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短編集112(過去作品)

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 家康に関する本もたくさん読んだ。皆結論としては同じような性格を描いているが、そのどれもと違うイメージを持っている粟津にとって、本のエピソードは自分がイメージするエッセンスに過ぎない。なかなか家康という人物、一筋縄でイメージするには難しい人物であった。
 家康に限らず、イメージするのは、自分が家康になったイメージと、それを傍から見ているイメージが同居していることだ。
 まるで白湯に置いた鏡を見て、そこに写っている無数の自分を見ているイメージであったり、片方の手が熱く、片方が冷たい時に、熱い方を冷たい方に重ねてみるのか、それとも冷たい方を熱い方に重ねてみるのか、どちらにしても、感じ方は中途半端で、熱さも冷たさも感じているつもりで、意識が飛んでいるのと似ている。
 この感覚は夢に近いものがある。
 夢を見ているという意識があるかないかで、感じ方も違う。だが、夢とは潜在意識が見せるもの、どこまで行っても、突飛な考えであるはずはないのだ。
「まるでお釈迦様の手の平の上を飛んでいく孫悟空のようだ」
 この表現がピッタリではないだろうか。所詮世界の果てまで飛んでいくなど、ありえないことである。
 歴史を考えると、勝つ者と負ける者の二つに別れる。だが、それだけではないイメージを自分で作り上げる。それが一人の人間を多面的に見ることであった。
 そのためには音楽が必要である。音楽を聴いていると、リズムによって歴史が歪んで見えてくる。主人公としての自分か、それとも主人公を見ている自分か、どちらを強くイメージできるかで、歴史への思い入れが大いに変わってくるからだ。同じ時代の同じ主人公の本であっても、それぞれ認識が違うものを読むのも楽しいものだ。
 想像でなら、いくらでも歴史を変えることができる。
 だが、粟津の潜在意識の強さも半端ではなかった。
「歴史は安易に変えてはいけない」
 これはパラドックスに対する命題である。歴史を変えることで、後世が変わってしまい、生まれてくるはずのものが生まれてこなくなり、想像している自分も消滅してしまう。
「ただの想像なのに」
 と考えながら、何かに怯えているのだ。
 怯えている時に思い出すのが、なぜかスズメバチだった。
 恐怖の裏側に、いつもスズメバチを想像している。
 そういえば、中学の頃にキャンプに出かけた時に、スズメバチの巣を見つけたことがあった。
 刺されたわけではないが、そのイメージが強く残っていて、歴史上の人物を想像していて怯えを感じた時に、
「ブ〜ン」
 という音が聞こえてくるのをハッキリと感じていた。
 想像から覚めればいいのだが、そんな時に限って覚めることはない。スズメバチのイメージが歴史への想像を切り離すことができなくなっている。
 それほど高い音で聴いていたわけではないヘッドホンから流れてくる音楽が、これ以上ないというほど耳に響いている。まるで拡声器のようだ。
 ある日、いつものように歴史の想像をしている時、想像の中でスズメバチに刺されてしまった。
 想像なので痛いわけではない。だが、肌が引っ張られるような、抓られているようなそんな感覚だけは妄想から覚めても残っていた。
 感覚が覚めるまで、恐怖は続いた。
「本当に刺されていないのだろうか」
 半信半疑で痛い部分を見ると、米粒ほどの痣が二の腕近くに残っている。恐怖が一層煽られた。
 だが、時間が経つに連れて、
「そんなバカなことはありえない」
 とあまり気にしなくなっていた。
 最初は、
「もう想像してはいけないんだ。今度スズメバチに刺されたら……」
 というイメージを持っていたのに、気にしなくなってしまえば、またしても想像という楽しみを欲する自分がいるのに気付いてしまう。
「想像の中のスズメバチは、今度はどちらの自分を刺すのだろう?」
 いわずと知れた、主人公である自分と、それを見ているもう一人の自分、最初に刺されたのがどちらだったかすら分からない。
 もし、同じだったら、時代が狂ってしまうように思えるのは、想像してしまうことで、歴史への責任を持ってしまうという錯覚である。
 そんなことを考えていると、スズメバチが出てきた。
「ブ〜ン」
 という音とともに、針がこちらに向ってくる。
「痛い」
 今度は痛さを感じていた。見る見るうちに二の腕が真っ赤に変わっていく。
 音楽がまたしても耳を劈く。それに負けまいとして聞こえてくる
「ブ〜ン」
 という音。
 音楽がスズメバチを引き寄せているのだ。
 スズメバチに二度刺されれば、死んでしまうという通説がある。だから、一度刺されてから必要以上に怖がっていた。
「たかが、想像の中なのに」
 一体何を怖がっていたというのだろう。
 そのことを考えていると、想像のクライマックスを迎えたはずの自分の視線が、いつもと違うのに気がついた。
 主人公ではない自分がいる。
 主人公を傍から見ている自分でもない。何しろ、どちらの自分も見ているのだから。
 夢を見ている時に一番怖いイメージというのは、もう一人の自分がいるイメージであった。だが、想像の中でも二人の自分をイメージしている。何を夢の中だけで怖がっているのか分からなかったが。今になってみれば分かってきた。
 音楽が蜜代わりになっているのだ。音楽を聴くことで寄ってくるスズメバチ。二度刺されたその先には、自分がスズメバチになって二人の自分を見ている。
 スズメバチはミツバチのように刺したからといって死ぬわけではない。このまま永久にスズメバチになってしまった自分は想像の中で主人公にも、主人公を見ている自分に戻ることができない。それは夢の世界でも同じだった。
 それは現実の自分が本当に存在しているのかすら不安に感じさせるパラドックス。歴史の世界に埋もれてしまった自分はどこに行ってしまったのだろう。
 電車の中の座席に本だけが置かれている。
 どこかのページを開けたまま、表紙を上にして煙のように消えてしまった人間を、誰も知る由もないだろう……。

                (  完  )



作品名:短編集112(過去作品) 作家名:森本晃次