誹謗中傷の真意
「ええ、そうです。確信犯という言葉、私はそういう意味もあってか、実は嫌いなんですよ」
と辰巳刑事がいうと、
「それは本当の犯罪よりもたちが悪いものなのかも知れませんね」
と桜井は言った。
「この教団にはそういう確信犯的なところは感じないんですよ」
と辰巳刑事がいうと、
「ありがとうございます」
と、桜井は返事をしたが、その真意はよくわからない。
桜井の話にあった教団名の話には、少し感銘を受けた清水だった。自分ならそんな発想を抱くことはないと感じているので、校長の考え方には、頭が下がる思いだった。
清水刑事も辰巳刑事も、改めて宗教団体というものに対してどのような考え方を持っていなければいけないのかを考えていた。清水刑事は今日来る前に、事前情報として公安の人の話を聴いていたので、それほど驚かなかったが、辰巳刑事の中で、かなりの衝撃があったことだろう。
昨日の話を聞いていた清水でさえも、
「実際にこの目で見るまでは」
と思っていたことであったが、いかにも公安の連中の言う通りであった。
辰巳刑事のように、勧善懲悪の精神で刑事をやっている人にとって、宗教団体というと、受け入れられない組織として、考えていた。人を人がコントロールし、洗脳するということほど恐ろしいことはない。一般的に言われていう勧善懲悪が組織の中では、絶対的なカリスマ性を持った教祖が存在し、その人が悪であっても、教団は善として扱う。
本当は誰にも縛られたくないと思っている辰巳刑事は、教祖のような、絶対君主は認めないと思っていた。暴力団のような組織もそうである。自分たちの利益のためだけに行動する。軍隊のように、国民国家のためではなく、自分たちのために兵隊を持ち、敵対勢力は許さないという考えだ。
昔の軍隊でも、いくら君主国といえども、彼らは自分たちのために行動するわけではなく、君主のため、つまりは国家、そして自分たちの家族のために行動する。勧善懲悪を旗印にしている人間がどのように考えるかというのは、辰巳刑事を見ていれば、分かり切ったことだと言えるであろう。
そういう意味ではこの団体は、いわゆる、
「宗教団体」
とも、
「暴力団」
とも違っている。
そうしても、「ノア」という名前を聞くと、最初は誰でも、
「神様が自分の作った人間が堕落したことで、浄化のために大洪水を起こし、一旦あらゆる生物を死滅させるが、一部の生命だけを残し、種の保存だけのために選んだ相手として箱舟に載せる」
というのが、ノアの箱舟の最初の概要である。
だが、よくよく考えると、ひどいと思うところも結構ある。
「いくら神様とはいえ、自分が作った人間を滅ぼすため、全人類は、他の生物もろとも滅ぼすというのは、あまりにも専制君主てきではないか?」
あくまでも滅びるのは人間だけでいいはずなのに、他の生命も犠牲にするというのは、そこにどういう教えが存在するというのだろう。
さらにそれに則して、
「選ばれしつがい」
と言われているが、何を根拠に選んだというのだろう?
ノアはなるほど、神が選んだ人物としても、他の動物は勝手に選ばれた動物たちばかりだ。
そう思うと、勧善懲悪が目的だとするならば、
「何をもって、善悪を見分けるというのだろう?」
という問題がどうしても出てくるに違いない。
やはり、人間が神の側から見た物語を書いているのであり、どうしても人間中心であるということは否めない。そのあたりは、最初からの暗黙の了解と言えるのではないだろうか。
そもそも、
「ノアの箱舟伝説」
自体、実に曖昧な気がする。
ギリシャ神話に出てくるオリンポスの神々が、
「人間よちも人間臭い」
と言われるのと似ているのかも知れない。
それは、
「人間が書くものには、限界がある」
ということになるのではないだろうか。
聖書もギリシャ神話も、結局は同じところから、同じところに着地するものなのかも知れない。
倉敷の真相
事件はしばらくして、急転直下で解決を迎えるのだが、そのきっかけとなったのが、中学生の自殺未遂問題だった。
倉敷が殺されてから半月ほどが経っていた頃だったが、事件に関してはまだほとんど分かっておらず、地道な聞き込みなどの捜査が行われている段階だった。
何しろ、情報がほとんでなく、倉敷という男がどうしてこの教団に入信したのか、さらにはそもそも倉敷という人物自体を知る人間がほとんどいなかったのだ。
会社でもいつも孤独で、一人でいることが多いという証言しかなく、
「何を考えているか分からない」
という話しか聞こえてこなかった。
家族から離れて都会で就職し、田舎におほとんど帰ったこともないという。親からの苛めがあったということは、本人と家族しか知らないので、その情報も当然警察は掴んでいない。
「ただ、就職で都会に出てきた青年」
というだけの情報だった。
仕事にしても、それほど優秀でもなければ、怠けているわけでもない。
「真面目に仕事をしているように見えるが、心の底では何を考えているか分からない」
という意見ばかりで、誰も倉敷の本当の顔を知らないのだ。
教団で聴いてきた新見という男性が倉敷であることはほぼ間違いないだろう。最初に教団で話を聞いたために、教団で得た情報は、彼の情報の中での氷山の一角のように思っていたが、実際には、世間体の方が謎に包まれている。
「それであれば、もっと教団で突っ込んで新見のことを聞いておけばよかった」
と、清水刑事は感じていた。
辰巳刑事も、
「ここまで聞き込みをして、被害者の情報が得られないというのも珍しいくらいですね。これなら、本当に腹を割って話のできる人なんかいないんじゃないでしょうか?」
と言った。
そんな時、倉敷の家の近くで聞き込みをしていた時に訊いたウワサを耳にしたのを思い出していた。
「倉敷さんは、ご近所付き合いのほとんどない人でしたね。まあもっとも、若い人の一人暮らしの人なんだから、近所づきあいの苦手な人がいてもそれはしょうがないと思うんですが、あの人はこちらが挨拶をしても、挨拶を返してこないんですよ。なんて失礼な人なのかと思っていたんですが、ある時、近所の中学生を持つお母さんから言われたことがあったんですよ。どうやら、倉敷さんはその人の重学生の息子さんとはよく話をしているようで、その中学生がいうには、『倉敷さんは、本当は気さくな人で、挨拶されたら、ちゃんと返せる人なんだけど、最初に挨拶した人が倉敷さんのことを不審者のような目で見たことで挨拶ができなくなった』というんです。それも彼の被害妄想ではなく、他の人よりも感じ性が強いだけなんじゃないかってですね。その奥さんは、実は息子からそう言われて倉敷さんをそういう目で見てみたそうなんです。すると、息子の言っていることがよく分かる気がするというんですよね。要するに倉敷さんという人は、人から勘違いされやすい人だってですね」
「なるほど」