誹謗中傷の真意
「まさに、その通りなんですよ。世間には似たようなものがいくつも存在している、似ているものでまったく同じものではない。でもそういうものって、最初は同じだったmじゃないかと思うんです。それに気づいた時、宗教も一つだったと思える。だから逆に宗教の中でも違った形のものがあっても、同じところから始まっていると考えると、結局は何かに対しての、『らしさ』が共通点だと分かるんですよ。さっき言った私たちが宗教よりも宗教臭いと言った意味がお分かるになられると思ってですね」
と、校長はいった。
やはり、この人は話のツボを心得ている。いかにこちらが何を考えて居ようとも、ブレない気持ちがあれば、説得力はおのずと生まれてくるということを教えられた気がしていた。
校長は続けた。
「我々の教団に対しても、いろいろな誹謗中傷がネットに流れていることも分かっています。でも、誹謗中傷などはどこにでもあること。逆に組織が大きくなればなるほど、他人が土足で勝手に踏み込んできて。あることないことでっちあげる。そのため、さらに組織は勝手に踏み込まれないように、ガードを固くする。それが却って世間から不信感で見られてしまう。これって一種の負のスパイラルのようなものではないでしょうあ?」
という校長に対して、
「その通りだと思います。確かに組織が大きければ大きいところは、必死に内情を隠すように見えるんですよ。きっとそれだけの金銭的にも信用性も高いからできることなのでしょうが、世間一般の人には分からない感情ですよね」
と清水刑事がいうと、
「今、清水さんがおっしゃった『世間一般』という言葉、どういう意味なんでしょうね?」
と言われて、
「えっ? 世間一般というと、常識的な考えが一番当て嵌まることではないでしょうか?」
というと、
「じゃあ、常識的なこととは?」
と言って、さらに続けた。
「ねっ、そうやって疑問が疑問を呼んでいくんですよ。つまる、これも一種の負のスパイラルなのではないでしょうか?」
と、清水刑事の言葉が途切れた瞬間、間髪入れずにダメ押しをするかのように語り掛けてきた。
それにしても、負のスパイラルとはどういうことなのだろう? 負というイメージとは少し違っているような気がするのだが、校長は何のためらいもなく口にした。それを聞いていると、この教団が負のスパイラルという言葉と深い因縁でもあるのではないかと思うのだった。
もちろん、そこに何ら信憑性のようなものがあるわけでもない。ただそう感じるだけだった。教団というものがどういうものなのか、ただそれだけを知りたいと思っていただけなのに、他のことも知りたくなったのはなぜであろうか。
しかも。それは事件と何ら関係のないところでの心理であった。刑事として仕事で来ているのに、何を違うことを考えているのか、そこに自分の意志には関係のない何かが存在してると思えてならなかった。
――これこそ、洗脳なのではないだろうか?
まさか、こんなに洗脳というものが早く相手に影響してくるなどとは思ってもいないので油断していたが、普通の人なら、、まさかと思っている間に洗脳されてしまうのではないか。
そう思うと、洗脳という言葉の本当の怖さが分かってきたような気がする。
「相手に何かを考えさせたら終わりなんだ。だから電光石火のスピードは絶対い必要なことなんだ」
と感じた。
しかし、ゆっくりと相手の気持ちに寄り添うようにして相手を徐々に自分の方に引っ張り込んでいくやり方もあるではないか。逆にそっちの方が一般的に見える。しかし、実際に相手を狂わせるような、そして思い込んだらブレない気持ちを植え付けるほどの洗脳は、相手に悟られない電光石火によってしか生まれない。だから、誰にも見えないものなのだし、
「洗脳とは、誰にも悟られないものだ」
と感じさせるのだろう。
だから、本当の洗脳とは、
「これが洗脳だ」
と思っている一般的な考え方とは違う。
先ほど校長が奇しくもこだわった、
「世間一般の」
という表現がこの考えに繋がってくるというのを、校長は意識してのことだったのだろうか?
「ところで、ネットでこの教団のことを誹謗中傷している人がいるという話をされていたと思うのですが、それは皆さんの勘違いなんです。確かにひどい書き込みもあったと思いますが、我々に対しての誹謗中傷よりも、もっとひどいものがネットでは溢れています。だからと言って我々についてのひどい書き込みがなかったとは言いません。ただ、誹謗中傷というのとは少し違うということだけ申し上げたいのです」
と、校長はよく分からない言い方をした。
それは、漠然としたものの言い方をしているからそう感じたのか、それとも、校長がいうように、ひどいことは書かれているが、誹謗中傷として受け取っているわけではないということなのか、なによりも清水刑事が気になったのは、
「それはあなたがたの勘違いだ」
と言ったことだった。
勘違いとは何なのだろう? 事実だと認めているのに、そこに何の勘違いが含まれているというのか、それこそ言葉上の解釈の問題だというのか、それとも考えていることの焦点がずれていると言いたいのか?
校長に果たして清水刑事の考えがどこまで分かるというのだろう?
確かに世間一般という考えで、統計的な考え方で見れば見えてくることもあるだろう。しかし、ここまで校長の話を聞いていると、そういう統計的な考え方をしているようには思えない。
「誹謗中傷というのは、何なんでしょうね?」
と、思わず清水刑事の方から質問を投げた。
校長は、
「『根拠のない悪口』というのが、本当の意味なんでしょうが、根拠のないというのはまったくのウソとは言い切れないということでもあるんですよね。火のないところに煙は立たないと言います。根拠のないというのは、限りなくゼロには近いが、ゼロではないという思いの中にあるものじゃないんですか?」
というと、清水刑事は、
「そうでしょうか? 本当に根拠のないことって、ゼロのものもあるんじゃないですかね?」
と清水刑事がいうと、
「いいえ、本当にすべてがウソであれば、すぐに分かるはずです。でも、誹謗中傷された人が追い詰められて自殺をする場合など、誹謗中傷は結構長く続くことがあります。それはどこかに本当のことが混じっているからではないでしょうか? だって、それが是部がウソなのか、中には本当のことが混じっているかは本人にしか分からないでしょう? それに信憑性があるから、人は信じるんですよ。まったくウソだと最初から分かるようなことであれば、いくら面白がってもどうにもなりません。ゼロには何を掻けてもゼロにしかならないんですよ」
と、校長はいった。
「なるほど、確かにそうですね」
と言いながら、清水刑事は頭の中で考えを整理しようと思った。
「ですが、これを実際の被害者や、その関係者に直接言えば、その人のショックは計り知れません。それでも事実として受け止める気持ちがなければ、本当の誹謗中傷はなくならないと思うんですよ」
という校長に対して、