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短編集111(過去作品)

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 恥ずかしがり屋の先生をじっと感じていられるのは美術室だけであった。他の場所で会っても、美術室で感じる先生への思いが浮かび上がってこない。
 廊下ですれ違っても柑橘系の香りを感じることができる。間違いなく美術室で感じている柑橘系の香りである。
――まさしく先生の匂いなのに――
 と感じるのだが、何かが違うのだ。
 美術室の雰囲気なのか、それとも絵の具の匂いも一緒に感じなければ、意識が強くなることはないのか分からなかった。
――いや、それだけではないのかも知れない――
 最初に柑橘系の香りを感じたのが美術室だった。人間、最初に感じた時のイメージが一番強く残っているものである。目を瞑って意識を集中させてみても、美術室でなければ効果はなかった。
 柑橘系の香りが好きになった直之は、先生が好きだったことが原因だったことを分かっている。同級生の女の子には興味が湧いてこなかった頃だったので、ただの憧れだったのかも知れない。
 先生の雰囲気は明るい中に大人の雰囲気があった。化粧も派手で、身体もグラマーだったこともあって、まるでモデルのような雰囲気を醸し出していた。
「ちょっと天然なところがあるが、あのセクシーな身体はすごいよな」
 と言うと、
「そのギャップがたまらないんだよな」
 と返す友達の会話を耳にしたことがある。
 自分が心の中で思っている先生を、下品な会話で汚されたような気がしたので、自分からは決して先生の話題を口にすることはなかった。先生の話題が出るたびに、心の中で、
――お願いだから、やめてくれ――
 と叫んでいた。
 確かに派手で、そのくせあどけなさの残る天然性にはギャップを感じる。しかも匂いが柑橘系というのも直之にしてはギャップであった。それは母親を思い出すからだ。
 小学生の頃、自分の噂話をする母親が嫌いだったが、中学になって思うと、
――それも僕を思ってのことなんだよな――
 と思えるようになっていた。我ながら、
――大人になったな――
 と感じるが、罪のない言動はあどけなさ、子供っぽさを感じる。しかし、恰好は誰にも負けたくないとばかりに派手な恰好をしていた。さぞかし化粧にかなりの時間を掛けたに違いないと思っていた母親がしていた香水はバラの香りである。
 母親とは年齢的にも似ても似着かぬ先生ではあったが、
――お母さんの若い頃って、案外先生のような雰囲気があったのかも知れないな――
 そう考えると、自分が先生に惹かれたのも分からなくはない。
――いやいや、僕はマザコンではないんだ――
 小学生の頃に、母親の自慢話のせいで、友達からマザコン扱いされたこともあった。短い期間ではあったが、その思い出が強いため、一時期バラの香水が嫌になったことがあったのも事実だった。
 先生の中に母親を見ていたなどとは今でも信じられない。だが、それを打ち消すのが柑橘系の香りだった。
――もし、バラの香りが先生からしていたなら、先生を好きになったりはしなかったはずだ――
 と思える。母親と違う香りがあるからこそ、母親にないところばかりが見えていたのだが、先生の雰囲気が掴めてくると、思い出すのが母親の雰囲気だったのだ。
 しばらくして、直之も女性への興味が現れてきた。クラスメイトの女の子が気になり始めたのだが、彼女は母親とも先生ともまったく違った雰囲気を持った女の子だった。
 先生も母親もどちらかというと分かりやすい性格だった。
 派手ということもあれば、香水の香りが雰囲気を醸し出していたからである。だが、好きになったクラスメイトはほとんど特徴は何もない。クラスでも目立つこともなく、ほとんど無表情である。クラスに一人はいるであろうまるで石ころのような存在。どうして彼女を意識したのかきっかけでもなければありえることではなかっただろう。
 クラスで時々ある席替え、彼女と隣り合わせになった。相変わらずの無表情に、こちらは無視を決め込むしかなかったが、
――相変わらず無愛想だな――
 くらいにしか感じていなかった。
 ある日、教科書を忘れてしまった直之は、仕方なしに彼女から教科書を見せてもらったのだが、その時嫌々ながら、
「ごめん、教科書忘れたので、見せてもらっていいかな?」
 と相手を探るような目で見た時、
「いいわよ」
 と二つ返事だった。しかもその時の表情は満面の笑みを浮かべていたのだが、今まで想像していた彼女からは想定外の笑顔だった。何か楽しいことでもあったのかと思えたが、たかがそれだけで満面の笑みを浮かべるような彼女ではないと思えた。
――ひょっとして、俺に気があるのかも――
 と思ったとしても無理のないほどの笑顔。今までに感じたことのない相手への思いが、切ない気持ちであることに気付いたのはしばらくしてからだった。
 こんな気持ちで女性を気にすることもある。
「初恋なんて、何がきっかけになるか分からないよな」
 大学に入って友達が話していたのを聞いて、彼女への最初の気持ちがなんであったか、すぐに思い出していた。切なさを感じることができたならば、それが女性を意識した最初なのだ。
 彼女からの香りはあまり感じなかった。感じなかったからこそ、好きになったのかも知れない。
 柑橘系の香りは先生独特のもので、誰にも冒されたくないという思いが強く、バラの香りは母親のような大人の女性にだけ似合うものだというイメージが強かった。
 バラの香りは決して好きではない。母親を好きになれないのは、大人の女性として見ているからかも知れない。
 相手が肉親である母親、絶対に女性として見てはいけない存在だからこそ、バラの香りを遠ざけるようになったのかも知れない。
 バラの匂いを嗅げば気持ち悪くなることもあった。満員電車の中で、時々感じる匂いの中にバラの香りがあった。二駅ほどで電車から降りるので、窓際にいることが多く、それほどきつく感じたことはなかったが、何度か気を失いかけたことすらあった。
 それも高校時代だったので、彼女を意識する時は、匂いを感じないようにしていたといっても過言ではない。
 匂いに関しては、タバコの匂いを毛嫌いしていた。
 元々父親が吸っていたのだが、直之が中学に上がる頃にバッタリとやめてしまった。
「会社でもどこでも、今はタバコを吸っていると、毛嫌いされるからな」
 という父親のセリフを聞いて、母親が喜んだのも分かるような気がする。
 父の書斎はいつもタバコの煙で充満していた。小学生低学年の頃までは、タバコの匂いがそのまま父親の匂いだと思っていたこともあり、それではなかった。むしろ、
――タバコの匂いがして当然なんだ――
 と家ではタバコの匂いの必然性を理解していたのだ。
 タバコを吸っているときの父親を見ていると、どこかイライラしているように見えて鹿がなかった。眉間にしわがより、いつも難しい顔をしていた。きっと考え事をしていたに違いない。
 タバコは吸い始めるとくせになることは小学生でも知っている。それがニコチンというものによるものであるということを知る前に、父親の難しそうな顔を見ていると、
――あんな顔をしてまで、どうして吸いたいんだ――
 と子供心に大人のすることが分からなかった。
作品名:短編集111(過去作品) 作家名:森本晃次