短編集112(過去作品)
妹の墓参り
妹の墓参り
石川琢磨は、子供の頃に妹を亡くしていた。生まれてすぐだったので、あまり記憶にはないのだが、命日になると、いつも母親と墓参りに行っていた。
石川家の墓は、元々石川家の出身地である熊本にあった。大阪に住んでいた石川は、妹の命日がちょうど夏休みにあたることもあって、旅行を兼ねての墓参りとなった。
父親は仕事で忙しく来れなかった。何しろ、盆前の忙しい時期、日曜日も仕事に出かける忙しさ、はかま恵理はいつも母親と二人だった。
新幹線で博多まで行き、そこから特急列車で熊本に向う。墓は熊本市内にあり、今も残っている市電に乗って行けるところであった。
熊本の夏は暑いことで有名である。何でも平均気温が全国で一番高いところだという話を聞いたことがあるが本当だろうか。熊本には「日本一」と呼ばれるものがたくさんあるらしいが、平均気温の高さもその中のひとつであった。
石川家の墓にはご先祖様がたくさん祭られているが、琢磨にとっては妹くらいしかピンと来ない。ご先祖様に手を合わせているつもりでも、意識は妹だけに手を合わせていた。
――生きていたら、自分よりも二つ年下なんだな――
と考えながら手を合わせている。一年に一度の墓参り、毎年姉も年を取っていくのだった。
線香の匂いが最初は鼻を突くが、それ以上に暑さに参ってしまって、匂いも次第に感じなくなってくる。部屋であれば匂いが篭ってしまって、白く立ち上る煙を見ることもできるのだろうが、炎天下ではそれもままならない。いつも風もなく、容赦なく降り注ぐ日の光に、バテる寸前のこともあった。
だが、墓参りも済んでしまうと、後は旅行気分である。
墓参りを済ませるまでは、どこか神妙な気持ちであったものも、一度手を合わせると肩の荷が下りるというものか、母親も、表情が和らいでくる。
熊本市内に宿を取っているので、何度となく行っている熊本城や、水前寺公園に足を運ぶ、まったく変わることなく聳え立っている天守閣は、いつも颯爽として感じているが、学年が進むにつれて、少しずつ小さく感じてくるのは、成長の証ではないだろうか。
天守閣を見上げてから足元に目を落とすと、確かに自分の身長が高くなったことに気付く。天守閣を見上げ、すぐに足元を見る行動は毎年やっているので、その感覚を身体が覚えているのだ。
それよりも、天守閣を見て足元を見る行動が、まるで昨日のことのように思い出されるのだ。すると、まわりの風景も一年前とは思えないほどに違和感がない。毎日来ているような錯覚に陥っている。
小学生の子供たちが数人で駆け上がるように天守閣に向って走っている。野球帽に半ズボン、まさしく地元のワンパク少年を思わせた。
琢磨も自分が小学生低学年はそんな感じだったかも知れない。
小学校四年生くらいになるとあまり行かなくなったが、大阪城が近かったことで、三年生の頃まではよく天守閣の見えるところまで行っていた。さすがに熊本城は大阪城から比べれば見栄えとしては劣るかも知れない。大阪城に対しての意識が低学年だったことで、さらに大きく見えたのではないだろうか。しかも、最近は見ていないので、次第に誇大妄想のように膨れ上がっていると考えるのも無理のないことだろう。
中学に入り、歴史の勉強をするようになって、歴史が好きになったのは、城を見ていて落ち着いた気分になれるからだった。
図書館に行って、それぞれの城について調べてみたが、大阪城も熊本城も、全国でも有数の難攻不落な城である。見ていれば分かるというもので。どちらも建造当時の天守閣ではなく、消失したものを復元したものであるが、嫌でも歴史の重みを感じさせられる。
大阪城は言わずと知れた天下人、太閤と謳われた豊臣秀吉が築城したものである。
熊本城の築城者である加藤清正は、まさにその秀吉に可愛がられた武将であった。秀吉が亡くなり、騒乱の時代をうまく生き抜いた武将でもある加藤清正には、朝鮮出兵の際に逸話として残っている「トラ退治」の話もある。熊本銘菓と呼ばれるもののそのほとんどが、清正公や熊本城にゆかりのある名前であることは、それだけ熊本のシンボルであるということを現しているのだ。
熊本城を見上げて足元を見ると、ほとんど影が足元から伸びていない。それを見ると、一気に汗が吹き出してくるのを感じるが、それだけ太陽が自分の真上にあり、暑い時間帯であることを示している。
大阪を朝早く出て、そのまま墓参りをして熊本城に来るのだから、当然昼過ぎの一番暑い時間帯になるのも当然だった。墓参りの後、市電で商店街まで戻ってきて、クーラーの効いたお店で昼食を取る。初めて落ち着いた時間を感じるのは、この時だったことだろう。
それでもさすがに食欲はあまりなく、冷麺のような軽いもので済ませていた。全部食べれる方が珍しいくらいの食欲でもあった。
それだけ熊本の暑さは大阪の暑さとは一味違っていた。
旅行に出かけると、その土地を知らないだけに、同じ暑さでも過大に感じてしまうのも仕方のないことかも知れないが、食事を終えて近くの熊本城まで歩いていく時に見えるもやっとした空気は、蜃気楼を思わせるようで、まんざら暑さも過大評価でもないに違いない。
中学に入る頃には、その暑さにも慣れてきたが、小学生の頃は暑さのためにバテ気味だったかも知れない。
それでも走り回りたい気持ちがあったのは小学生の頃で、掻いた汗を気にすることもなかった。
中学生になって小学生の低学年の頃のことを思い出すと、かなり昔のように思える。去年のことがまるで昨日のように思えるのに、さらに一年経って、二年となると、それは完全に過去のことである。二年がそれ以上に感じられることもあるくらいだ。
旅行に出ると、そんな不思議な感覚は何度もあった。熊本こそ毎年来ているところだが、熊本以外でも旅行に出かけることはある。旅行と言っても、近畿を中心としてあまり遠くに行くことはないが、夏の間にもう一度旅行に出かける時は、涼しいところに行くことが多かった。
北陸や信州のようなところは涼しくていい。特に金沢は母親がお気に入りで、
「お母さんは熊本よりも金沢の方が落ち着くの」
と話していたが、やはり熊本よりもかなり近いという思いが働いているのだろう。
琢磨は完全に熊本派だった。金沢も嫌いではないが、逆に近すぎるのだ。熊本も金沢も、自分の住んでいるところから比べればかなり趣が違っている。それだけに遠くであればあるほど、その思いは強くなる。そういう意味で熊本の方が気になるのだった。
金沢にも二、三度行った。母親が好きになった土地なので、毎年行っていた。二年目まではやはり昨日のような気がしていたが、三年目には最初に来た時のころがかなり昔に感じられたのは、きっと最初に来た時の感覚が薄れかかっていたからに違いない。
だが、熊本のような暑さはなかった。暑いことには変わりないが、熊本や大阪の暑さとは次元が違う。湿気がそれほどないのか、汗を掻いても身体にべったりと纏わりついてくる感覚がない。スッキリとした感じすらある。
作品名:短編集112(過去作品) 作家名:森本晃次