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短編集111(過去作品)

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 一ヶ月前にちょうど彼女と別れたのだが、その時のショックたるや、今から思い出しても胸を締め付けられるようであった。
 初めて真剣になった女性だった。名前を里香といい、真剣に付き合うことで充実感を感じさせてくれる女性であった。
 何よりも自分が考えていることを自然に出してくれるのがいい。雰囲気を整えてくれているので、こちらが気を遣うこともない。
 里香にとって塩崎は、塩崎にとって里香は、そばにいるだけで自然だった。待ち合わせをして待たされても、待たされた気がしないくらい落ち着いた気分になれる。
「本当に来てくれるのだろうか?」
 などという心配は一切なく、本当に来れない時は携帯電話のメールで知らせてくれる。それがないということは、ちゃんと向っている証拠であったからだ。
 食事をしてそのまま別れる日もあったが、お互いに身体を重ねることが多い。そのまま別れる時も寂しさは若干あるが、それだけのことである。
 それでも次の日に会う約束は暗黙の了解となっていた。前の日の分まで気持ちを高ぶらせての身体は十分に火照っていて、燃えている。気持ちよりも身体が先行してしまう時間が長く感じられたであろう。
 里香を抱いていて感じられたのは、的確に求めているところが分かることだった。
――他の女性でも分かるのだろうか――
 と考えてしまうほどで、他の女性を抱いたとしても違和感はないかも知れないが、その気はなかった。不思議なものである。
 ベッドの中ではメガネは外している。外したまま、目の前の女性を愛撫し、身体の震えを感じる。
 以前のメガネに比べて今度のメガネは嵌めているという感覚が薄い。だが、耳に当てている部分をテンプルというらしいが、そこが締め付けられるような思いがあった。耳宛のストッパーにと、少し膨らみを持たせているらしいが、そこが何となく気になってしまっていた。
 里香の瞳が潤んでいる時、あまり顔を見ないようにしている。なぜだか分からないのだが、見るのが怖い感じがしているのだ。
 そのことを今までに何も言わなかった里香だったが、最近になって、
「どうして見てくれないの?」
 あどけない表情で見つめていたのを思い出すと、その時から別れを意識していたのではないかと思えてならない。
「いや、何となく照れ臭くてね」
 本心ではない。怖いから見れないとしても、何が怖いのか分かっていればまた気持ちも違うのだろうが、漠然としているだけに、どんな顔をすればいいのか分からないからだ。
「そう……」
 と溜息交じりで呟いた時、やっと里香の顔を直視できるのだった。
 そんな時の里香の表情には何とも言えない寂しさがあるが、それ以上にいとおしさも感じていた。思い切り抱きしめたくなる瞬間でもあり、身体の奥から熱いものが湧き出してくるのを感じている。
 そこからは、部屋の中に漂っている空気に湿気を感じ始め、里香独特の匂いが充満してくる。
――里香の匂いってどんな感じだったのだろう――
 付き合っている頃は、その日別れても、次の日以降もベッドの中で感じた里香の匂いを思い出せたものだった。次回にもう一度里香の匂いを感じるまで、ずっと残っていたのである。
 再度里香の匂いを感じると、若干の違いを感じた。それが新鮮であり、時間の経過とともに、意識している匂いが自分の中で変わってきているのではないかと感じられた。何度も彼女の匂いを感じる瞬間、匂いの違いを新鮮に感じているのに、元々匂いが変わったわけではないことが分かっているのも相手が里香だからではないだろうか。
 里香が別れを決意してからのことだろうが、塩崎にも里香の匂いが微妙に覚えられない感覚に陥っていることを感じていた。匂い自体が違っているのである。
 確か、里香に最初感じた香りは香水の香りだった。バラの香りを感じたのだったが、それはまだ里香の身体を知る前だった。
 初めて里香と身体を重ねた時、その時から里香は柑橘系の香りの香水をつけていた。甘い香りばかりを感じていたのだが、甘い香りには、どこか相手の侵入を許さないガードの固さを感じていた。
――甘い香りは嗅覚を麻痺させる――
 きつい香りではないのに、どうしてなのか分からなかったが、柑橘系の香りのきつさの中に開放感を感じることができたからかも知れない。それこそ、里香の暗黙の了解だったのかも知れない。
 里香にとって塩崎はどんな男性だったのだろう。
 普段はあどけない笑顔が特徴的で、あまり真剣な話をすることはなかった。お互いに難しい話を避けていたところがあり、きっと里香が塩崎と付き合う前に付き合っていた男性の影響があったに違いない。
 たまに呑みに行くと普段はそんなことはないのだが、前に付き合っていた男性のことを口にすることがあった。
「彼は現実的なところがあったの。現実的なのは悪くないんだけど、すべてを自分の型に嵌めてしまおうするところがあるのよね。それでも全面的に頼れるところがあればいいのに、どこか頼りないところがあって、それで、あまり難しいお話をする人は生理的に受け付けなくなったの」
 と言っていた。いつも馬鹿話ばかりというわけには行かないが、難しい話をすることはない。それだけ阿吽の呼吸が存在していたに違いない。
 痒いところに手が届くタイプの女性だった。
 それはベッドの中でも同じで、何も言わなくとも、してほしいことが分かるようだった。
「あなたは、普段から分かりやすいタイプですものね」
 そう言って微笑んでいた。
「分かりやすい方がいいだろう?」
「ええ、もちろんそうよ。でも、少し秘密めいたところがあるのも男としての魅力かもね」
 これは里香がカマをかけたのかも知れない。塩崎がそんなタイプの男性ではないことは、分かりきっている里香だった。
 結婚を考え始めたのは、最近だった。付き合い初めてから四年も経っていた。普通の女性だと、痺れを切らす時期だったはずだが、里香は決して焦ることはなかった。里香も結婚が気にならないわけではないだろうが、焦ることをしなかった。
 しかし、今から考えれば、焦ることがなかったのは、付き合っていた相手が塩崎だったからである。塩崎以外の男性であれば、まわりの雰囲気からも結婚を考えるはずである。塩崎と里香の関係は、他の人が考えているような一般的な付き合いではなかったのかも知れない。世間一般の付き合いだと思っていたのは、当人二人だけだったに違いない。
 里香は、友達の多い方ではなかった。物静かで、人見知りするタイプだったので、気が合う友達は限られていたようだ。それでも、
「類は友を呼ぶっていうのかしら。学生時代なら、講義室の最前列でノートを取っている数人の中にいるグループのような感じなのよ」
「そうなの? 実は俺の友達もそんな感じなんだ。しかも聞いてみると、皆血液型がAB型っていうじゃないか。ビックリだったよ」
 付き合い初めてからかなり経ってからの話だったが、それまでに血液型の話などしたことがなかった。女の子なら気にするのではないかと思っていたが、それもその時の話で理由が分かった。
「実は、私たちの友達も皆AB型なのよ」
 苦笑しているのが分かる。
作品名:短編集111(過去作品) 作家名:森本晃次