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短編集112(過去作品)

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 本を読んでいる時というのは、夢を見ている時に似ている。だが、完全に似ているわけではなく、ある意味、夢よりも融通が利かない時もある。夢を見ている時に、最初から、
――これは夢なんだ―― 
 と分かるからである。
 妄想の場合は、完全に起きている時に感じるもので、まわりの意識を消さない限り、夢のように集中はできないことが分かっているからである。
 その役目をするのが音楽だった。音楽のリズムを聞いていると、音楽に集中することができる。音楽に集中すると、今度は、集中することの免疫ができてしまって、本に集中できる。
――免疫――
 この言葉をなぜ感じるのか、その時はまだ分からなかった。
 歴史の本を読み始めた元々の理由は、絵を描くのが好きだったことで、美術館に出かけると、最初の頃は西洋の美術ばかりを見ていたのだが、たまには常設展示場を見てみようと思い、そちらに入った時だった。
 日本古来の芸術を、年代ごとに紹介している展示だった。地元の歴史に精通している民俗学の教授が、推進しているらしいのだが、絵巻や浮世絵を見ているうちに、その時代に思いを馳せている自分がいるのを感じた。
 確かに西洋の絵は素晴らしい。だが、日本の絵画は、同じ日本人であるにもかかわらず理解しがたいところが西洋の絵よりも多い。
 距離感や配置はリアルさに欠けるところを感じさせるが。それでいて、内容はすさまじいものがある。首が吹っ飛んでいるシーンもあるが、生々しくはあるのだが、これ以上のリアルな絵画は、芸術的にNGではないかと思わせるギリギリに描かれている。そこに魅力を感じていた。
 ギリギリということは、これ以上の恐怖はないことを意味している。だからこそ、視線を逸らすことができなかったに違いない。
 絵巻は目に焼きついたのだが、それからあまり戦いの絵巻を凝視することはなかった。一度焼きついたイメージを崩したくなかったからだ。
 最初にすさまじいインパクトを与えられれば次からというもの、それ以上のインパクトを得ることは不可能で、せっかく抱いたイメージを壊しかねないと感じたからだ。
 絵画を目の当たりにしたイメージを保ちながら、歴史に関する本を読む。
 人物に焦点を当てた本、さらに範囲を広げて時代に焦点を当てた本。どちらからも読んでいたが、最近では時代モノから次第に人物へと範囲を狭めることが多くなっていた。
 歴史を範囲で見ると、善と悪がハッキリと見えてくる。もちろん、発掘されたり研究による成果から導き出されたであろう歴史上の事実から見た善と悪なので、通説と言ってもいいだろう。
 粟津は通説だけを信じるわけではないが、まずは自分の歴史認識を確認する意味で時代背景に沿った本を読む。
「なるほど」
 と頷きながら、いつも本を読んでいる。
 自分がどちらの人物になりきるのかは、その時代背景が意識の中と本に書かれていることの違いで決まってくる。
 ほとんどは史実に近い形で認識しているのだが、音楽を聴いていると、時代に入り込んでしまう錯覚を覚える。
 錯覚を覚えると、時代の主人公に逆らいたくなる気分になってくるから不思議だった。まずは主人公になった意識で読んでいるのだが、そのうちに主人公である自分を見つめているもう一人の自分の存在を感じる。
 そしていつの間にか、主人公の自分から意識は離れて、もう一人の自分に意識が移ってしまっているのだった。
 歴史の中では、勝つ者、負ける者、ハッキリと決まっている。
 だが、勝つ者がいつも正しいとは限らない。
「何が正しいかは、何百年後かの歴史が答えを出してくれる」
 という言葉を本の中で見たことがあったが、その言葉がとても印象的だった。
 かつて映画で見た戦争モノを思い出した。
 戦争は何が正しく、何が間違っているかなど、一番分かりにくいものだ。ハッキリと分かっているのは、
「勝てば官軍」
 ということだ。
 明治維新の薩長軍しかり、世界大戦の連合軍しかりである。
 大きな歴史の節目には、必ずその命題が存在する。どの時代であっても、数百年後に同じ過ちを繰り返す人もいれば、逆に、歴史の教訓として、二度と同じ過ちを繰り返すことがないように意識をしている主人公もいる。
 徳川家康もそうだった。
 平清盛が、情けから助けた源氏の頭領、頼朝に最後は平家一門が滅ぼされるという事実が歴史に大きく残っている。家康は戦国の世を渡り歩いてきた人物で、最終目標は、
「天下泰平の世の中」
 だったはずだ。永久に戦乱の世にならないように徳川家が反映するようにと考えての礎を残している。
 最後まで天下が回ってくるまで待っていただけのことはある。戦乱の世の中だけに、いろいろな想定外のことが起こる。それをすべて把握した上で、自分の時代を切り開こうとしたのだ。
 当然それだけの人物なので、昔の歴史も勉強している。清盛の伝を踏まないように考えたとしても無理のないことである。
 また、戦乱の最後の仮想敵を叩き潰しておくことも忘れていなかった。もちろんと豊臣家のことである。
 いろいろな因縁を吹っかけて、相手を怒らせ、そして戦争に持ち込む。その裏には戦争までの下準備をする時間稼ぎもあっただろう。
「時代は完全に徳川のもの」
 誰もがそう信じているが、まだまだ豊臣家がある間は安心できない。何といっても、家康自体も、豊臣家の家来だったからだ。
 そういう意味での徳川家への反感を持った武士も少なくないはず。そのためには豊臣を滅ぼす。しかも圧倒的な兵力を用いて、
「徳川に逆らえばどうなるか」
 という見せしめも多分にあったに違いない。
 相手を大阪城から表に出すこともなく、狭い範囲に追い詰めていく。途中で和議を結んで、今度はさらに攻めやすくするために、濠をすべて埋めてしまうなどの策を用いている。
 相手を欺いてのことではあるが、これも徳川の権威によって成し得たこと、一気に相手を滅ぼして、徳川家の権威をこれ以上ないほどに見せ付けたに違いない。すべてが家康の計算どおりだっただろう。
 その証拠に二百六十年という太平の世の中ができあがったのは事実である。
 もちろん、その二百六十年の間にいろいろあったに違いないが、曲がりなりにもできあがったのは、家康が歴史認識に長けていたからだというのと、戦国の世を終わらせたいという気持ちの強さ。そして何よりも、
「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」
 という句に代表される彼の性格である。
 実際に気が長かったわけではないだろう。じっと期が熟すのを待ちながら、歴史の証人としてじっと推移を見守っていた。他の戦国武将の過ちを決して犯すことのないように瞼に焼き付けていただろう。
 だが、戦国の世で、最後まで生き残った天下人でもある。戦国時代の冷徹さも沁み込んでいることだろう。下手をすると、感覚が麻痺していたのかも知れない。
「人間を法度で縛る」
 江戸幕府の基本であり、天下泰平の前提だったものも、人間性には程遠いものである。これも徳川家の感覚が麻痺していたからだと考えるのは、少し無謀であろうか。
 夢の中で粟津は家康のイメージが定まっていない。いろいろな歴史上の人物の夢を見たり妄想したりするが、一番家康が分かりにくい。
作品名:短編集112(過去作品) 作家名:森本晃次