短編集112(過去作品)
と感じたが、どうやら違うようだ。自分の後ろに何かを見ているのだ。その何かを確認することはできない。ハッキリ言って確認するのが怖い。
――もし、後ろにいるのがもう一人の自分だったら――
と考えてしまう。もう一人の自分に気付いたら、相手は夢の中の自分である。ひょっとして現実世界の自分と入れ替わろうと画策しているかも知れない。気付いた瞬間、夢から抜けられなくなってしまうのが恐ろしいのだ。
そんな妖怪の話を聞いたことがある。
森の中に迷い込むと、そこには一人の子供がいる。足元を見ると根っこが生えていて、そこから動けないのだ。
妖怪は、鏡を持っていて、
「その鏡を見てごらん」
と差し出すので、鏡を覗きこむと、鏡の世界に入り込んでしまう。
そして気がつくと、自分の足に根っこが生えていて、妖怪は自分に足がついている。
妖怪は人間になって、自由になったのだ。
「俺はここで五百年も、誰かが来るのを待っていたんだ」
と言って、足ができたことを喜んでいた。
妖怪の顔を見ると、老人に変わっている。
「これでやっと人間らしく死ぬことができる」
その言葉を聞いて、足に根っこが生えた青年は、ソッとしてしまった。
「俺は妖怪になったのか?」
「そうだよ。そこで誰かが来るまでずっと待つんだ。それがお前の運命だ」
青年は、そのままずっと待ち続けなければならない。こんな恐ろしいことってないだろう。
――誰でもいいから通りかかってくれるのを待つしかない――
何とも漠然とした人生だ。
死ぬこともできず、ずっとこのまま、考えただけで気が狂ってしまいそうだ。
だが、正気なのも困ってしまう。時間の感覚が麻痺してほしいと、これほど感じることもないだろう。
今までに聞いた話の中で一番ゾッとした話であった。
「自分だったら……」
考えも及ばない。
今までに見た夢で一番怖かったのは、夢の中にもう一人の自分が出てきたことだ。
もう一人の自分は、夢を見ている自分に気付いていない。まったくの無表情で、何かに怯えているように感じるが、何に怯えているのか分からない。今になって思えば、夢を見ている自分がいるということには気付いていないが、存在だけは分かっているのかも知れない。得たいの知れないものが自分にとって、一番恐ろしい存在であるという感覚だけは残しながら……。
目が覚めると、夢の中の自分がどんなことをしていたのか覚えていない。ただ夢の中で自分が出てきて、夢の中の自分が主人公であったということだけを意識できるだけであった。そんな時、
「これでやっと人間らしく死ぬことができる」
という、妖怪のセリフが思い出されるのだ。背筋に汗が滲んでくるのが分かる。
――もし、その妖怪が自分だったら――
と子供心に感じたものだ。
なぜそう感じたかというと、妖怪が鏡を持っていて、
「その鏡を見てごらん」
と言ったからである。
――鏡が自分を映し出すもの――
そして、もう一つは真実を映し出すものである。その意識があるからこそ夢に出てくるのが自分だと思うのである。
自分は一人だけで、似た人はいたとしても、本人は存在するわけはない。それは夢にしても同じことで、自分を夢で見るということは、自分を信じられなくなっているからなのかも知れない。
臆病になっているからこそ、自分を意識してしまう。そんな時は寝るのが怖い。
――きっと自分が出てくる夢を見そうな気がする――
そんな気持ちに襲われるのだ。まさしく悪夢というやつである。
過去に誰かを暗殺したことのある人はどうだったのであろう。
歴史上の偉人と言われる人は、数々の暗殺に遭っている。だが、首謀者である計画者と実行者とは違う人物であることが多い。
自分で手を下すことなく、下っ端の人間にやらせるのが、組織というものであろう。
考え方としては、暗殺が最終目的ではないからだ。暗殺は、大きな目標のために避けては通れなかった一つの壁のようなものである。
「それは結果論でしかない」
歴史を知っている人の中にはそういう人もいるだろうが、さらに研究している人は、暗殺の裏には必ず首謀者がいることを提言している。
織田信長の暗殺にしてもそうだ。
戦国一の武将といわれ、天下統一一歩手前で部下の明智光秀に暗殺された織田信長であったが、光秀を動かした人物が裏に潜んでいるという研究が進んでいる。
足利幕府説、本願寺説、さらには、朝廷説など、さまざまである。
幕末最大の謎とされる坂本竜馬暗殺も同じである。
幕府方からも、反幕府方からも狙われていた坂本竜馬、幕府方からは見廻り組、新撰組、そして、反幕府方からは、妬みからか土佐藩説、そしてさらには西郷隆盛の薩摩藩説とさまざまである。
織田信長暗殺にしてもそうだが、それぞれに正当性を感じさせる主張がある。真実は一つなのに、どれもそれぞれに真実に近いものがある。だからこそ、歴史は難しいのかも知れない。
黒幕にはその時、大きな目的があった。幕末であれば、新政府、または、外国に対しても考えを及ぼさなければならなかった。そんな情勢の頃である。
織田信長はもちろん戦国大名、天下統一という最終目標を誰もが抱きながら進んでいた時代である。
もちろん、統一した後には新たな政府という問題が浮き彫りになるのだが、信長暗殺の首謀者にそこまでの考えが及んでいたかどうか、疑わしいものではある。
首謀者の思惑を知ってか知らずか、実行者は忠義を胸に暗殺を企てる。
「明智光秀は本当に天下が取れると思っていたのか?」
これも不思議なものだ。簡単に秀吉に負けている。暗殺という大事件を起こしたのだから、当然、その後のことも考えていたはず。
「首謀者には、暗殺者に長く生きていられては困る理由があったのではないか」
明智光秀には酷であるが、そう考えるのも無理のないことかも知れない。
要するに彼らは捨石なのだ。
人を殺すこと。その時代にはそれぞれ、
「殺さなければ、殺される」
という気持ちが強かったのは当然である。だが、それも正々堂々と戦って死ぬという武士道に則ったものであるだろう。しかし暗殺は違う。なるべく意表をついて、確実に相手に死んでもらわなければならないものだ。それが首謀者の考えである。
自分に容疑が向けられては暗殺の意味は何もない。ある意味、暗殺された人は犬死になってしまうだろう。そう考えると、実行者が一番捨石になってしまうのだ。
暗殺者に長く生きられて、
「首謀者は、○○です」
などと明かそうものなら、とんでもないことだ。まあもっとも実行者に首謀者が誰であるかなどということは分からないように何重にも幕を張った計画になっているに違いない。
「暗殺者は、前の日にどんな夢を見たのだろう?」
などと考えたことがある。夢を見なかったはずはないと思うからだ。
「本当は夢というのは毎日見ているものだ」
という考えもある。
目が覚める寸前にすべてを忘れてしまうか、それとも少しだけ覚えているかの違いだけで、ただ、その違いが大きな意味を持っているという考えである。
作品名:短編集112(過去作品) 作家名:森本晃次