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田中よしみ
田中よしみ
novelistID. 69379
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ウラバンナ(青春紀ー1)

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柊は人目を気にすることもなく右腕に手を絡ませてきて、私の目線の先を見て言った。お試し交際にしては大胆だと思ったが、柊は何のこだわりもなく恋人の役を演じ切っていた。
「池澤ですよ、あいつも此処に来ると言っていたので……」
柊との二人連れは近所の人の目がある中で照れ臭かったが、その一方で柊と寄り添った姿を見せつけたい思いもあった。
「池澤君なら、ほら、あそこにいるよ」
池澤捷一も二人に気がついて団扇を振っていた。彼は私の柊への気持ちを知っていたので、気を利かして傍には寄って来なかった。

「昨日、わたしの浴衣姿を見た時に様子が変だったけど、何かあったの?」
柊は踊りを見ながら、思い出したようにポツリと言った。
「別に何もないよ……。ただ、柊さんの浴衣姿を見て圧倒されただけだよ……今もそうだけど……」
柊の浴衣姿は薄明かりの中でも若者たちの関心を集めていたが、私には若者の目に柊を晒すことが気がかりでもあった。
「それって、どういうこと? 昨日は私を一生大事にするって言ってなかった? 彼氏なら言ったことに責任をもちなさいよ……、そういう揺らぎは彼女を不安にさせるよ……」
柊が年下の彼氏に躊躇していたのも、こういう不安定な男心にあったのかもしれなかった……。

 仮装行列が始まると、母がキツネの面を二つ持って来て飛び入り参加を頼みに来た。母は婦人会の役員をしていたが、踊りの輪が出来るまでのサクラの依頼だった。
「小母ちゃん、浴衣、ありがとう。裄丈も身丈もぴったりで色柄も気に入っています。あっ、それから、孝ちゃんが馬鹿はしないと約束してくれたので安心してください……」
全ては母・渡辺夫人・柊の画策したストーリーに乗せられていたのである。
「柊ちゃんの言うことなら効くようようだから、これからも教えてやってね。柊ちゃんの浴衣姿は青年団の中でも評判よ。背丈もあるし、色白で美肌だから濃紺の生地が合っていたのよ」
最初から渡辺夫人に代わって私が柊に同行することになっており、私だけが蚊帳の外に置かれていたのである。
「柊ちゃんはお姉さんよりも大きいから、実寸を測っておいてよかったわ。それじゃあ、暫くこのお面をつけて踊っていてね」
母は私を無視して柊に言い終わると、婦人会の溜まり場に戻って行った。
「オフクロに余計なことを言うなよ……」
「ぶつぶつ言わないの。いい、孝ちゃんもわたしと一緒に踊るのよ、逃げたら
お試しがどうなるか分かっているわね……」
女キツネの面をつけた柊は私の不満顔を無視して、半ば脅しながら腕を引っ張って踊りの輪の中に連れて行かれた。

 ヤマ(炭鉱)は既に閉山が決定していたが、依然として赤旗を掲げて労働争議が続いていた。炭鉱の景気は当の昔に萎えていたが、皮肉にも盆踊りは相変わらずの炭坑節で盛り上がっていた。それはある意味で住民がヤマの苦悩に寄り添っていなかったのだと思った。
私は久し振りの盆踊りに照れくさかったが、男キツネの面をつけていたので何とか踊れた。二人にとってこれが人生最後の盆踊りになるとは思いもしなかったが、その時には時代の転流を知る由もなかった。
高度経済成長の影響で田舎も住民の流動化が加速していき、部落の結束の箍(たが)は緩んでいった。地元の若者は故郷を捨てて都会に出て行き、部落には新しくできた工場の労働者など余所者が流入して素性も知らない住人が増えていった。
経済合理性に沿わない青年団や婦人会などのボランティア活動も先細りになっていき、盆踊りなどの地域の伝統行事を支える基盤が崩壊していった。

