短編集111(過去作品)
AB型というと貴重でありがたがられる血液のはずだが、あまり好かれる血液型ではない。
「一般的には二重人格らしいわね。しかも変態っぽいとまで言われたことがあったわ」
もちろん、里香のことを差して言っているわけではないのだろうが、あまりいい気分がしないのも当たり前である。それでもAB型というのは、本当に類は友を呼ぶらしく、仲間に後で聞いてみると、皆AB型だったことに気付いてビックリするらしい。中には気付いていても、
「話題にするのは気が引けて」
という人もいる。結構打算的なところがあるのもAB型だ。
冷静に考えることができて、世の中の矛盾に立ち向かう気持ちが強いのもAB型の特徴ではないだろうか。
それでも人のいうことを素直に聞くのもAB型で、下手に素直に聞きすぎて融通の利かない時もある。そういう両極端なところが二重人格に見られるゆえんなのかも知れない。
理想と現実の狭間で揺れる気持ち、これは誰にでもあるだろう。だが、他の血液型の人との次元の違いを感じる時がある。まわりに流されることを嫌うくせに、素直なところもある。どちらが本当の自分なのか分からなくなることもある。里香を見ていて、時々次元の違いを感じることがあるが、それはAB型同士でないと分かりえない感覚であった。
学生時代から一番変わったことは、音楽を聴かなくなったことかも知れない。
学生時代はロックやジャズ、クラシックと幅広く聞いていた塩崎だったが、里香と付き合うようになってからあまり音楽を聴かなくなった。鳴っていれば耳に入ってくる程度で、たまに懐かしさで、道を歩いていても立ち止まることがあった。
音楽は流行った時期の精神状態を思い出させてくれる。その音楽を聴かなくなったということは、少し寂しいのだろうが、そんな感覚はあまりない。それだけ日々を漠然と過ごし始めたのだろう。
物忘れも気になっていた。何がいつのことだったのか、平凡な生活を望みすぎているせいなのかも知れない。
物忘れは音楽を聴かなくなってから感じるようになった。よく聴いたのは、大学時代で、里香と付き合っている頃には、よく大学時代を思い出して聴いたものだった。
ロックを主に聴いていたが、里香はクラシックが好きだった。その影響からかクラシックを聴くようになるが、これが落ち着いた気分にさせてもらえるのがいい。仕事で疲れた時など、よくヘッドホンでクラシックを聴いていたものだ。
近所迷惑もあるので、大音響というわけにはいかない。そのためにヘッドホンは必需品だった。
そういえば、会社の近くにクラシックを聴かせる喫茶店がある。そこはクラシック専門店で、薄暗い店内はシックな佇まいを見せている。ソファーにも高級感があり、コーヒーも半端なものは置いていない。喫茶店としても高級感が味わえる。
里香と一緒に何度か行ったことがあるが、ついつい眠くなってしまう。音楽を聴きながら眠ってしまったこともあり、その度に夢を見ていたようだ。
いつも同じ夢だったように思う。目が覚めたすぐであっても、なかなか内容は思い出せない。
「俺、夢見ていたみたいなんだけど」
と、何となく不安になって里香に聞いてみるが、
「何かを追いかけているような雰囲気だったわよ」
という返事が返ってくるだけだった。
何かを追いかけている夢の記憶は時々あった。普段夜寝ていて見る夢は、目が覚めてからでも薄っすらと覚えていることがある。特に何かを追いかけているような夢などは、何を追いかけているかは別として、
――追いかけている夢を見た――
という感覚はハッキリとしたものである。
クラシック喫茶の店内が薄暗いので、表から入った瞬間は、まったく店内の雰囲気が分からないほど店内が黒く彩られている。次第に目が慣れてくると、雰囲気を堪能できるようになるが、睡魔に襲われる時はまた黒い彩が襲ってくる。
目が覚めるにしたがって、現実に引き戻される感覚がある。薄暗い雰囲気は感じるのだが、真っ黒ではない。グレーのような申し訳程度の明るさを感じるもので、明るいところで目を閉じたような見えていたものの残像が浮かび上がっている。
夢の世界の残像のようにも思うが、残像が残っていることで、却って夢を忘れてしまったのかも知れない。不思議な感覚である。
睡魔に襲われるのは、気分が落ち着いてきて、精神的に余裕が生まれた時か、疲れ果ててしまっている時に多いのだろう。まったく違う感覚のようにも思えるが、実は共通の感覚なのかも知れない。
里香と愛し合った後に訪れる憔悴感、意識が朦朧としているわりには、身体だけが敏感になっている。朦朧とした意識の中で満足感が溢れている。気持ちを一点に集中させて爆発させるエネルギーは、虚脱感と満足感を運んでくるものだ。
身体全体で風を感じる。締め切った部屋の中でも風を感じるのだ。身体の汗が乾ききらない状態の時に感じる風は心地よい睡魔を誘う。汗が引いてくる頃には、すでに夢の世界に入り込んでいることだろう。
夜寝ている時であれば、目が覚めた時、自分の部屋で寝ているのを予感しながら目を覚ます。しかし、自分の胸の上に寄り添っている暖かい身体を感じながら目を覚ます時は、真っ暗な部屋にいることの違和感が襲い掛かってくる。
違和感が気持ち悪さに繋がるわけではなく、最初に眠りに就いた時の精神状態のまま目が覚めることで違和感があるのだ。目が覚めてから感じる風の心地よさに、初めて違和感が解消されていた。
――人を好きになるという感覚が分からなくなってきた――
と感じるようになったのはいつからだっただろう。
里香と愛し合った後に襲ってくる睡魔は今までと変わらないが、目が覚めた時の感覚の違いが今までの違和感ではなくなったことが原因かも知れない。
感覚的なものなので、その時の環境にならないと分からない。横で寝ている里香を見ながら目を覚ます時は、その時の心境しか分からない。どこかが違うと感じるのは、完全に目が覚めてからのことだった。
それまでなかった頭痛が襲ってくる。
確かに中途半端な睡眠の後、目を覚ましてから頭痛に苛まれることはあったが、横に里香がいる時に感じたことはなかった。それだけ熟睡していたからなのかも知れない。
夢も見ていないように思う。見ていたとしても、前に見たのと同じ夢、それだけに時の流れを感じない。違和感がないのはそのせいかも知れない。
――自分だけを置き去りにして、時間だけが進んでしまった――
というおかしな感覚もあった。
夕方になると、やたらと人恋しくなってくる。学生時代の方がその傾向が強かったが、夕焼けを見ていると、お腹が減ってくる感覚と同じで、人恋しさがこみ上げてくるのだった。
人間の中には食欲と同様に性欲があるのだが、お腹が減ると同じく、性欲も満たされたくなるようだった。
わがままな間隔が自分にあるのは、きっと父親が酔っ払って愚痴を零しているのを見たことがあったからだ。あれはまだ塩崎が小学生の頃だったので、父親が四十歳前半くらいではなかったか。
作品名:短編集111(過去作品) 作家名:森本晃次