短編集111(過去作品)
鏡を左右に置けば、無数に見えるのは分かっている。小さい頃に遊園地のミラーハウスに入って怖い思いをした。ホラー番組で鏡を怖いと感じたのとどちらが早かっただろう。鏡を怖いと思いながらも、誰かと一緒に入るのだから大丈夫だと思ってミラーハウスに入ったような気がした。そのイメージが自分を見つめる自分がいるというシチュエーションに繋がり、夢として見せたのかも知れない。
悩み事の原因は、自分を見つめていて起こることが多い。一人の自分が狭い目で見つめているのだから、なかなか結論が出るわけではない。それでも必死で結論を求めていると、気がつかないうちに、もう一人の自分を呼び出そうとしているようだ。
だが、それは夢の中で見た鏡に写った自分に他ならない。夢の中での考えと、現実世界では平行線になっているようで、どこまで行っても交わることはない。だからこそ、夢を見ていて、
――どうして、もう一人の自分が夢の中に出てくるんだろう――
と感じるのだ。実際には鏡に写った自分が無数にいるだけなのに、もう一人の自分が確実に存在していることを夢は教えてくれている。夢というのは覚めてから分かる部分と、夢の中でしか分からない部分とがハッキリと分かれているのだろう。
彼女との待ち遠しい時間を過ごし、実際に彼女が現れた瞬間、何か物足りなさを感じた。贅沢な悩みなのかも知れないが、
――もっと感動するものかと思った――
最初にそう感じてしまうと、何事も感動が薄くなる。しかし、それでもその日の最後に、
「大久保さんって話しやすい人ですのね」
と言われて、また舞い上がってしまった。次に会う日を約束し、その日は食事をして軽く呑んで別れたのだ。
もし、感動が想像通り、いや、想像以上のものだったらどうなっていただろう?
弘樹は考え込む方であり、しかも緊張してしまう方だ。緊張してしまい、
――口にしてはいけないことまで口にしたらどうしよう――
と感じながら話をしていたに違いない。案外と感動が薄く、
――こんなものか――
と感じている方がうまく話せるのだろう。
男が変な意識をしてしまったら、女性の方もどうしていいか分からずに、会話がぎこちなくなっていることだろう。それを思うと結果往来だったのかも知れない。
――運がいいんだろうな――
弘子との仲が、運のいいまま進んでほしいと願うばかりである。
将棋の布陣の話を思い出した。
お互いに相手を知らないと警戒心を持ってしまうものだが、きっと最初に感じた警戒心が一番強い警戒に違いない。少しずつ話をしていくうちに気持ちのどこかに相手を見るという隙が生まれ、見られることを厭わなくなる。最初が一番の難関と言えないだろうか。
しかし、油断は禁物である。下手に意識してしまって自分を見失ってしまわないようにしないと、相手に隙ができるということは、自分にもできるということである。絶えず見つめられているという意識を忘れてはいけない。意識過剰になるのもいけないことではあるが……。
会うたびに弘子に惹かれていく自分を感じる。弘子もきっと自分に惹かれていると思えてならない。
夢にも弘子が出てくる。一緒に歩いているシーンを思い浮かべるが、出てくるシーンは知ってる場所のくせに、どこか違和感がある。その場所は弘子と行くことはないだろうと思っている場所であるが、一緒に行ってみたい場所であった。夢から覚めるとそこがどこだったのか覚えていないが、
――本当に俺の知っている場所だったのだろうか――
と夢の中で見た場所を現実世界の自分は否定していた。
確か小さい頃に見たことがあったように思う。
――あれは絵だったのかも知れない――
記憶の中でどうしても立体感があったようには思えないからだ。ただ、絵だったとしてもまったく動かない光景に動いているものがあれば違和感を感じたはずなのに、夢の中では違和感は一切なかった。そこが不思議であった。
会社への通勤路、駅前に大きな絵が飾ってある。今度新しくできる百貨店の完成予想図らしいのだが、朝などは忙しくて気にしている時間はないが、仕事が終わっての帰りであれば、時々見つめながら歩いていた。ちょうど、西日も看板に当たるので、オレンジ色に光っていることで、結構気になって見つめている人もいたりする。
それでもなかなか立ち止まって見つめている人はほとんどいない。ただ、弘樹はたまに立ち止まって見つめていると、次第に建物が小さく見えてくる。絵の大きさに違いは感じないので、建物だけが小さく感じられるということは、遠くに見えてくるのではないかと考える。
しかし、そうではないようだ。遠近法で遠くに見えるのであれば、気になる一箇所一箇所が集中して濃く見えてきてしかるべきである。だが、実際に見つめていて、色が濃く見えてくる感じはない。そう思うと、遠くに見えているという考えは否定せざる終えないであろう。
弘子が出てきた夢で見た光景がまさしく同じ感覚であった。遠くに見えているようではあるが、色の濃さを感じない。
――そもそも夢の中で色を感じるのだろうか――
という疑問も出てくるが、景色が夕焼けだったのを覚えている。そう、確か草原が広がっていた。緑の深い草原であった。そこに西日が差し込んでいる。どちらが東で西なのかも分からないのに、なぜ夕日だと思ったのかと言われれば、
「駅前の絵に西日が当たるのが印象的だった」
としか答えようがない。
夢の中の世界とは潜在意識が作り出すものだという。意識の強い西日を思い浮かべるのが当たり前ではないだろうか。
弘子に夢の話をしたのは、かなり経ってからだった。付き合い始めが何となく曖昧で、思い出そうとしてもハッキリと思い出せない。
しかも、思い出したように夢の話をしてからすぐに、弘子とは別れることになった。
夕日のことが気になっていたせいか、話が夕日に終始していたように思う。
「君と一度も一緒に行ったこともないはずの場所で、しかも、俺自身にも記憶はあるような気がするのだけど、曖昧な記憶しかない場所だったんだ」
そう言うと、しばらく彼女は黙っていて、口を開いたかと思うと、
「あなたが分からないのも無理のないことだわ。でも、あなたが分からないのなら、私はあなたと一緒にいることはできないの」
「どういうことだい?」
「あなたは、今までに運のいい日と悪い日が交互に訪れていた時があったことの気付いているはずよね?」
「……」
何が言いたいのだろう?
「あなたは、自分が人に気を遣いすぎていることに気付いているのかしら?」
「時々、そんな風に思うこともあるね。それで損をしていることもあるんじゃないかって感じることもあるくらいだよ」
「そう……。でも、あなたは気を遣っているつもりでも、他の人に迷惑を掛けていることもあることに気付いていない人って、意外と多いものなのよ。だから、運が悪かったりよかったりするのは、そんなあなたへの警告だったり、戒めだったりすることもあるの。ああなたはもっと気持ちを大きく持つべきなのよ」
それからの話はあまり覚えていない。しかし、失恋したことだけは分かっている。
作品名:短編集111(過去作品) 作家名:森本晃次