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誹謗中傷の真意

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 ほんの少しでもプライドらしいものが残っていなければ、虐待には耐えられなかっただろう。それも父親の計画にあったのかも知れない。父親自身がまわりからバカにされることで、息子が殻に閉じこもって、
「自分の悪行を決して表に曝け出すようなことはしないだろう」
 という計算があったのではないかという考えだ。
 だが、あの父親がそれほど頭のいい、計算高いことを考えるだろうか。
「いや、それを悪知恵と考えたのだとすれば、父親の考え方は確信犯に近いものに思えてくる」
 と、倉敷は考えた。
 倉敷は、自分が父親に対して抱いているのが憎しもなのか、それとも同類のようなものだと考えているのか。少なくとも今の倉敷にとって父親を思い出すことは、懐かしさという思いが深まっていることのように思えて不思議な感覚だった。
 自分のことを全否定した人を見ていると、思い出すことがなかった父親の影を感じる。父親の自分に対する虐待は、精神的な倉敷への全否定と同じではないか。
 どっちに足を踏み出しても、そこは地獄、全否定も、逃げることのできない虐待も、夢に出てくる光景は同じなのかも知れない。
 そういえば、何度も夢に見た、前にも後ろにも進めないという光景、それが虐待を受けている頃と、全否定をされている時に多かったような気がしているが、何しろ夢を思い出しているのであるから、そこに信憑性は感じられない。
 しかも、
「夢というものは、目が覚めるにしたがって忘れていくものである」
 という思いがあることから、余計にそう感じるのであった。
 予知能力も絡んで、夢との絡みはそのような感情を生むことになるのであろうか。
 そんな倉敷も、就職してから、自分では、丸くなったと思っていたが、思わぬところで人に迷惑をかけていたり、相手が何も言わないのをいいことに、自分の考えを押し付けるようなところがあった。
 就職してからの倉敷は、それまでの
「とんでもない男」
 というイメージとは裏腹に、結構大人しくなった。
 ただ、言動だけはたまに大きなことを言ってしまったり、過去のウワサがどこからか流れ出ているため、
「ほら吹き男」
 の異名を取るようにあった。
 しかし、これが、
「ほら吹き」
 というところで止まっていないのは、意味があるところで、男という言葉が後ろにつくと、本当のほら吹きではないということを表している気がする。
「ほら吹きもどき」
 とでもいえばいいのか、本当のほら吹きであれば、後ろに男はつけないものではないかと思うのだった。
 それだけに、少々大きなことを言っても、中には的中することもあるのだろう。その確率が彼も信憑性を評価できるところまできていないので、受け入れられないが、
「ほら吹き男」
 という異名も、一種の愛称としてつけられているとも考えられるが、それを倉敷は額面通りに受け取っていて、愛称という意識に至っていないのかも知れない。
 就職してから大人しくなったのは、一つは、大学生の頃までとまったく違ってしまったことが挙げられる。
 大学時代は実際に自由であった。
 しかし、その自由をそのまま堪能してしまうと、まわりに明訳を掻けても気にならない自分がいる。そのことに気付いて、ドキッとするのだが、その時は時すでに遅く、友達を失ってしまうことになっていた。
 それでも、友達はその連中だけではない。他にもたくさん友達はいて、
「他の連中とつるめばいいや」
 と、すぐに友達を失ったことを忘れてしまう。
 他に友達がいることで、反省したことまで忘れてしまうのだ。そうなってしまうと、友達がなくならない限り、ずっと同じことの繰り返しであった。
 だが、さすがにそんな中でも、どんどん減ってくる友達をふいに寂しく感じないこともない。
 特にまわりは、すでに倉敷を見限っている場合もある。そうなってくると、どこからか、倉敷の中傷するネット記事が出てくるのだった。
 元々あったのを誰かが見つけてくるだけなのか、それとも最初から見つけていて、誰も話題にしなかっただけで、いつかは明かされる運命にあったものを、その扉をあけたのが自分だということになるのだろうか。倉敷は考えさせられた。
 それを知った残っていた友達も次第に一人一人と自分から去っていく。それも、先を争うように去っていくのだが、それはきっと後になればなるほど、去ることが難しいと考えるからだろう。
 普通の相手であれば、いつ去ってしまおうがあまり関係のないことなのだろうが、倉敷のような相手であれば、きっと、最後は話してくれないという相手に対して信用できないという思いからそんな妄想に駆られてしまう。
 それだけ、変なウワサを流されたことで、倉敷は自分の信用を失墜させることになったのであろう。
 ウワサというのは一人歩きをするものである。
 そのウワサというのは、小学校の頃は苛めを行っていたということ。中学時代にはお金で繋がった相手をまるで奴隷のような扱いをしていたということ。そして、高校生になると、空くになった女生徒を略奪し、暴行したなどという、本当に、
「とんでもない」
 というような話であった。
 倉敷の記憶は、一番鮮明なのが、小学生の頃の記憶だった。親に迫害されていたという記憶とともに、自分がクラスで苛めをしていたことは鮮明なのだ。逆に中学、、高校の記憶はさらに古い記憶のように思え、どちらかというと、
「作られた記憶」
 というイメージが強く、実際のことのようには思えなかったのだ。
 それだけ記憶に残っているとしても、ひどい黒歴史になるということなのか、逆時系列が頭の中で発動されたのかの、どちらかであろう。
 そんな倉敷が三十歳になった時、自分に何が訪れるのか、本当に分かっていたのだろうか?

                ノア研究会

 その日、K警察署の刑事課は、落ち着いた雰囲気だった。この間までの事件が三日前に解決し、ここ二日間の間には、事件らしい事件も起こっていないので、刑事課では、ゆっくりした日々が続いていた。
 そんな中で、昨日は、近所の中学生が社会見学と称し、一日警察署内を見学するというイベントが行われていた。
「地域に愛される警察署」
 というものを目指しているK警察では、地元の学校などが警察署の見学に訪れるということは大事なイベントとして、結構行われている。こういう時には警察の広報も結構大変ではあるが、
「やりがいがあるよ」
 と後方の人も言っていて、それだけ後方としても、ある意味楽しい仕事だと思っていたようだ。
 刑事課の連中も、いつも犯人を追いかけてばかりで、しかもいつも悲惨な現場を目の当たりにさせられるというストレスのたまる仕事ばかりをしていると、中学生の真面目なまなざしを見ていると、何とも言えない新鮮な気持ちに陥ることを、実に気持ちいいと思っていた。
 刑事課の中には、中学英の子供がいる人もいて。
「まるで自分の子供から見られているようで、緊張するよ」
 と言っているが、その顔は実に楽しそうだ。
作品名:誹謗中傷の真意 作家名:森本晃次