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短編集111(過去作品)

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 あまりアルコールを呑むことのない弘樹にとって、アルコールは気分転換になりうるものではないだろうか。後輩は、二年前まで学生だったこともあって、居酒屋というよりも、バーのようなところが似合う雰囲気だった。彼が連れて行ってくれたのもバーだったのだが、世界のお酒をそろえているらしく、アルコールに凝っている後輩らしい店だと思ったものだった。
 カウンターがメインで、奥にテーブルが二つほどあるが、十人は座れるであろうカウンターでも十分に落ち着ける雰囲気である。
 カウンター中央から少し奥の天井から、こうもりのようにグラスがぶら下がっている。ワイングラス、カクテルグラス、さまざまな形のグラスを見ているだけでも、気分転換になりそうである。
 調度は少し暗めだろうか、奥の壁にスポット照明が当たっているが、光が微妙に伸びて、グラスを彩っている。赤い色が見えたり青い色が見えたり、実にカラフルである。カクテル光線にしばし見とれていた弘樹を見ながら、
「なかなかいい雰囲気でしょう? 僕は学生時代からの贔屓なんですよ」
「だけど、俺はあまりこういう店には馴染みがないので、何を注文していいか迷うよ」
 小声で話しかけたが、後輩は笑顔をこちらに向けると、
「気にしなくてもいいですよ。何でも気さくにマスターに相談すればいいんですからね」
 おしぼりを手に、
「いらっしゃませ」
 と言って立っている男性がマスターであった。スリムで身長も高く、バーテンダーに似合いそうな男性である。
 顎から少し髭が見えているが、それもお洒落に見えてくる雰囲気のお店である。まだ午後八時前と時間的に早いのか、誰も客は来ていなかった。
「ここは手作りパスタがお勧めですよ」
 メニューを見れば、かぼちゃ麺やイカスミの麺があったりと、載っている写真を見ればいかにもおいしそうである。
 トマトソースのスパゲティしか食べたことがなかったが、クリームソースにオイルソースと、いろいろあるようだ。
「オイルソースでお願いします」
 魚介類のパスタを頼んだ。バーというところは、飲み物もさることながら、食事も個性があって楽しめる。居酒屋とはまったく違った雰囲気で、少し精神的にも若返った気がしてきた。
 何よりも高貴な気分がしてくる。贅沢な時間の使い方をしているようで、以前から馴染みの店がほしいと思っていたが、意外とバーなどいいかも知れないと感じていた。
 ちょうどパスタを食べていた頃であろうか。入り口から二人の女性が入ってきた。一人は大人しそうに後ろから入ってきたので、友達に連れてこられたという雰囲気に見えた。
「こんにちは」
 先に入ってきた女の子がマスターに挨拶すると、マスターも後ろの女の子を少し気にしているように見えたので、やはり初めてに違いない。
 彼女たちは少し離れたところに座って、ゆっくりメニューを見ている。マスターはニコニコしながら手は洗い物に忙しかった。
「幸子じゃないか」
 後輩が、最初に入ってきた女の子に声を掛ける。
「あら、久しぶりですね。お元気でしたか?」
「ええ」
 少し世間話になりかけていたが、どうやら常連の二人が久しぶりに出会ったという雰囲気のようだ。
 弘樹は一人取り残された彼女が気になっていた。最初から気になっていたと言ってもいいが、あまり喋らない女の子に話しかけるのは苦手な方ではない。
 話題性には豊富なのだが、まずはどんな話をすればいいか分からない。きっかけがほしいところだったが、その日はお互いに初めてのバーということもあって、お酒の話題が有効だった。
 あまりお酒の話を知らない彼女には少しの知識でも興味を示してくれる。だが、さすがに専門家の前で話すだけの話題を持ち合わせていないこともあって、さりげなく話題を別に変えた。
 変えた話題に彼女はさらなる興味を示してくれた。
 部屋の内装の話になったのだが、内装の歴史に関しては少しウンチクを持っている弘樹だったが、なかなか知っている人も少ないこともあって、この話題は大抵尊敬の眼差しを受けるだろうと想像していた。
 彼女の名前は弘子という。
「弘という字が同じ字なんですね」
 ここでもさらに興味を持ってくれたようだ。もはや、ちょっとしたことでも、大いに興味を持ってくれる彼女がいとおしく感じられた。
 彼女たちは、リフォームを中心としたチェーン店の販売をしているらしい。小物の販売の方なのであるが、一応の知識だけはある。
 彼女と話をしていて、初めて人と同じ時間を共有しているような気がした。
 今まで仕事をしていても、同じように机や、パソコンの端末に向っていても、やっている仕事はまったく違う。同じことを目指していても、お互いに流れがあって、自分の前の仕事をしている人もいれば後を受け継ぐ人もいる。それが仕事だった。
 だが、彼女との会話は、最初時間をまったく感じさせるものではなかった。気がつけば十時近くになっていて、他の客も増え始めていた。
 一度時間を気にしてしまうと、今度は五分おきくらいに時間が気になってくる。最初、あれだけ時間があっという間だったにも関わらず、五分刻みの何と長いことか。
 だが、話題に集中力が切れているわけではない。
――もっと長く話をしていたいな――
 と思いながら、もう一度一緒に話ができるような約束を取り付けたい思いに駆られていた。その話をするタイミングを何とか計ろうとしているが、なかなか思うようにはいかないものだ。
「時間が気になるんですか?」
 彼女の方が意識をしてくれている。
「ええ、結構な時間になりましたよね。また今度も楽しいお話をしたいものだと思いまして。またここでご一緒しましょう」
「私は明後日は空いてますわよ」
「僕も大丈夫です。明後日ここで会いましょう」
 意外と話の決着は早かった。約束を取り付けるまでに時間は掛からなかった。それから話は少し薄いものになったのだが、それは途中で中途半端に話を終わらせたくないというお互いの気持ちがあったからに違いない。
 今までに彼女と言えるような人がいなかったわけではない。弘樹にとって、どこからが彼女なのかという正確な境目が分かっていない。自分が付き合っていると思っていたにもかかわらず、
「あなたとはただのお友達以上に思ったことはないわ」
 彼女だという気持ちを表に出した瞬間、相手からそう言って罵られたこともあった。さすがにショックだったが、それから、自分の中で女性と仲良くなっても彼女だと思ってはいけないような意識が強まっていった。いわゆるトラウマというものである。
 女性を好きになるという感覚は、年とともに変わっていくものらしい。毎日一緒にでもいたいと思う女性、そんな女性が現れることを望んでいたが、実際に仲良くなって気持ちが最高潮に至ってしまうと、後は急激に冷めてしまう。
 そんな話をしていた友達がいたが、最初は信じられなかった。
「本気で好きになれるような女性が現れないからじゃないんですか?」
「俺も最初はそう思っていたが、どうやらそうではないらしい。自分の気持ちの高ぶり画すべてを左右していて、相手のことは関係ないようなんだ。大げさではあるが、それだけ自分が冷めた人間なのかって感じることもあるよ」
作品名:短編集111(過去作品) 作家名:森本晃次