ウラバンナ(青春紀ー1)
「柊さんのことは何もかもを受け入れて一生大事にするから……。それに俺、カトレヤに振られたらもう恋なんかできないかも……」
私はここぞとばかりに、秋津柊への思いの丈をぶつけていた。
「わたしの何もかもって、どこまで知っているの? そんなこと言っていいの……。これから先、素敵な女性との出会いがいくらでもあるわよ……」
これから人生経験を積んでいけば、女性への好みが変わることだってあり得たが、柊は何もかもという言葉尻に妙に拘っていた。
線香花火
夕方、離れ家の柊に声をかけると、少し間を置いてから濃紺の地に朝顔模様の浴衣姿で現れた。
「お待たせ。この浴衣、小母ちゃんに縫ってもらったのよ」
柊はご機嫌の様子で、これ見よがしに一回りして見せた。渡辺夫人が写真を撮っていたが、その中に私と柊が二人で並んだものもあった。
「孝ちゃん、わたしの浴衣姿はどう、似合う? 明日の盆踊りに着て行こうと思うの……」
柊が浴衣になれば大人の女性そのものであり、彼女の言う通り秋津婦人と呼ぶに相応しい女性に変貌していた。
「うん……」
私は背丈こそ百八十センチ近くあったが、浴衣姿の柊を見て年の差以上の差を感じて無性に寂しい気分になっていた。
「どうかしたの? その無機質な返事……」
大人の雰囲気の柊に対して、私はいつまでも少年期から抜け出せないイガグリ頭であり自虐的な気分になっていた。
「シーちゃん、折角浴衣を着たのだから、お似合いの彼氏と花火でも買いに行ったら?」
渡辺夫人の発案で花火をすることになり、カトレヤと駅前の商店街に花火を買いに出掛けた。
「正式な彼氏ではないけど、まあいいか。孝ちゃん行くよ」
私は照れくさくて、彼女から離れて歩いていた。カトレヤは何とか並んで歩こうとして、後ろから下駄を忙しく鳴らしながら追ってきた。
「もう少しゆっくり歩いてよ。浴衣なので早く歩けないんだから……」
柊は孝夫に追いつこうとして早歩きしていた。柊が初めて可憐さをこぼしたが、その振る舞いをみて悪い気はしなかった。
「あっ、ごめん……」
それに気づいた私は、いたわる様に立ち止った。
「わたしを一生大事にするって言ったばかりでしょう! 彼氏ならもっと気遣ってよ……」
柊は不満を言いながらも私の右腕を掴むと、ご機嫌に恋人同士のように並んで歩き始めた。
「柊さん、俺と腕を組んで歩いて噂になったりしたら困るでしょう?」
田舎ではこうして恋人歩きするカップルは珍しく、直ぐに人目について噂になったりした。柊は私の心配をよそに寄り添ってきたので、渡辺夫人とは異なる甘い匂いに青春の血が滾っていた。
「何を恥ずかしがっているの? 孝ちゃんが好きな渡辺夫人も私たちが付き合い始めたのを知っているよ……だから夫人を口説いても駄目よ……」
柊は何を思ったのか、私と渡辺夫人との良好な関係を妬くような言い方をしてきた。
駅前の雑貨店で花火コーナーを物色していた。
「柊さん、打ち上げもきれいだよ」
私は夜空を彩る大仕掛けの派手な花火を選ぼうとしていたが、柊はその反対の地味な線香花火を選んでいた。
「線香花火って、最初は火花がパチパチって激しく飛んで最後に真っ赤な火球だけが残ってチリッ、チリッって咲くでしょう、終わりそうで終わらない頼りない幾何学模様が好きなの……」
線香花火は手元で繊細な揺らぎの美があり、柊はその日本的な情緒が好きだと言った。
「柊さんの感性って、繊細な美意識そのものだね……」
柊の背丈や卓球の攻撃的なスタイルから西洋的なイメージを抱いていたが、彼女に内在している本来の性質は日本的な和とか美、そのものだと思った。
