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短編集112(過去作品)

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「人が多い時はジャズの気分なの。人が少なくなって黄昏時から夜の静かな時間はクラシックの気分なの」
 確かにクラシックの重低音は黄昏時から、しじまを感じさせる夜がいいのかも知れない。昼間でもいいのだろうが、ずっとクラシックだけにしておかないところが彼女のお洒落なセンスであった。
 今回の転勤で一番寂しい思いだったのが、この店に来れなくなることだった。馴染みの店は学生時代にもあったが、ここまで生活の一部になるような店はなかった。
 年齢的に二十歳代後半というと、早い人は結婚している年でもある。さすがに粟津は結婚まで考えていなかったが、
――彼女がほしい――
 と常々考えていた。
 そういう意味では、店の女の子を意識していたのも事実である。学生時代には数人の女の子と付き合ったが、社会人になってから女の子と付き合ったことはない。
 学生時代に付き合ったと言っても、深い仲になった女性はほとんどいなかった。ガールフレンドに毛が生えた程度で、身体の関係も一人を除いてなかった。
――そろそろかな――
 と考え始めると、なぜか相手から離れていく。
「友達以上に思えないの」
 お決まりのセリフである。
――どうしてなんだ――
 お決まりのセリフだからこそ悩みもする。毎回同じパターンということは自分が成長しないということなのか、それともまったく同じ性格の女性ばかりと付き合っているということなのかのどちらかであろう。そのどちらもが絡み合っているのかも知れない。
「所詮は学生なんだ」
 と友達と、女性について話をしていて感じる結論であった。
 学生というのは自分にも相手にも甘えがある。学生という立場上仕方のないことかも知れない。社会人になる前に通らなければならない道であり、人間形成に必要な時期である。「だから失恋も必然なんじゃないか」
 と友達は笑って言ってのけるが、そんなに簡単に納得できないのが粟津であった。
 学生時代に、一人だけ意識していた彼女がいた。
 いつも静かで何かに怯えているような雰囲気だったが、彼女とだけ、身体の関係があった。
 大学二年生の頃、一年生の頃のように浮かれた気分もなくなり、落ち着き始めた頃だった。知り合う時期が自分の精神状態に比例して、知り合う相手を決めているのではないかと思うほどである。
 彼女の名前は有里。最初から上の名前で呼ぶことはお互いになかった。馴染んでいたからだというよりも、最初から恋人という意識を持っていたからだと思っている。
 一年生の頃に二人の女の子と付き合ったが、彼女たちとは、少しでも会っていない時間があれば不安になっていた。それは彼女たちも同じだったようで、お互いに無意識な束縛があった。
 粟津が嫌になる前に、相手の女性が痺れを切らした。
「あなたといると息苦しいの」
 いつものセリフの後に続く言葉が、これだった。粟津自身も束縛を受けるのは嫌いだったが、相手が彼女であれば、それもやむなしと思っていた。
「男性と女性の違いだな」
 別れる時、一番ショックが少なかった相手であったのは、そう割り切れたからだったに違いない。
 しかし有里だけは違っていた。付き合い始めた時から、
――彼女とは恋人なんだ――
 と感じることができたが、それは彼女に大人の女性の魅力を感じたからである。
 有里と一緒にいる時間は、他の女性と一緒にいる時間よりも長く感じられた。本来なら充実した時間であればあっという間に過ぎてしまうものだが、彼女だけは違った。
 よく一緒にクラシックコンサートに出かけた。彼女がクラシックが好きだったからだ。
 普段は無口なのに、クラシックの話になると本当に楽しそうに話をしてくれる。絵を描くのが好きだった粟津もクラシックが好きである。美術館などにいるとクラシックが流れてきそうでゴージャスな気分になれた。さすがに静寂がモットーの美術館でクラシックが聞けるのは隣接された喫茶店くらいであろう。喫茶店の窓から見える庭園もキチンと整備されていて、ゴージャスさがさらに引き立ったものだ。
 一緒に行ったクラシックコンサート会場も、美術館に負けず劣らず音響が素晴らしい。
 ホールを一歩出ると、少々の音でも響くようになっていて、美術館に似ている。乾いた革靴の音が粟津は好きだったが、有里も好きだったようだ。
 芸術に親しめる二人は、似合いのカップルだった。
 知り合ったのもちょうど季節は秋だった。
「芸術の秋」
 絵画も音楽も気持ちに余裕を持たせるものとしてありがたい。
 粟津は絵画の合間に気分転換に音楽を聴き、有里はクラシック鑑賞の合間の気分転換に、絵画に親しんだ。
 有里はピアノができた。
 有里の家庭はピアノを持てるほどの裕福な家庭ではなかったが、粟津の実家は母親がピアノができることから、一度彼女を連れてきてからというもの、
「有里さんって素敵ね。今度またつれていらして」
 と母親が気に入ったようだ。
 粟津の家庭は、父親が社長業をしていてそれなりに大きな家に住んでいる。
 母親は実は後妻で、粟津が中学の頃に亡くなった母親の後に入ってきた人で、何をしていた人か分からないが、雰囲気はお嬢様育ちなところがあって、粟津の家に合っているようだった。
 そんな母親を粟津は嫌いではなかった。
 裕福な家庭に育ち、母親が若い後妻で、子供が思春期とくれば、お定まりの非行という言葉が頭をよぎるが、粟津は非行に走ることはなかった。
 あまり感受性が強くなく、それでいて、芸術に造詣が深く、あまり人に干渉する方ではないことが幸いしたのかも知れない。
 母親に反抗することもなく、母親もそんな粟津に遠慮することもない。それなりに気を遣ってくれているのは分かっているが、わざとらしさがないので、何かを感じようとすると拍子抜けしてしまう。
 有里は、そんな後妻に雰囲気が似ていた。
 いくら意識しないとはいえ、まるで姉と言ってもいいくらいの血の繋がらない女性が同じ屋根の下で、しかも母親としているのだから、まったく反応しないわけではない。
 手を出すことのできない人を影から見守っている感覚は、爆発こそしないが、粟津の中で、何とも言えない柔らかなシルクのような布で包まれている気分になっていることだろう。
 夢では何度か母親を彼女のように意識したものだ。夢から覚めると忘れてしまいたいこととして、忘れようと試みる。忘れてしまわなければ自己嫌悪に陥るからだ。
 幸いにもすぐに忘れられるので、自己嫌悪に陥ったことはないが、身体には暖かいものに包まれた感触だけが残っている。
「本当に夢だったのだろうか」
 とまで考えてしまう。
 有里を初めて見た時、母親のイメージはまったく湧かなかった。
 一目惚れをするタイプでもなく、今まで付き合った女性も何となく付き合い始めた雰囲気がある。
 だからこそ別れる時も
――何となく――
 という雰囲気が多かったのだろうが、きっと彼女たちが、
「俺の魅力が分からないからだ」
 と、相手の魅力を分かろうともしなかったくせに勝手に考えてしまう。
 女性と付き合うという感覚は、あくまで男性主導だというのが粟津の考えだ。
作品名:短編集112(過去作品) 作家名:森本晃次