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短編集111(過去作品)

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血の匂い



                血の匂い


 仕事からの帰り、いつも乗る電車よりも一本早い電車に乗ることができた。まだ西日が差し込む時間帯、さすがに学生の姿が目立っていた。
 席に座らずに窓際でたむろしている連中、自分が学生の頃を思い出すが、どこか雰囲気が違う。
――俺たちの方がもう少し賑やかだったように思うが――
 と、塩崎省吾は感じたが、感じるが、なぜか存在感を感じてしまう。
 学生服に秘密があるのか、スーツ姿のサラリーマンよりも学生服姿の男子学生の方が変に気になる。何を考えているか分からない雰囲気すら感じる。
 だが、何を考えているか分からないのは、サラリーマンの方である。新聞を読んでいる人、ただ表を見ている人、携帯電話を弄っている人、さまざまである。学生のように数人でいることはなく、そのほとんどは自分を含めて単独だ。
 スーツの色は紺だけではなくグレーも主流なので、学生服のように統一されていないことが学生服を目立たせる秘密になっているのかも知れない。しかも、学生は身体も大きく、成長期のためか、ニキビ面の連中を見ていると、どこか萎縮してしまいそうになる。
 塩崎にとっての学生時代、あまり明るい記憶はない。グループを作れるほどの友達はいたのだが、どこか孤独感を拭えないところがあり、友達と一緒にいたくない時期があったのを覚えている。電車の中で一人乗っていると、毎日同じ光景なのに、窓の外を見ていないと我慢できない心境に陥ってしまっていたりした。
 流れる車窓の風景を分かっているのに見てしまうのは、風景そのものよりも、見ていると思い出すことがあるからである。同じ光景を見ていても、その日その日で考えていることや思い出すことが微妙に違っていたりする。それほどいろいろな思い出があるわけでもないはずなのに、不思議な感覚であった。
 子供の頃から電車に乗ると、必ず窓際に乗っていた。単純に表を見ているだけではなく、いつも何かを考えていたように思う。
 友達とのこと、家でのこと、学校でのこと、その時々で違っていた。
 中学に入ると、学生服の女の子が眩しく感じられるようになる。今でも女学生の制服にはドキドキするものがあり、コンプレックスのようなものがある。しかし、数人で賑やかに話をしている女の子たちが鬱陶しく感じられるのは、子供にしか見えないからだ。
――いつの間にか憧れを通り越してしまっている――
 学生服を見ていて、そう感じるのは自分が年を取ってしまったせいだろう。
 まだまだ三十歳になったばかり、これからだと思う反面、学生時代ではなくなってしまった時に感じた一抹の寂しさを思い出していた。
 中学時代から視力が急に悪くなり、メガネを掛けていることが女性にもてない理由だと思っていた。確かに今から高校時代くらいの写真を見ると、本当に暗そうな雰囲気が滲み出ている。学生服が余計にそう感じさせるのであろう。
 最近メガネを変えた。それぞれの目で視力がかなり違っていたからである。見える世界が変わってしまったかのように感じられるほど左右で違っていて、慣れてくると見えている世の中が狭く感じられるようになっていた。
 その分、遠近感に奥行きを感じるようになり、
――これが本当の見え方なんだな――
 と思うようになっていた。
 学生時代から車窓に興味があったのは、遠近感を意識していたからで、近くに見えているものは一気に視界から走り抜けてしまうが、遠くに聳えている山は、いつまでも見えている。時々視線を近くにしたり遠くにしたり、さらには全体を見渡したりすることで、考えていることが違ってくるのだろう。
 だが、さすがに同じ光景ばかり見ていると飽きが来るものである。飽きが来ると二度と見たくなくなってくる。席を替えても同じこと、しばらくは、本を読むことで気を紛らわしていた。
 メガネを変えたことで、まわりがよく見えるようになると、今まで車窓にしか興味がなかったのに、車内が気になってくる。学生が気になるのもそのせいかも知れない。
 その日は、少し蒸し暑く、クーラーも効いていた。空いている席があるのに、座ろうとしない人もいて、窓際には数人の人が立っていた。
 女性が一人で立っているのを見かけると、いろいろな想像をしてしまいそうな自分がくすぐったく感じる。髪が長く、白いワンピースに身を包んだ女性は、携帯電話を弄っている。こちらからは顔は見えないが、思ったよりも老けていそうに見える。言い方は悪いが若作りをしている。似たような女性を昨日も見かけた気がしたからだ。
 その女性は降りる駅が同じで、ホームに滑り込む少し前から出口に向う習慣の塩崎は、その時に女性の顔を見た。
――なんだよ、若作りじゃないか――
 と少し失望したが、勝手に若いと想像した自分のことを棚に上げて言える立場ではないはずだ。
――これもメガネを変えた影響かな――
 と苦笑せざる終えない気分になり、さらにこそばゆさを感じる。ホームへ降り立ち、改札への階段を昇り始めると、何やら視線を感じる。その視線が誰のものかは分からなかったが、後ろを振り返ると、先ほどの女性が階段を上がってくるのが見えた。
 その時は気にせずに改札を抜けたが、それ以降は振り返ることもなく家路へと急いだ。別に帰っても何が待っているというわけでもなく、締め切った部屋にたっぷりと湿気を吸った空気が待っているだけである。一人暮らしの寂しさを感じさせられる瞬間でもあった。
 それでも一人暮らしは自分が望んだことであった。
 実家から遠くはないので、通勤しようと思えばできるのだが、干渉されたくないという思いと、自由を感じたいという思いとで、一人暮らしをすることにした。何かを期待していたはずなのに、今では何を期待していたのか忘れてしまったが、今さら実家に帰りたくはないというのが正直な気持ちであった。
 メガネにしてもそうである。慣れてしまえば、前のことは覚えていないが、前と同じ環境になっても、絶対に心境は違うはずである。前よりも悪くなっていることは間違いないだろう。
 メガネも悪いなりに慣れてしまっているので、視力を合わせると最初は遠近感が取れない。次第に慣れてきて遠近感が合ってくるのだが、ただ慣れただけではなく、無意識にだが慣らすように身体が勝手に反応している。狭くは感じられるが、奥行きを感じてくる。奥行きが遠近感を操作し、「見えている」という感覚を与えるのだ。慣れてしまう前に前のメガネを掛けてみると、すでに視力が進んでしまっているので、ほとんど見えない状態である。新しいメガネに慣れるまでのしばらくの間、我慢しなければならない時間であった。
 その期間が長ければ長いほど不安になり、後悔の念が襲い掛かってくる。若いうちに多いのだろうが、
――まだまだやり直せる――
 という無意識の感覚があるから、ネガティブに考えることはないのだろう。余計なことを考えるくせに、無意識に感じなくてもいいことを理解していることもある。それが分かったのも最近のことであった。
 メガネのフレームを変えたのは、視力のことがあって、必要性に迫られたのが一番の原因ではあるが、気分転換にもなっていた。
作品名:短編集111(過去作品) 作家名:森本晃次