誹謗中傷の真意
同期入社の男性で、彼は名前を福山伸介と言った。彼は広島県の田舎から出てきていて、小学生の頃から大阪という都会で育った倉敷とは、基本的に垢抜け方が違っているように見えた。
同期入社は同時、五人いた。そのうちの一人は地方の支店勤務であったが、当時の会社は、本社勤務の将来の幹部候補生として育成するという目的で、基本的には最初から本社勤務だった。
最初の半年くらいは、支店や他部署での研修を行っていたが、研修を皆バラバラに行うわけではなく、二人一組で同じパターンの研修をすることになった。
倉敷は福山とペアになったのだが、福山は倉敷の都会人としての垢ぬけた雰囲気に、最初から魅了されていた。
倉敷もそのことは分かっていたので、まるで自分が先輩であるかのように主導権を握っていたが、福山には倉敷に自虐的なところがあることを、実は最初から分かっていた。
分かってはいたが、いくら自虐的とはいえ、都会で育った垢ぬけた雰囲気、さらにはlその自虐性が、都会という荒波にもまれているうちに身に付いたものであると考えると、それも致し方ないと思うようになった。
だから、彼が自分に対して高圧的に接するのも、嫌ではなかった。相手に主導権を握らせておくということがどれほど気が楽なのかということが分かっているからだった。
倉敷に比べると、福山は大人しかった。だが、福山は自分から人と話にいこうとはしないのに、まわりの人が話しかけてくれることがあるのも事実だった。
「あんな、倉敷なんかと一緒にいるから、福山君は損をしている」
とまわりから思われているようだったが、実際に福山は、倉敷の影に隠れることで、楽をするということだけではなく、まわりから同情を受けることもできるということまで予想ができていたとすれば、かなりしたたかなのであろう。
だが、さすがにそこまではなかったようで、まわりからの同情は、
「棚からボタ餅」
だったようだ。
倉敷は、最初のうちは福山のことを意識はしていたが、次第に近くにいるのに、あまり意識をしないようになっていった。それこそ、
「路傍の石」
のような存在で、それが、福山という男の特徴でもあった。
気にされたい相手には、相手が目を逸らそうとしても、逸らすことのできないような存在感を与え、意識させたくない相手には、まるで保護色で包んでいるかのように、一切意識されないような存在に自分を置くことができたのだ。
これが、果たして福山の長所なのか、それとも短所なのか分からない。だが、
「長所と短所は紙一重」
という。
そういう意味では、長所から見ても短所から見ても、その高さにまったく差がないことから、どちらも長所か、どちらも短所かという切っても切り離せない関係になっているに違いなかった。
だが、まわりは福山を少なくとも悪いやつだとは思っていないようだ。やはり長所ではないだろうか。
倉敷の中学時代のウワサというのは、
「一人、自分のことなら何でも聞くやつを子分のようにしていて、その子分はお金のためであれば、何でもするというようなやつだった。そいつを奴隷のようにしていて、中学三年間、少しずつお金を渡すことで、すべてをその男にやらせていた。万引きだったり、かつあげなどもやらせていたという。その男は、無口だったが迫力があって、脅された相手は黙ってしたがう」
というようなウワサだった。
だが、ちょっと考えれば矛盾を孕んでいることに気付く。
「金で動く相手に、金を渡していたわけだから、倉敷はお金に困っていたわけではない。それなのに、かつあげをさせてお金を取らせたり、万引きをさせるというのは、道理に合わないのではないか」
というものであった。
確かにその通りで、別に倉敷はお金のためにやらせているわけではなかった。どちらかというと、お金に困っているのは、その男の方で、別に倉敷が命令しなくても、自分で行動していたかも知れない。
この男は、存在感の非常に薄い男で、あだ名が、
「石ころ」
と言われていた。
まさに福山にどっくりな人間だったのだ。
だが、その男が自分から決して行動しないタイプであることを倉敷は知っていた。だからこそ、お金を与えて、もちろんほんの少しであるが、お金で繋がっているという意識さえ与えれば、その男も、
「お金のために動いている」
という、その男なりの正当性を感じることができ、合同しやすくなるだろう。
だから、万引きしようが、かつあげしようが、手に入った金は、すべてその男のものであった。
なぜ、そんな無駄とも思えることをしなければいけなかったのかということは、ネットでは分かるはずもない。
「これが、倉敷の所業だ」
というネットでの含みはあるが、あからさまに名指ししていない以上、本人に確かめるわけにもいかない。ウワサがウワサを呼んで、まったく逆のことを言っている連中もいた。「本当は、倉敷が万引きやかつあげをさせられていて、お金に困っていたのは、倉敷の方だ」
と言われていたりもした。
要するに、言いたい放題にいわれていたのだが、それに対して、ネットでの反論は一切なかった。
このネットでの話を倉敷が知っているのかどうなのか、まったく分からなかった。ただ、この情報はかなり彼と親しくなければ出てこない内容だった。イニシャルとはいえ、彼が知り合いと会話したところなど、かなりリアルに描かれている。まるでドラマの台本のように見えるくらいだった。
中学時代だけの問題であれば、ここに描かれているF氏、つまり福山が犯人だと言えるだろうが、倉敷の話題は中学時代に収まることではなかった。
そもそも父親から受けていた虐待が、小学生の頃の苛めになり、中学に入ると、お金で自分の奴隷欲求のようなものを満たそうとする気持ち、ただ、それは奴隷にされている相手が嫌がっているわけではなく、相手にしてもよかったと思えることのように思う。だが、彼は本当に倉敷を恨んでいるのであろうか。一人であれば何もできない自分を、導いてくれた倉敷に感謝しているのかも知れない。
さらに高校時代になると、今度は別のウワサが出てきたと、ネットで上がってきた時は、
「この男、誰かに決定的な恨みを持たれているに違いない」
と思われていた。
今度のウワサも得でもないもので、
「とんでもない男パート2」
というタイトルで、紹介されていた。
「とんでもない男」
というフレーズが、完全に倉敷の代名詞になってしまったようだが、あくまでもこれはネットの世界だけのことなのだろうか。
実際に、彼の同僚や、後輩は。彼に対して、本当に、
「とんでもない男」
というレッテルを貼っているかのようだった。
このレッテルを?がそうと思うのであれば、
「『ひょうたんの猿』に出てくるひょうたんの中で、餌を離すしかないのではないか」
というたとえ話をコメントに入れる人もいたが、その人が何を思ってそういうコメントを入れたのか分からなかった。
次には、高校生の頃の話だった。
これも、ネットでのウワサのようで、
「中学時代から高校生になったが……」
ということで始まる文章で、こちらも、あることないこと、面白おかしく書いているようだ。