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誹謗中傷の真意

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 大学時代に書いていた日記は誰かから自分を否定されたわけでもないのに、なぜそんな自虐的な話になっているのか、後になって読み返してみてもよく分からない。いかに子供の頃というものが、今の自分を意識されるものかを感じさせるような日記だった。
 その日記は、自分があたかも小学生の頃に戻ったかのような日記で、日記というより、もはや過去の歴史を書き連ねたものであった。何よりもビックリさせられたのが、
「よくそんなに昔のことを覚えているな?」
 という記憶力についてだった。
 今になって思い出しても、自分が過去を顧みて回想録のようなものを書いたという記憶はなかった。ただ、自分が何かを書く時に、想像して書いたその想像が、遠い昔の記憶であるかのように思っていたことは思い出された。しかし、それは子供の頃の記憶とは思えないほど、見たことのない場所に対して、遠い記憶だと感じただけだった。本当に自分の記憶なのかどうかも、分かったものではなかった。
 そんな日記の内容が自虐的だと思ったのは、その後に感じる全否定を、自分が日記で自分に対してしていた。それはまるで、
「全否定を自分が将来されるんだ」
 ということの証明のようであり、
「自分が予知能力でも持っているのではないだろうか?」
 と感じさせるものであった。
 予知能力を感じさせたのは、じぶんが 逆時系列を意識した時のことであり、それが減算法に繋がった時でもあった。一体何が自分を予知能力という発想に抱かせたのだろう?

               予知能力

 予知能力などというものを、まともに信じているわけではないくせに、客時系列の考え方が自分の考えであり、基準となるものが、減算法であると思うようになると、大学を卒業してからの自分に、予知能力が芽生えるのではないかという、まさかの、
「予知能力の予知」
 のようなものがあった。
 その時は自分に予知能力があるという意識はない。ただ、予感があったというだけだ。たったそれだけの意識が自分に土地能力を感じさせ、いずれ、
「自分には何かを予言できる力が備わってくるのではないか」
 と、少しウキウキしたものを感じさせた。
 そして、実際に大学を卒業してすぐの頃、
「俺には予知能力が備わったのではないか?」
 と思える時がやってきた。
 その時、自分の心に予知能力を感じさせる傾向として、
「百時系列の原点に立っている」
 をいう意識があった。
 将来、予知能力が備わると感じたその時点に、自分がた辿り着いた証拠として、逆時系列の原点が見えたのだ。そう思うと、これから感じる予知のようなものには信憑性があるということになるのであろう。
 その時に感じた未来の予感は、言葉に出すのもおぞましいようなことであった。
「どうして、よりによってこんなことを想像しなければならないんだ?」
 ということであった。
 それは何と、自分が殺される予知であった。
 その予知はまるで夢を見ているかのように、目の前に映像が映し出された。
「いや、夢を本当に見ているんだ。ただ、予知が夢というだけで、いわゆる予知夢というものであろう」
 と感じた。
 その夢を見た時、どれほどの汗を?いていたか、自分でもびっくりするくらいの汗だった。夢を見ている時に汗を掻くということは今に始まったことではなく、子供の頃からだった。
 一番酷かったのは、高校生の緒頃だっただろうか。着ているパジャマを絞れば、
「洗面器に水がたまるくらいではないか」
 と感じられるほどであった。
 その夢の中で見たもの。それは、自分にソックリな自分。性格にいえば、将来の自分であり、暗い誰もいない倉庫のようなところで転がっていて、床がしとどに濡れていた。それは雨でも汗でもない。もっとぬるぬるしたもので、ぬめりを伴っているのを見ると、近づくのも気持ち悪い。光がないのに、光って見えるのは、やはりそのぬめりを感じたからだろう。表面張力でかなり浮いて感じられるそのドロッとしたものが、鮮血であるということに気付くまでに少し時間がかかった。
「俺は死ぬことになるのか?」
 と俄かには信じられない夢である。
 そう、これはただの夢であって、断じて予知夢などではないと信じたい。そんな思いから、必死になって夢を否定していると、例の自分のことを全否定してくる先輩を思い出していた。
 だが、この夢を見たその日、会社に出社してみると、新たな主任が、他の部署から転属されてきていた。
 倉敷が入社二年目のこと、一年が経って、いよいよ研修期間も終わって本格的に自立という時期だった。
 研修期間というのは、本当は半年なのだが、この年はちょうど関連会社の倒産、他社からの合併などと、会社始まって以来の混乱だったこともあって、研修もままならない中、何とか一年で一人前になっていった。
 そんな時、今までであれば内部昇格の主任だったのが、他の部からの転属という普段とは違った人事になったのも、まだ会社が混乱していたからなのかも知れない。
 その新しい主任というのは、元から性格的に短期だということで有名な人で、同僚や一つ上の先輩などが、
「あの人や面倒くさい人だ」
 とウワサしていたことからも、波乱万丈であることは分かり切っていた。
 そのうちに、その主任を見ていると、かつての嫌な記憶が思い出された。
――この主任、誰かに似ている――
 と思ったがすぐに思いさせなかった。
 それもしょうがないことで、その似ていると思った相手の顔は、今から十数年前のものだっただけに、記憶の奥に潜んでいた意識を引っ張り出すことだけでも難しいのに、その記憶をよく結びつけられたものだと感じたのも、実に面倒くさいというだけの相手に似ているのも無理のないことだった。
 何とその人というのは、自分の父親、小学生の頃に自分を苛めていた父親の顔だった。その顔は、焦るということもなく、記憶の中で鮮明だった。
「親父を思い出すなんて」
 あの時の苛めは、実に陰湿なものだった。小間荒思い出してもたまったものではない。その腹いせに苛めっ子になったというのも、子供としては無理もないこと、それなのに、年齢を重ねるごとに、苛めっ子だったという意識はあるのに、自分が父親から苛められていたという意識は消えていた。
 夢で苛められていた意識があるのに、それが同級生から苛められていたという夢を見たことで、苛めていた自分が実はいじめられっ子だったのではないかなどという捻じれた意識が生まれたのも、父親から受けた迫害を思い出せなかったからに違いない。
 だが、思い出せないということに何か意味があるような気がする。
 苛められていたというのは、小学生の頃の一時期だけのことであり、自分が友達を苛めるようになってから、父親は自分にまったく手を出さなくなっていた。自分を見るその目がいかにも自虐的で、
「お前が苛めをするようになったのは、この俺のせいなのか?」
 とでも言わんばかりの様子に、自分が息子とどう対応すればいいのか分からないという思いを抱いているということを感じているようだった。
作品名:誹謗中傷の真意 作家名:森本晃次