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自殺を誘発する無為

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 この団体は、宗教法人としての登録はしているが、彼ら自身は、自分たちを宗教代だとは思っていない。さらに、封建とは言っているが、これも、一般に言われている封建制度とは違うと思っている、
「封建制度のような主従関係ではなく、あくまでも助け合いの考え方で、足りないところを補い、それが自給自足のような暮らしを送るのが我々の団体なんです。しかも、私たちが作った農作物なども、まわりの人たちに提供したり、安くお分けすることも考えています。共存共栄という考えが、封建という言葉に結び付いているという感じだと思ってくれればいいと思います」
 と答えた。
 それを聞いて、どれだけの住民が信用するかは分からないが、しかし、市が誘致することは決定しているので、それには従うしかなく、いかに彼らを誤解することなく、理解するか、それが、一番の問題だった。
 だが、彼らは宗教団体というよりも、勉強をするのを目的ともしていた。彼らの研究は歴史であり、
「過去があって、現在がある」
 という考えが強く、さらに、
「歴史を勉強することは、他の学問の勉強にも繋がるものである」
 という考えもあった。
 歴史を勉強することで、いわゆる本当の宗教団体の考え方を勉強することもでき、自分たちとの違いを考えることもできる。
 さらに、歴史に、
「もし」
 というものはないと言われているが、そのもしが存在していた場合に、歴史がどうなったかということを考える、いわゆる
「パラレルワールド」
 を想像することで、SFの世界を考えることができる。
 そこには宗教的な発想もたぶんに含まれるのは、歴史が証明していることであるが、自分たちとの違いがどこなのかを勉強するのも必要なことだと思っていた。
 今までの宗教団体のほとんどは、
「死後の世界には極楽浄土があり、この世での行動が極楽浄土に行けるかどうかを左右する」
 という考えが主流ではないだろうか。
 死後の世界だけを見つめることで、虚空の世界という信憑性のないものを信じ込ませるという考えは、突飛すぎるであろうか。ただ、マインドコントロールするにはちょうどいいのだろう。
 現世をいかに生きるかというわけではなく、死後の世界を大切にするということで問題になったのが、
「世紀末議論」
 である。
 世の中には、世紀末論争というものがあり、国や地域、あるいは民族によって違うのだが、
「何年にこの世がなくなる」
 という説である。
 それに便乗し、
「この世がなくなった時、極楽に行くために、お布施をする必要がある」
 と言われて、全財産を投げ出す人も多い。
 信者でもない人が考えれば、
「そんなベタな言葉に騙される人がいるのか?」
 と思うのだろうが、本人たちは至って真面目、
「これで極楽浄土に行ける」
 と思い込むのだった。
 そして実際にその日がやってきて、地球が滅ばなかったことで、全財産を捧げた人は慌てて教団が出まかせを言っていたことに気付いて、やっと訴訟を起こすことになる。それが、ほとんど全部と言っていいほどの
「世紀末論争」
 と時に起こることであった。
 過去の歴史が、出まかせであることが証明されているのに、
「うちの宗教だけはそんなことはない」
 と思うのか、全財産を投げ出す人が後を絶えない。
 そして結果的に、いつも同じ道を歩むことになってしまうのだった。
 それこそ、デジャブであった。何度、同じ光景を見たことかと、世間の人に思わせることであろう。
 宗教団体の方も、間違いなく詐欺には違いないのであろうが、あくまでも強要したわけではなく、寄付をした人が自主的に寄付をしたということに変わりはないので、詐欺で立件することは難しいだろう。
 だが、その話題は世間には知られることになるので、今後の宗教団体の孫座奥は微妙かも知れない。中には、
「世紀末論争を中心に展開していた団体」
 というのもあっただろう。
 滅びないと分かった時点で、
「ウソつき教団」
 として世間は認識してしまうことだろう。
 ただ、そういう教団は、抜ける人間を許さないようにしてあるだろうから、完全に、
「飼い殺し状態」
 ということになり、それこそ、
「悪徳教団」
 をそのまま表現することになり、正しい教団組織を形成している集団からすれば、迷惑千万な話である。
 ただ、一つこの教団において、封建という考え方が、あくまでも教団内での、
「足りないところを補う」
 という発想が間違った考えになってしまったのか、最初から教祖の狙いだったのか分からないが、
「性的描写」
 に塗り替えられてしまっていたりした。
 それは男女の性器そのものを考えてみれば分かること、しかも、それを古事記の中でのイザナギとイザナミの言葉で、
「この身体は成りに成って、余ったところが一か所あります。だから私のこの余っているところで、あなたの足りないところを刺し塞いで国を産もうと思うのだが、どうですか?」
 という部分があるが、そこを引用することでいかにも神話の世界をこの世と結び付けた考えにしてしまい、性的なものを正当化しようという考えである。
 だから、
「教団の女性は皆、教祖のものだ」
 という考えが生まれてきたのだが、そのことは教団でも一部の人間の暗黙の了解になっていた。
 もっとも霊験な信者であれば、教祖に身体を差し出すのは当然のことと思っているので、誰もそこに不信感を抱く者はいない。
 この教団の中には、俗世間で性的な虐待や、セクハラに遭い、それを悩んで入信する人もいたはずだ。
 本当ならそんな人であれば、教祖のそんなやり方にヘドが出るほどの感情を抱くのが当然だと思えるが、逆に彼女たちは、
「教祖様によって、身を清められる」
 という考えのもと、進んで教祖に身体を差し出す始末だった。
 宗教団体の問題としてよくありがちな、
「家族の誰かが入信してしまって、帰してくれない」
 という問題も当然のごとくだった。
 家族の者が出かけていって、
「妻を返してくれ」
 と願い出ても、団体によっては。
「そんな人はここにはおらぬ」
 と言って完全にしらを切るというもの、さらには、
「彼女は自分の意志でここに来たのだから、本人の意思が尊重されるのが当たり前だ」
 という論理で家族に合わせようともしない。
 ただ、その言葉はまんざら間違っているわけではない。確かにその人は自分の意志で入信したのだ。しかも、家族に対しての不満から入信した人であれば、いまさら戻るなど論外であろう。入信した教団では、皆が家族、助け合うということを前提にしていることで、誰か一人に重荷を背負わせることはない。家族に不満を持って入信する人のほとんどは、自分へのプレッシャーからであったり、迫害なので外的要因。さらには、相手にしてくれない、
「村八分的な発想」
 だったりが、介在していることだろう。
 そんな人が皆平等な信者に家族だと言われれば、元の世界に帰るはずもない。言ってみれば入信した気持ちも分かろうとせずに、
「宗教団体に騙されている」
 という理論。つまりは、
「宗教団体は悪い団体だ」
 と決めつける方が乱暴なのだ。
作品名:自殺を誘発する無為 作家名:森本晃次