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誹謗中傷の真意

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 こう感じるということは、結果として、今見ているのは現実ではなく、夢であるということだ。ただ、最初が夢だったという可能性もある。だが、その間の夢と現実の境が二つ以上あったとすれば、一番最初の過去が遥か遠くにあることで、思い出すことはできないと思うのだった。
 それは、生死の世界の境目を見ているようで、前世をもし知ることができても、前前世を知ることは絶対にできないということの表れに違いないと思っている。
 そして、もし前前世のようなものが、この夢の世界との狭間にあったのだとすれば、最初は、自分が女を襲うところだったのではないかと思った。ただその時、自分は分からないだけで、もう一人の自分が見ているところ、次の世代の世界で知ることになるとは、想像もできないに違いない。
 何しろ前世の記憶は基本的に消えているはずだからである。これはあくまでも想像であって、現実ではない。つまり信憑性以前の問題であり、そこに、モラルのようなものは存在しないのであった。

                  ジキルとハイド

 そんな自分に辱めを負わせる女を夢に見たと思っている倉敷は、その時初めて。
「俺は夢の中ではまったく違う人間になっているんじゃないか?」
 と感じるようになった。
 そして、夢の中での自分を意識するようになると、そのうちに夢の中の自分と現実の自分、どちらが本当の自分なのか分からなくなってきた。
 大学生になってから、少しして、この思いをこのまま放っておくという気になれない倉敷は、最初は日記にして残そうと思っていた。
 そういう意味の日記を書き始めたのは、大学に入学してすぐだった。大学入試のための勉強は、倉敷の意識をおかしな方向に向かわせそうになったが、ギリギリのところで踏みとどまったおかげで、受験にも失敗しなかった。下手に踏みとどまることができなければ、そのまま勉強することすらできなくなり、受験どころではなくなっていただろう。いわゆる非行に走っていたといっても過言ではない。
 それだけの精神状態になるだけの想像は、倉敷の中にあった。受験勉強中、何度も苦しくて勉強を辞めてしまおうと思ったことか。呼吸困難に何度も陥ったりしたが、それは勉強のやりすぎが原因ではない。むしろ勉強を一生懸命にやっているにも関わらず、思ったよりも捗らない状態に苛立ちが込江下手きて、身体と精神のバランスが崩れることで起こったのが呼吸困難な状態なのではないだろうか。
 そんな時、
「何かを変えなければいけない」
 と思い、日記を書き始めて。
 その日記は、あくまでも、精神的に追い詰められそうになっている自分を、いかに辛い気持ちから逃がすかというところが大きな問題だったのだ。だから、気分転換という意味と、自分の比較的落ち着いた精神状態を忘れないようにするための、一種の、
「止まった時間の演出」
 のようなものだ。
 日記を書く時は時間で決めているわけではなく、比較的、
「落ち着いた時間」
 を選んで書くようにしていた。
 日記を書いている時間というのは、倉敷の中で、
「止まった時間」
 を意識していた。
 自分の身体が動いているのだが、まわりは誰も動いていないような感覚。それは日記を書いている時間が自分にとって、一気に進んでしまう時間なので、まわりが時間的に自分においついてこない。そのために皆をいったんストップさせて、その間に追いつかせようという思いだった。
 そんなことはできるはずがないくせに、できてしまうという気持ちにさせることが、ここでいう一種の、
「演出」
 という言葉に繋がってくる。
 高校時代の日記は、ただの箇条書きのようなもので、しかも、その日に何が起こったのかということをただ記録しているだけだった。ここでの一番の目的は前述のように、心を落ち着かせるための、
「止まった時間の演出」
 であるが、その次の目的としては、
「忘れないこと」
 であった。
 一生懸命に一つのことに打ち込んでいると、ついつい物事を忘れがちになる。さっきまで覚えていたことすら、何かの瞬間に記憶からかき消されたような感覚になるのだが、それは、きっと自分が別の世界にいて、その世界を堪能できているからではないかと思えてきた。
 堪能できているので、いいことではあるのだが、その弊害として忘れてしまうことが多かった。これは弊害なのか、それともいいことに対しての代償なのか、どちらも似たようなことに感じられるがまったく違う。後者の代償であれば、そこに何かを自分が得ているという確証がなければならないはずだ。
 その確証が何であるか、それを忘れないようにするためと、意識を繋ぐ意味がある。忘れてしまうというのは、覚えていては何かまずいことがあるから忘れてしまうのかも知れないが、どうもそうではないと倉敷は自分に問うているような気がして仕方がないのであった。
 何とか大学に入学できてから、少し、鬱状態に陥った時があった、合格発表の瞬間に感じた脱力感が、そのまま自分の中で鬱状態を作り出してしまったようで、まず感じたというのが、
「俺は今どこにいるのだろう?」
 という思いだった。
 夢を見ていると思っていた。暗黒の世界で、自分がどこにいるのか分からない。ただ想像したのは、どちらかに足を踏み出せば、そこには奈落の底へ一直線の谷底が想像できた。谷底以外の道があるとは思えない。まるで自分が立っている部分だけが反り立った山の上にいるような感覚である。
 この夢は今までに何度も見たことがあった。一種のデジャブなのだろうが、初めて見たわけではない、今までに何度か見ているはずだが、何度見ても、これほど怖い夢はないと感じるのだった。
 だが、本当に怖い夢はこれではなかった。この怖い夢を見ながらでも、一番怖い夢を思い出しているというのはどういうことだろう。身動きできない追い詰められた状態で、逆の精神状態に陥るとでもいうのか、それとも、今の状態が、本当に怖い夢を見ている時に比べても、もっとひどいと感じているからなのか、いろいろな考えが妄想として浮かんでくるのだった。
 怖い夢というのは、目が覚めても忘れるものではない。意外と鮮明に覚えているというもので、
「夢の中で見た、本当に怖い夢というのも忘れてはいない」
 と感じるほどだった。
「本当に怖い夢」
 というのは、
「もう一人の自分が、出現している夢である」
 というものであった。
 もう一人の自分は、まったく表情を変えない、言葉も喋らない。それどころか、夢を見ている本当の自分の存在に気付いてもいない。まるでロボット化アンドロイドのようにしか思えなかった。
 その夢を見ていると、
「夢の中では顔が自分だということを覚えていたはずなのに、夢から覚めて、もう一人の自分がいたという意識は鮮明にあるのに、いざその表情を思い出そうとすると、思い出すことができない。まるでのっぺらぼうを見ているような感覚だ。
 ただ、そののっぺらぼうは、こちらを見てニッコリと笑っているのが分かっている。何に笑っているのか、その理由は分からない。
「ひょっとすると、理由なんかないのかも知れない」
作品名:誹謗中傷の真意 作家名:森本晃次