「わたしをドライな女だと思って騒々しい花火を進めていたでしょう! 人って付き合ってみないと分からないわよ……」
私から大人の魅力がないと揶揄されたことを、柊はまだ忘れていなかった。
「確かに俺が柊さんをよく理解していなかったよ、謝るよ……」
「男なら簡単に謝らないで……」
確かに部活の柊しか知らなかったので、そのイメージで決めつけていたが、自分の浮薄さを恥ずかしく思った。
庭先で花火を始めた時は母親や渡辺夫人も輪の中にいたが、いつの間にか二人きりになっていた。幾何学模様が咲く度に彼女の姿が薄闇に浮かんだが、柊と二人で甘美な空間にいた。テストや部活で良い成績をとった時よりも、深い幸福感に包まれていた。人生の幸せは案外こういうところに潜んでいるのかもしれないと思った。
柊は線香花火が最後の一本になると、私のマッチを擦る手を止めた。
「線香花火の時は子どもの頃から願かけしていたの……。火球を燃え尽きるまで落とさなかったら願いが叶うの……。これは私だけのルールだけど、この最後の一本で二人の未来を占ってみない?」
柊の持つ線香花火にマッチを擦って火を点けた。これが打ち上げ花火であればこういう情緒的な気分にはなれなかったはずである。柊の線香花火は激しく燃えて火花が飛んだ。
「柊さん、手元を動かさないで」
私は可憐な花が咲き始まる前に、柊の手元が揺れないようにそっと手を添えたが、彼女も何かを願掛けするようにじっとしていた。
灼熱の火球から鮮やかな幾何学模様がチリッチリッと咲き始めると、二人の緊張が花火を持つ手に伝わってきた。柊のヘーゼルの瞳には幾何学模様のそれが鮮やかに映っていた。やがて火球は暗闇に吸い込まれて火薬の臭いと煙が辺りに立ち込めた。
「柊さん、火球は燃え尽きたように思ったけど、どうだった?」
私は興奮して汗ばんだ手を離しながら訊ねた。
「確か十回以上咲いたと思うの……、だから大丈夫だと思うわ…………」
私は二人の未来に灯りが点ったような気がして思わず柊を抱き締めたが、浴衣の下では柔らかい肌が息づいていた。
若い二人の心が重なりつつあったのは言うまでもなかったが、それを陰ながら応援していたのは渡辺夫人であった。
渡辺夫人は孝夫から初恋話しを聞いたことがあった。その相手が妹の柊であることを知って驚いたそうである。
夫人は予てより目をかけていた孝夫ならば、妹の交際相手として異存はなかった。そのために、この盆に柊を泊まりに来させて、二人の出会いの場を演出していたのである。
盆踊り
八月十五日盆踊りの日、 会場は二百坪余りの空き地の中心に、丸太で櫓(やぐら)が組まれていた。周囲は竹笹で覆われており、脚元は紅白の垂れ幕と提灯を飾り付けただけの質素なものであった。
盆踊りは部落毎に青年団や婦人会のボランティアで運営されていたが、商店街の七夕祭りと並ぶ夏祭りの二大イベントになっていた。
昼下がりに、浴衣姿に赤たすきの若衆が櫓の上で和太鼓を叩き始めると、部落中に鳴り響いた。各家庭ではその音を聴きながら早めの夕食をすませて、近所の者と連れ立って盆踊りの会場に集まった。
真夏でも水田の草取りで忙しい農家には、この日だけは農作業から解放される癒しの一日になった。日頃は野良着で姉さん被りの母親たちも浴衣に着替えて、薄化粧をしていた。
櫓の盆棚には初盆を迎えた遺影が飾ってあり、櫓の上では祖先の霊を慰めるように若者が威勢よく囃し立てながら和太鼓を叩いていた。
「ねぇ、誰か捜しているの?」
作品名:ウラバンナ(青春紀ー1) 作家名:田中よしみ