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短編集112(過去作品)

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 もう一つ大きな違いは、偶然かも知れないが、琢磨が行く時には不思議と風が強い、じっとしていても、歩いていても吹いてくる風で、最初に掻いた汗もすぐに渇いてくる。極端に言えば秋を感じさせるような風であった。
 熊本で感じるのは、天守閣を前にした時の砂埃であった。
 風を感じるわけでもないのに、砂埃だけが舞っている。不思議な現象を目の当たりにしているくせに、大した驚きもない。
――こんなものなのだ――
 と思っているからなのかも知れない。
 琢磨は大学生になっていた。
 もう母親と一緒に妹の墓参りに来ることはないが、一人旅が好きな琢磨は、必ず九州に旅行し、そこで姉の墓参りをするようにしていた。
 博多に行ったり、長崎に行ったりと、北部九州は結構網羅していた。
 あれは大宰府に行った時のことだろうか。福岡市内から大宰府までそれほど遠いわけではない。西鉄電車で三十分も乗っていれば来ることができる。ただ途中で乗換えが一度発生し、乗り換えてからは二駅ほど単線に揺られることになる。
 かといって、田舎道を走るわけではない。住宅街を抜けていく路線は、湾曲しているのでのんびりとしたものだ。駅に到着して参道に入ると、いきなり赤い大きな鳥居が見えてきて、それを潜ると参門までは左右におみやげ物やと、名物梅が枝餅の店が乱立している。
 初詣客の多さは全国でも有数である。少なくとも九州で一番の参拝者を誇っているが、平日はそれほどでもなかった。それはどこでもそうなのかも知れないが、修学旅行や社員旅行の時期になれば多いのは分かっている。
 それでも学問の神様、ところどころに受験生を思わせる人が歩いているのが気になる。きっと最初から学問の神様という意識が強いことから、学生に目が行くのかも知れない。
 夏休みなのに学生服も目立っている。ほとんどが数人で来ていて、おみやげ物やでワイワイ言いながら眺めている。修学旅行を見ているようだ。だが、普段は一人で孤独に勉強しているのだと思うと大目に見たくなってくる。何しろ琢磨も数年前は自分が同じ立場だったからだ。何かと名目をつけて気分転換をしたいと思うのも当然である。
 参門を抜けてすぐにトイレに行きたくなった。ちょうど総合案内所の裏にトイレがあり、そこに入ってふっと落ち着いた気分になった。電車に乗っている時はそれほど感じなかったし、駅から参門を抜けるまでに途中の店に立ち寄ったりしたわけでもないのに、トイレに入って落ち着いてみると、電車を降りてからここまでがやけに時間が掛かったような気がした。
 かなり我慢していたような気分である。最後の身体の震えが普段よりも大きく感じ、溜息が自然に漏れたほどだ。トイレは一度我慢してしまうと次までがまた短い。少し気にしていた方がいいだろう。
 洗面所の前にある鏡を覗きこんだ。
 そこに写っている自分の顔を見ると、いつも見ているわけではないが、自分で思っている自分の顔と少し違う感覚であった。確かに後ろに入り口があって、光が当たっているので逆光のようになって少し見えにくいのは感じるが、ここまで違うのは不思議な感覚である。
 見た瞬間、自分の顔から目が離せなくなった。本当はこんな顔を見たくないと普段なら思うはずの顔に見とれていたからだ。
 何となくひ弱っぽい表情を感じる。そこには男性としてよりも女性の雰囲気が感じられて。目が離さないのだ。確かに小学生の低学年の頃に、散髪に行って髪型をおかっぱのようにされてしまって、
「まるで女の子みたいだ」
 と友達に言われ、何とも恥ずかしい思いをしたのが今でも頭に残っている。
 親のいうことに逆らうことを知らなかった琢磨は、恥ずかしいけどどうにもならない自分に腹は立つが、指示した母親に腹を立てることはなかった。
「髪型はおかっぱのようにしてください」
 と言わなければ、散髪屋もそのとおりにするわけがないので、少なくとも母親の指示であることは子供心に分かっていたが、母親を憎むことはしなかった。むしろ憎むということに意識がなかったのだ。
 いいなりになっている自分だったが、いいなりになっていることを分かっていながら憎しみが湧いて来ない。悔しいという気持ちは自分にしか湧いて来ないのは、それだけ表に対しての自己表現に欠けているからだ。
 鏡を見ていて感じる女性像、そこには、何かしら自分が求めている女性がいるように感じるのは飛躍しすぎだろうか。
 好みの女性と言ってもいい。本当の自分を写し出しているはずなのに、そこには好みの女性が写っていて、目を逸らすことができないことに、少なからずの戸惑いがあった。
 しばし見とれていたが、我に返ってしまうと、もう鏡の中に写っている姿は普段の自分であった。
――なぜ、好みの女性に見えたのだろう――
 再度離れてもう一度同じ鏡を覗きこむが先ほど感じた女性のイメージは二度と浮かび上がってくることはなかった。
 気を取り直してそのままお参りに行く。鏡を見ていたことが頭から離れなかったが、時間が経つにつれて、鏡を見ていた時間がどんどん短く感じられるようになってくる。
――このままなら、幻だったとして片付けてしまいそうだな――
 それならそれでもよかった。せっかく旅行に来て、しかも太宰府天満宮という学問の神様をお参りしているのだ。余計なことを考えるころもないだろう。
 大宰府天満宮をお参りしてから、参道に戻っておみやげ物屋に顔を出した。先ほどまで目立っていた高校生の数はもうほとんど見ることがなく、客の平均年齢は結構上がっていた。
――団体バスでも着いたのかな――
 町内会の団体旅行ではあるまいかと思えるほど、中年以上の男女が数人のグループをいくつか作っている。明らかに学生とは雰囲気が違うが、むしろ神社の参道に見られる光景というのはこちらの方が一般的かも知れない。少しゆっくりと歩いて駅まで来ると、駅前の看板に目が行った。それは大宰府の観光マップで、駅前から参道と反対側に続く道を見ると、遊歩道が続いていることに気付く。そこは歴史的にも有名なところのようで、一見の価値ありと感じていた。
 歩いてみると、住宅街を歩く遊歩道であるが、どこか歴史を感じさせられる。途中には国宝になっているものや、歴史的にも天満宮よりもさらに古くからあるものもあって、ビックリさせられる。
 考えてみれば、太宰府天満宮が造られたのは、このあたりが歴史の表舞台に登場してから三世紀以上も経ってからのことである。歴史的には大化の改新の時代まで遡るので、なかなかピンと来るものではない。
――平安時代のイメージは何となく湧いてくるのに、飛鳥時代のイメージが湧いてくることはない。なぜだろう――
 と思っていたが、テレビドラマで再現される本数の違いがそうさせるのではないだろうか。飛鳥時代をテーマにしたテレビドラマなど、あまり聞いたことがない。
 途中に国宝を誇る飛鳥時代に建立された寺があったが、そこに立ち寄った時に、一人の女の子が、仮設で作られた舗装もされていない駐車場の向こうにキャンパスを立てて、絵を描いている。最初はそのまま通り過ぎようかを考えていたが、思わず覗き込んでしまった。
「うまいものだ」
作品名:短編集112(過去作品) 作家名:森本晃次