 柊の囮作戦が功を奏したのか、誘蛾灯に集まるしろばんばのように若者が集まり賑やかになった。
サクラの役目を終えた二人は会場から抜け出して境内の露店に向かった。人混みでいつの間にか柊の手が逸れていたのでキョロキョロと見回していた。
「おい、柊さんをちゃんとガードしないと駄目だろう……」
女キツネは背中越しに肩を叩くと、有無を言わせずに私の腕を取って露店の射的場に連れて行った。
女キツネは射的でガラス細工の青い指輪を狙っていた。
「孝ちゃん、お願い、あの青いリング落として」
私が運よくリングを射落すと、柊は余程指輪が欲しかったのか、私の腕を握り締めて喜んだ。
「さすが、わたしの彼氏ね。ねえ、そのリングを指につけてくれない!」
柊が左手を出してきたので、私は何も知らずに青いリングを薬指につけていた。
「孝ちゃん、ありがとう! このリング、一生大事にするね!」
昨日柊に告白した言葉をそっくり返してきたが、例え玩具のリングであっても”一生”という言葉の響きに酔っていた。

再会の約束
「柊さん、盆はもうすぐ終わりだけど、今年の盆はいい想い出ができた?」
盆の明けまでこのまま眠らないで秋津柊の傍で過ごしたいと思ったが、それだけ名残惜しさに胸が熱くなっていた。
「孝ちゃん、まだ盆は終わっていないわよ」
柊は家に着くと朝顔の長椅子に座った。毎朝、紫の花を咲かせていた朝顔も下の方は花が枯れ落ちて実をつけていた。柊は茶色になった朝顔の実を摘んで浴衣の袂に集めていた。
「盆明け後に、俺が正式に交際を迫ったら困る?」
孝夫は最後の思いを遠回しに口にした。
「……付き合ってみて孝ちゃんのことが少し分かってきた気がするよ……。でも今は部活もあるし卒業すれば直ぐ東京に行くので……。付き合うにしても時間がないのよね……」
柊は下駄を履いた足をブラブラさせながら土埃を落としていた。
「それはそうだろうけど……」
「とにかく盆は明日の朝に明けるから、お試し交際は約束通りこれで終わりにしようよ……。ただ、孝ちゃんが高校を卒業した時に、わたしの何もかもを知った上で気持ちが変わっていなければ連絡して欲しいの……」
柊はお試し交際の終結を宣言した上で、再来年春の再会を条件付きで約束してくれた。

 私は井戸水をバケツに汲んで、タオルと一緒に柊の足元に置いてやった。
「ありがとう。孝ちゃんに余り優しくされると困るわ……。さっきも言ったけど、大学でも部活があるので、当面は誰とも付き合う気はないの……」
柊は足を拭くと、浴衣の袂から朝顔の実を出して二つに分けた。
「孝ちゃんが卒業するまでに一年以上あるので、この朝顔の実を来年の夏越しで咲かせて、再来年の春にその実を持ち寄ることにしたらどうかしら……」
柊の中では再来年の春に、持ち寄った種を同じ鉢に蒔いて新しい朝顔を咲かせるつもりのようだった……。

 秋津柊は盆の入りにご先祖様の霊と一緒に矢納孝夫の前に現れ、盆の明けとともに祖霊と一緒に帰っていった。
その日、早朝の墓参から帰ると、六時前には氷配達のバイトに出かけたので柊との別れを惜しむ間はなかった。
盆が終わると朝顔の棚は片付けられて、庭では往く夏を惜しむようにヒグラシが気忙しく鳴いていた。盆の出来事は泡沫のように消えていたが、長椅子だけがポツンと取り残されていた。
スズムシが鳴き始める時節には渡辺家に元気な赤ちゃんが生まれて北九州に引っ越して行った。これで秋津柊に辿り着く唯一の伝手もなくなったが、離れ家には新しい住人が入居してきた。