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誹謗中傷の真意

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 その様子を止めることもなく父親は見ていた。ただその表情は恨めしそうであったのは間違いない。ただ、追いかけようとはしないのだ。
 それは別に息子に気を遣っているからだというわけではない。どちらかというと、気持ちの高ぶりに水を差した息子に、怒りが集中していた。
「お前さえ帰ってこなければ、うまくやれたのに」
 と、暴行の荒しだった。
 何をうまくやれたのかということも分かるはずもなく、理不尽に殴られる自分が情けなかった。それよりも何よりも、殴られて殴り返すことのできない自分に、さらに怒りを覚えたのだ。
 父親は、そんな時、きっとやるせない気持ちになっていることだろう。興奮の有頂天になっている状態で、水を差されたのだ。いわゆる、寸止めされた状態で、その思いをどこで爆発させればいいのかを模索している。
 殴る蹴るなどは、いつものこと、しかし、疲れてくるうちに、虚しさがこみあげてくる。
「お前のせいだ」
 と殴る時にはそう言いながら容赦はないのだが、疲れ切ってしまうと、もう息子の顔を見ることさえも億劫宇であった。
 どうやら、自己嫌悪に陥っているようだ。こんなどうしようもない父親でも理性の欠片というものはあるのか、何もできなくなってしまう。
 ただ、鬱積した気持ちの盛り上がりがひどいもので、態度には出ないが気持ちとしては、執念深く残っている。そのために、殴る蹴るよりも、酒を煽って、
――こんな状態なら、何をされるか分からない――
 という恐怖が、子供にのしかかってくるのだった。
 母親は、夜の仕事をしていた。スナックなのか、場末の汚い店で、常連の中年男性を相手もホステスをしているようだが、子供には見せられるものではないということで、内容までは倉敷に分かるはずもなかった。
 そんな家庭に育ったうえに、まだ小学生とはいえ、世の中の理不尽さに触れたことで、自分が何をどうしていいのか分からないという状況に入った。その時、彼の中に抱かれた発想は、
「損得勘定」
 が強かった。
 損得勘定とは単純に、自分と何か比較対象を見つけて、自分の方が上であれば得、下であれば損だという、簡単な発想だった。数字のように規則正しく並んでいるものを比較するのだから、算数よりも簡単な気がした。問題は比較対象を居つけることだった。
 倉敷少年は、比較対象を見つけることに関しては、結構抜きに出ていた。気が付けば比較対象を見つけていたのだ。自分のそばにいる人間だけに限らず、それ以外の人に対してでも比較対象を見つけることができるのだ。
 ただ、そばにいるそばにいないという境目はあまりなく、そばにいない人間でも、
「そばにはいるが、話もしたことのない」
 という同級生も含まれていた。
 その同級生を、比較対象という名目で、苛めに走っていたのだ。
 苛められて、こちらを睨んでいる相手に対して優越感を感じる。その思いが、自分を誘発し、さらに苛めに走ってしまう。
 つまりは、比較対象を見つけることはうまいのだが、その相手をどのように扱っていいのかということとは別である。苛められているやつは、いつも黙って、誰にも苛められているということを言わない。さらに悟らせない雰囲気ではあるが、睨み返してくるその表情は尋常ではなかった。
 苛めている立場でありながら、睨まれることで次第に怯えを感じてくるようになる。だからと言って、苛めをやめるようなことはしない。やめてしまうと、その後自分がどのような立場になるかが分からないだけに、この立場を崩すわけにはいかなかった。
 相手の視線が次第に恐ろしくなってくる。それまで自分が優位だったはずの比較対象の雲行きが怪しくなってくる。
――逆転するのではないだろうか?
 と思うようになると、苛めは次第になくなっていく。
 相手も、それが分かっているのか、苛められなくなる前から、こちらを睨む顔が次第になくなってきた。
 怖くなくなったことでホッとした気分になったが、苛めはもうできないことを自覚した。
 そこでやっと苛めがなくなり、まわりも、倉敷少年が人を苛めていたということも、苛められていた連中が倉敷に偏見の目を向けることもまるで忘れてしまったかのように、静かなものだった。
 その頃になると、自分が、
「どうしようもない男だ」
 と感じるようになっていた。
 小学生を卒業する寸前くらいのことだったので、意識はそのまま中学に持っていくことになった。だが、中学に入ると小学生とはまったく違った世界が人がっている気がした。学生服というものを与えられ、皆同じ服を着る。それまでワイワイと遊んでいた連中が、急に大人しくなってしまい、大人の雰囲気を醸し出しているかのように思えたのだ。
 小学生時代に、
「ガキ大将」
 と呼ばれるような雰囲気だった少年が、一番大人しくなったように思うのは、きっと、彼らは同学年ではなく、上級生を見ていたからではないだろうか。明らかに成長期にあるので、一年と言っても、大人の一年ではなく、中学時代の一年は、大人になってからの五年以上に匹敵するのではないかと考えるようになっていた。
 そんな、
「ガキ大将」
 が実は一番大人になることを意識していたのかも知れない。
 ガキ大将は、子供の中では一番上に君臨している人間だと思っていることだろう。そんな連中が中学生になったとしても、ガキ大将とは違った形の大人としての、
「上級の君臨」
 を意識しているのではないだろうか。
 しかし、倉敷少年のような、
「どうしようもない少年」
 は、苛めに走った小学生の頃を繰り返そうとは思わない。
 苛めをしても、そこには虚しさしか残らないのは分かっているからだ。虚しさしか残らないから、身動きが取れなかった小学生時代の、どうしようもなさが思い出されるのだった。
 そんな小学生時代を過ごしていた倉敷だったが、中学生になると、さらに別のころが持ち上がっていたということだ。
 この話は自分から他人にしたという感じではない。どこからか、ウワサのようなものが流れてきて、それが定着した。それは大学時代のことだったのだが、悪いウワサをいうのは尾ひれがつくもののようで、中学時代だけのことではなく、高校時代のことも一緒になって、
「どちらが尾ひれなのか分からない」
 というほどであった。
 たぶん、これらのウワサが生まれたのは、ネットでのことだったようだ。本人特定まではできなかったが、どこからか、そのネットの記事が倉敷ではないかというウワサが上がった時、小学生の頃の話をする倉敷、そして現在の倉敷を見ている連中には、
「やつなら、それくらいのことはやりかねない」
 と思われていた。
 そもそも、小学生の頃の黒歴史を、わざわざ自分から公表するという意識もどこかずれている。本当であれば、隠したいと思うべき部分ではないだろうか。それを隠そうともせずに、公表するということは、それだけ自分に自信がないため、まわりに自分を顕示しようという意識の表れなのだろうか。
 そんなことを思うやつもいたが、それが彼の身近な人間だった。そう感じていたのは、同僚だった。
作品名:誹謗中傷の真意 作家名:森本晃次