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短編集111(過去作品)

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「でも、女性を抱きたいって思うんでしょう?」
「そりゃそうさ。だから、余計に冷めているように思えてくるのさ」
 露骨な質問ではあったが、大事なことだ。その時まで、まだ女性経験のなかった弘樹にとって、女性との交わりは神聖なものでなければならなかったからだ。
 中学の頃から、ずっと女性を見ている目の中に、嫌らしい視線があることに気付いていた。
――露骨かも知れない――
 と感じながら、女性を見ることは男の本能であって、本能にまで逆らって自分を戒めることをしたくないという考えが根底にあることで、少し自分に甘いところがあるとは思っていた。
 だが、本能を無視したり、おろそかにしていたりすると、結局自分の本質を見失ってしまうように思えてくる。それが嫌だったのだ。
 大学の頃、仲良くなった友達の中で、いつも本能について話すやつがいた。自分のまわりに集まってくる友達は、ほとんどが弘樹の考え方に興味を示していたが、同じ考えであるかどうかは分からない。居酒屋などで、気心知れた連中と話す時、砕けた話にもなるというもので、自然と話が盛り上がっていた。
 話の中心にいるのはいつも弘樹で、弘樹の考え方に皆がそれぞれの意見を述べていたのだ。格好の話題の肴だったに違いない。
 しかし、その中の一人に、弘樹とまったく同じ考えのやつがいて、話を盛り上げるのはむしろ弘樹というよりもその友達の方なのだ。時間を感覚が麻痺するようになったのは、彼との会話が最初だったように思う。
 その時に感じたのが、
――俺は孤独が似合うのかも知れないな――
 ということだった。
 友達数人で呑んでいて、話題の中心にはいても、所詮酒の肴にしかすぎないと思ったからだ。
 彼と二人で呑みながら話をしていると、お互いに一人の独立した人間同士の会話に感じ、それが孤独感に繋がると言う不思議な感覚を抱いていた。
 時々かけ離れた話題を出すことがあるらしい。本人は意識していないのだが、そんな時皆引いてしまう。
――自分の話に合わせてくれる人でないと、付き合うことはできないな――
 大学一年生の頃は、クラスで女の子に話しかけるのでも、あまり遠慮はなかった。むしろあつかましいくらいだったが、それが自分の長所だと思っていた。
 しかし、二年生になる頃に自分が話題の中心でなければ気が済まない友達を見ていて、
――俺にはあそこまではなれないな――
 と感じることで、あつかましくしていた自分を戒めたくなってくる。
 急に一年生の頃の自分が情けなくなってくる。だが、人に話しかけなくなると、これも自分ではなくなるという思いから、きっと友達の間での酒の肴になることを甘んじて受け止めていたのかも知れない。
 自己主張が強い性格であるにもかかわらず、酒の肴でもいいから中心にいたいという一見矛盾した性格をどう理解していい分からなかったが、結局何が自分であるかということを究極に突き詰めていくと、見えてくるものがあるというものだ。
 大学時代の自分を思い出しながら、彼女と呑んでいた。それまで女性と一緒にいることがあっても、何を話していいか分からなかった。
――何かを話さなければいけない――
 学生時代であれば、他愛もない話題からウンチクまで、自分に話題性が豊富だということが自信になっていたが、社会人になってみると、一歩踏みとどまっている自分がいるのだ。それでも話が終わる頃にもしっかりと打ち解けていて、
「明後日ここで会いましょう」
 という話題になっていた。気持ちは完全に有頂天で、忘れていた何かを思い出したような気がした。思い出した時期はもちろん大学時代で、まるでもう一人の自分がそこに存在しているように思えていた。いつだったか分からないような昔のことを思い出すことが最近は多いと思っていた弘樹だった。
 待ち遠しい気持ちの時というのは、本当に時間が過ぎてくれない。気持ちに余裕がないように思えるが、実際に楽しみな時間が近づいてくると、それまでのなかなか過ぎてくれない時間が、やたらとのんびりとしていたようにさえ思える。
 その時を中心にモノを見るからかも知れない。考えごとをしている時は時間の感覚が麻痺している。忘れっぽくなるのもそのせいかも知れない。特に考えごとが定まっておらず、飛躍していく考えの時は時間の感覚は非常に短い。しかし、考えごとが定まっていなくとも、ある程度までいけば袋小路のように考えが元に戻ってしまう時は、時間はなかなかすぎてくれなかったりする。
 考えが袋小路に陥る時というのは、悩み事をしている時が多い。自分に自信がなく、考えごとをしていても、理屈だけで纏めようとして、結局何も見えてこずに、また頭に戻ってくる。
 そんな時は得てして最初に考えたことが一番的を得ていたりする。
 将棋にしてもそうである。
 一番隙のない布陣というのは、最初に並べた位置だということを聞いたことがあるが、そう考えると、将棋の布陣から学ぶことも多いであろう。
 一つのことを考えていて、考えが元に戻ることが一番恐ろしい。前を向いて歩いているつもりでも、元の位置に戻っている夢を見たことがあるが、その時は汗をグッショリと掻いて目が覚めた。
 その時の夢の内容まではハッキリと覚えていないが、怖かったのは、最後に自分が夢に出てきた時だった。
 夢を見ている自分は夢の中では主人公である。鏡を見ない限り、自分を見ることができないはずなのに、夢の中とはいえ、自分が現れ、しかもその形相が、
「俺は何でも知っているんだ。何と言っても俺はお前なんだからな」
 と言っているように思えてならない。
 夢の中で、最後、自分が無数に見えた瞬間があった。それが恐ろしくて目が覚めたのかも知れない。
 鏡でしか見ることのできない自分の顔、その意識があり、怖いながらも自分の顔を見つめていると、その向こうにも自分の顔を見たような気がした。怖くなってさらに後ろを振り返ると、またしてもそこにはこちらを見つめている自分の顔。汗を掻くのも無理のないことだ。
 起きてから乱れた呼吸を整えながら考える。静寂の中に耳鳴りが聞こえてくるが、暗闇に目が慣れてくると、目の前に鏡があるような錯覚を覚えた。
 鏡を自分の前と後ろに置くと、自分の顔が無数に見えてくる。まるで分身の術でも使ったかのようである。
――分身の術というのは、鏡にヒントがあるのかも知れないな――
 などと考えると、どこか自分と鏡の間に何かのトラウマが存在しているのではないかとさえ思えてくる。
 子供の頃は鏡を見るのが嫌いだった。怖いくせに見たがりで、
「夜トイレに一人で行けなくなっても知らないわよ」
 と言われながらも見ていたホラー番組、案の定、トイレに行くのが怖くて、朝まで我慢したことが何度あったことだろう。
 鏡の中に白髪の自分が見えてくるようなホラー番組を見て、恐怖を感じていた。
 昔から鏡というのは神秘性のあるものだと考えられていたはずである。
――三種の神器にだって、鏡が存在するではないか――
 と感じたものだ。
作品名:短編集111(過去作品) 作家名:森本晃次