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短編集112(過去作品)

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スズメバチのパラドックス



                スズメバチのパラドックス


 ヘッドホンステレオが流行り始めてどれくらいになるのだろう。時代は移り変わり、さまざまな形に変化していった。最初はカセットテープだったものが、CDに変わり、一時期MDというものが流行ったが、今ではペンサイズのものに、何千曲と収められるディスク型のステレオが主流になってきた。
 もちろん、CDやカセットのものもいまだに販売されているが、宣伝の力がまるで違う。若者ならば当然スマートな方に目を向けるに決まっている。
 だが、コンパクト化されるにしたがって、リスクもそれなりに伴っている。
「小型のパソコンと同じなんだよ」
 当然ディスクなので、小型とはいえ、完全な精密機械。間違って落としたりすれば、当然壊れる危険性は増大する。
 壊れないようにしなければならないので、粗雑に使う人間にはあまりお勧めできないのだが、店側は相手の性格までは分からないので、勧めてくる。
「これは便利だ」
 と思い手を出すと、気がつけばすぐに壊れたという苦い経験をする人も少なくはないだろう。
 粟津啓介もその一人だった。
 音楽を部屋で聴くことはあったが、会社への通勤で聞くなど、今までには考えたこともなかった。
 就職して五年が経ったが、それまで出勤していた本部から、今回転勤辞令が出たのだった。
 本社は東京にあり、ラッシュアワーに遭うことで、ヘッドホンステレオなど迷惑だった。ラッシュの電車の中にはさまざまな連中が乗っている。学生からOL、サラリーマンとおしくら饅頭状態である。そんな中で新聞を折りたたんで読んでいる人もいれば、ヘッドホンステレオをまわりの迷惑も考えずつけているやつもいる。
 特に学生はまったく気にならないのか、ヘッドホンからかなりの音が漏れている。そんな音楽を聴いているのか一目瞭然で、リズムのテンポが分かるのだ。
 実際に音楽が聞こえてくるのも嫌なものだが、ヘッドホンから漏れる音はまるで機械音のようで、しばらく聞いているとイライラしてくる。人間の神経を逆撫でするものである。ガムをくちゃくちゃ噛んでいる音もイライラさせられるが、イライラの度合いは同じくらいではないだろうか。
――どちらも、その人のモラルで何とかなるものだ――
 ということが分かるだけに、余計に腹が立つ。自然現象でどうしようもない音であればここまでイライラすることはないはずで、イライラするたびに人間不信に陥ってくる自分を感じていた。
 本社勤務の時は、会社まで二時間の通勤時間だった。都会で二時間だと、それほど珍しくはないが、実家からなので、仕方がないと実感していた。
 実家だと部屋代がいらないからいいのだろうが、どうにも通勤時間が長いせいか、家に帰りつく頃にはすでにお腹の減りのピークを通り越し、食欲がなくなっている。たまに会社の近くで夕食を食べて帰るのだが、店はいつも決まっていた。
 昼のランチの時間にも行く喫茶店に夕食でもお邪魔する。
 ランチはコーヒーつきで七百円と、庶民的な値段なので、近くの会社からの連中がたくさん来るので、なかなかゆっくりとしている時間がない。
 喫茶店まで歩いて十分以上掛かるので、ゆっくりと食事をしていては限られた昼休みがあっという間に終わってしまう。
 昼休みはランチを済ませると、別のお店でコーヒーをすする。最近流行のシアトル形式の喫茶店である。
 表のラウンジのようになっているオープンスペースが喫煙コーナーになっていて、店内にタバコの煙が篭ることがないので、禁煙家の粟津にとってはありがたいことだった。
 夜、ランチでしか寄ったことのなかった喫茶店に寄るようになったのは、ここ二年くらいのことだった。
 それまではほとんど毎日家に帰って夕食を摂っていた。お腹を鳴らしながら、空腹に耐えながらラッシュの時間の帰宅である。
 なかなか座ることもできない状況で、窓際にもたれるように立っているのも正直楽なものではない。しかも空腹と戦いながらである。
 夏の時期などは、脱水症状を抑えようと水分を多く摂る。それはそれでいいのだが、水腹になってしまって、お腹が減っているはずなのに、お腹が重たいという状況に陥ってしまうと、今度は何も食べられないのに、身体がだるくなってしまう。空腹感が麻痺してしまっているので、どこから来るだるさなのか、最初は分からなかった。
 それが空腹感から来るものだと分かると、
「食事は会社の近くでしてくる」
 と、母親に出勤前に告げて出かけることが増えた。
 会社の近くで食事をすると言っても、最初は店を決めていなかった。元々帰り着いてからの食事なので、食事の時間にしても遅い時間に摂っていたという習慣が身についていたのだから、仕事が終わってすぐに夕食を食べるというのも難しかった。
 元々生活のリズムには敏感だった。順応性がないとも言えるだろう。生活のリズムが変わるとそれに馴染むまでに少し時間が掛かる。人と比較したことがないので分からないが、だからこそ、あまり他の人と行動をともにすることもなかった。
 お酒が呑める方ではない。今までも、
「家が遠いから」
 という理由で呑み会もあまり出席していなかった。呑み会を計画する連中は会社からどんなにかかっても一時間以内で通える連中ばかりだった。
――遠くから通ってくる気持ちは分かるまい――
 と思いながら、誘われるのを何度か断っているうちに、誘ってこなくなる。
 誘いを掛ける顔が次第に苦笑に変わってくる。梅干を食べた時のように眉が八の字になって、唇が尖っているような情けない表情に見えなくもない。それも気まずさが引き起こすものであったに違いない。
 少なくとも飲み屋街だけは避けなければならない。同僚が近くで呑んでいると思うと落ち着けないからだ。もし、バッタリ出会おうものなら、きっとお互いに気まずい雰囲気になるに違いない。当然考えられる範囲のものである。
 昼食の時に出かける道も、夜ではかなり様変わりしている。
 頭のてっぺんから日差しが差し込んでくる昼間は、まわりを見る余裕などもない。毎日同じ光景なので、まわりを見ることもなく、瞼の裏というブラウン管に映し出されている同じ光景に無意識に納得しているだけであろう。
――変化がないから無意識になれるんだ――
 変化があったら真っ先に気付くだろうが、きっとどこが変わったかすぐには分からないだろう。
――灯台下暗し――
 毎日変化のない光景だからこそ成せる業。変化には敏感だが、変わった内容に気付くほど普段から意識しているわけではない。これも日常の生活習慣に直結した考えだった。
 店の中に入っても、昼間との違いに最初は驚いた。慣れてからでも、感じるのだが、暗い店内は、昼間来る時に比べて、少しだけ広く感じられた。
「お店が広く感じるね」
 と話をすると、
「この時間は落ち着いていますからね」
 とマスターの話である。考えてみれば昼間はランチの客で満席に近い状態になっているが、夕方から以降は、客もまばらである。逆に、この時間に来る客こそ、常連さんというべきであろう。
 昼間はジャズが流れているが、夕方はクラシックを流している。これは店に入っている女の子の趣味だそうだ。
作品名:短編集112(過去作品) 作家名:森本晃次