いであった。
――いかに自分の気持ちを表現するか――
それが芸術だと思っていた。きっとこれからもずっとそう感じて生きていくに違いない。
絵を描き始めるようになったのは、一年くらい前からだっただろうか。
ずっと何かを始めたいと思っていながら、最後のところで決めかねていたのに、
――絵画だ――
と感じてからは、抵抗もなく始められた。
それまでは何かを始めたいと思っても行動に起こすまでにもう一つ思い切りがいった。自分の中で始めることへの大義名分を必要としていたように思える。だが、絵画だけは大義名分もなく、素直に入っていけた。絵画に使う時間が一番自分らしいと感じ、キャンパスに向っている自分の後ろ姿を思い浮かべて、何ら違和感がなかったからだ。
大宰府の遊歩道には、高校の頃から造詣が深かった。
一人で歩くことも多く、彼氏ができれば一緒に歩きたい一番の場所だった。
季節としては初夏が好きだった。梅雨の湿気は残っているが、日差しが徐々に厳しくなっていき、身体が適度な重たさを持っていると、歩いていても、止まっていても、軽い耳鳴りのようなものが聞こえてくる。
風が吹いても心地よさは感じるが、耳鳴りが消えるわけではない。耳鳴りは嫌なものではなく、むしろ懐かしい感覚を思い起こさせるものであった。
何が懐かしいのか、ハッキリとは分からない。だが、小さい頃の記憶が少しずつよみがえってくる。まるで昨日のことのようにである。
小さい頃の記憶は、普段であればかなり遠い記憶であった。思い出したくない記憶でもないのに、なぜか遠いのである。
絵を描いていると集中しているつもりなのだが、いろいろなことを考えている自分に気付く。実はそれが嬉しかったりするのだ。
作品名:短編集112(過去作品) 作家名:森本晃次