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自殺を誘発する無為

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 そもそも自分たちが追い詰めたのを棚に上げて。帰ってきてほしいという気持ちが一番なのか、家族が宗教団体にいるというのが世間にバレルと世間体が悪いと思うのか、どちらにしても、何とも家族の方の言い分は都合のいいものでしかない。
「血がつながった家族」
 などというのは、言い訳にすぎない。
 そう思っているのであれば、家族として暮らしている間に、奥さんを追い詰めるようなことを家族の皆がすることはないはずだからである。
 警察も捜索願は受理もしてくれない。なぜなら、どこにいるかが最初から分かっているからだ。
 そもそも捜索願(現在では行方不明者届と言われているが)というのは、どこにいるか分からない人を捜索して探し当てて、それを届を出した人に知らせるまでが警察の仕事で、家出人を家族の下に帰すのが仕事ではないのだ。
 しかもそこに事件性がなければ、たとえ行方不明者でも、すぐには捜索はしてくれない。警察組織というのはそういうものであった。
 それでも、一般の人は、捜索願を出せば、警察はすべてを捜査してくれると思い込み、安心しているかも知れないが、そんなことはない。要するに警察という期間は、
「事件が起こらないと、動いてはくれない」
 という、よくドラマで見るようなセリフの通りなのである。
 しかも、捜査するにしても、広域に及べば、反社会的勢力のいうところの、
「縄張り」
 よろしく、管轄という名の下に、お互いの主張を繰り返すという、まるで、
「子供の喧嘩」
 を見ているようである。
 事件性がどのようなものであるかというのも曖昧で、要するに、警察は思っているよりも動かないと思った方がいいだろう。
「それじゃあ、税金泥棒だ」
 と言いたいくらいだが、まさしくその通りである。
 これは司法の世界でも同じようなもので、
「疑わしきは罰せず」
 ということで、警察が民間に立ち入ることはなかなかできないのが現状だ。
 それでもどうしても捜索をしたり、宗教団体から抜けさせたいと思うのであれば、私立探偵でもお金を使って雇うしかない。ただ、相手も個人事業なので、断ることもある。特に事件内容と、報酬が見合わなければ簡単に断ってくるだろう。
 そういう状況をいかに考えるかが問題で、特に宗教団体が相手だとすると、一体どうすればいいというのだろう。
 ただ、入信した家族を連れ戻すことは前述のように難しい。そもそも連れ戻すことにどんな意義があるというのかというのは、家を出た経緯を知らない限り、解決にはならないだろう。
 その時にちゃんと理解していて、少しでも止めることができたとすれば、状況は変わってくるのかも知れないが、ほとんどの場合、家族が家を出たということすら最初のうちは気付かずに、帰ってこなくなって慌てて捜索すると、宗教団体の中にいたというのが分かるのだ。
 家を出た人は思うだろう。
「しょぜん、自分は家族の中ではそれだけの存在でしかない。それは俗世間においてもまったく同じことだろう」
 そう感じてしまうと、教団の思うつぼであり、本人も逃げ込んできたことを正解と思う。
 まるで駆け込み寺のようなところで、そこで自分が生まれ変わると思えば、誰が過去の忘れたいと思うほどの俗世間に戻ろうなどと考えるだろう。
「あの方は。誰に強制されたわけでもなく、自分の意志でここにきて。そして自分の意志で帰らないと決めているのですから、いくら来られても同じですよ」
 と、教団の人に言われたとしても、その言葉には誤りはない。
 そう言って説明している人も、元々は自分もそうだったのかも知れない。同じ思いの人が口にする言葉だから、当然説得力もある。
「しょせん、宗教団体のくせに」
 などという偏見で見ている以上は、相手を上から見ることはできない。
 上から見ているつもりでも、相手がその上にいるのだから、自分が何を言っても、そこにいない相手に対しての講義は、まるで暖簾に腕押しとでもいえるのではないだろうか。
「どうして、妻を返してくれないんだ」
 と言ってみたところで仕方がない。
 相手はその場所から向こうは、俗世間とは違う世界に身を置いているということを実感しているのだ。
 家族の人間、つまり普通の庶民がいう言葉など、彼ら自身、自分というものを考えたこともないくせに、よくも人の団体を批判できるものだと言わんばかりであるが、相手を怒らせるようなマネはしない。それをしてしまうと、今度は自分が教団の人間から不信感を抱かれる。彼らの敵は目の前の人物にあるわけではなく、自分の後ろから自分を見つめている同族であるということをよく理解していた。それが、彼らにとっての理念であり、教団の存在意義だと思っている。

              三度目の失敗

 この宗教団体は、他の団体ともその意義を異にしている。その考え方の一つとして大きいのは、
「失敗は二度までは許されるが、三度目は許されない」
 というものである。
 我々の世界では、
「一度の失敗は許されるが、二度目は許されない」
 というのが、一般的だが、この団体では、失敗は二度目までは許されるのだった。
 こうやって聞けば、
「何て、温厚な団体なのだろう」
 と思われることだろう。
 しかし、実際には温厚ということではない。三度失敗すれば、普通の人が二度目にした失敗の数倍ものバツが与えられる。破門になる人がいたりもする。この場合の破門は本当に厳しいもので、教団を無一文で放り出されるのだ。持っている財産があればすべて没収、そもそもこの団体に入った時点で、個人に財産管理の権限はない。すべて教団管理となり、必要な時にもらうだけだった。
「まるで共産主義のようだ」
 と思われるかも知れないが、それとも少し違う。
 ただ、信者の生活にすべて教団が絡んでくるというのは似ていて、下手をすれば、生殺与奪の権限まで、教団に握られていると言っても過言ではないだろう。
 破門にされる時は、もちろん、本人も分かっていての破門なので、文句も言えないというのが、教団の言い分だった。
 教団に入信してきた時、ちゃんと教団の約款についてはすべて一度は読まされて、頭に叩き込んでいるはずである。この教団では与えられたものをちゃんと自分で理解しているかどうかというのは、厳格であった。俗世のように、
「分かりませんでした」
 という言い訳は通用しない。
 分からなかったのであれば、なぜ誰かに確認しないのかなどということには本当に厳格だ。もっともそうでもなければ、自給自足の世界では生き残ってはいけないというのが教団の考えであった。
 皆が一つにならなければ存続できないという思いから、封建という言葉が出てきたのも頷けるであろう。
作品名:自殺を誘発する無為 作家名:森本晃次