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自殺を誘発する無為

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「封建政治というと、武家というイメージがあるので、どうしても、明治前の昔の歴史のように思うけど、農家などは、昭和の時代まで封建的だったりしますよね。それに封建制度が古い制度だと思うのは、明治期になってから、中央集権国家にあった時、『封建制度は一昔前の制度』ということを植え付けることで、天皇中心の世界へのプロパガンダとして君臨しているのかも知れませんね」
 と辰巳刑事は言った。
「私は封建制度について詳しくは知りませんが、確かに明治以降の天皇中心の政治とはまったく違うものという印象があります。そもそも歴史がクーデターなどによって変わると、それまでの政府のやり方を全否定するのは、世の常ですからね」
 と、清水刑事がいう。
「でも、彼らの使っている封建という言葉は少し違うものだって、幹部の連中は言っていましたね。彼らに言わせれば、俗世間というものほど、理不尽なことはなく、そちらのイメージが逆に言われている封建的だという言葉の悪しき部分を象徴していて、間違った意識を植え付けられているというんです。だから彼らは敢えて封建という言葉を使うことで、彼らの団体の扉を開く人の気持ちに寄り添おうとしているようですね」
 と辰巳刑事がいうと。
「でも、そんな連中に対して、封建という言葉は却って気持ちを刺激して、扉を重たくするんじゃないか?」
 と清水刑事に言われたが、
「そうじゃないんですよ。彼らの団体に駆け込んでくる人間には、もうどこも行くところがなくて、最終的に教団を頼ってくるんだって言います。その時にはすでに言葉なんかどうでもいいんですよ。入ってきてから、俗世間の封建が本当の封建制度との違いを教えればいいと思っているんですね。要するに、封建制度の悪い部分ばかりを拾い集めて今の封建制度への歴史認識になっているということを教えられるというんですね」
 という辰巳刑事の意見に、
「確かにそれは言えるかも知れない。。私も歴史が好きなので、封建制度なども時々考えたことがあったんですが、確かに言われている、いや、それまで感じていたことが違っていたんだって思います」
「例えば?」
「歴史には、クーデターがつきもので、制度が変わるということは、基本的にクーデターですよね。だから、新しい政府が新しい政治を行うためには、過去を全否定しないといけないわけで、それがそのまま教育として教わることになるんですよ。だから、その教育の影響が強くて、人類がその教育を信じてしまうという感覚が当たり前だと思うことで、封建制度を否定する気持ちになってしまうんですよね」
 と、辰巳刑事は言った。
「歴史的にはそうかも知れないが、それよりも、言葉から感じるものもあるんだろうね。特に、封じるという文字が使われていることもその原因じゃないのかな?」
 と清水刑事は言った。
「だけど、私は、この団体を見ていると、封建という雰囲気はないんですよ」
「それはどうして?」
「団体というものが、そもそも封建という言葉を含んでいるような気がするからですね。封建というものが、主従関係であるとすれば、それは、人が集まれば当然の結果として出てくるものだと思うんですよ。だから封建という言葉には抵抗がないんですよ」
 と言った。
 そんな辰巳刑事は、自分が小学生の頃を思い出していた。
 小学校では苛めもあり、自分が苛められていたわけではないが、苛めていた連中を思い出してみると、どこか封建的なところがあったと思った。だが、その封建的だと思ったのは。間違った意識で覚えていた封建的なという言葉だったような気がする。
「人のものは俺のもの、俺のものは、俺のもの」
 という理不尽な考え方だった。
 封建という言葉をどのように解釈していたのかを言葉にするのは難しいが、
「全否定していた」
 という言葉を表現するとすれば、この時の言葉が一番当て嵌まるのではないだろうか。
 だが、実際に勉強したのは、主従関係が絆として形成されているのが、封建制度だということであり、悪い部分も含んでいることは分かっていて、絶対的な主従関係でありながら、主従関係で成り立っている世界では、実際の主従の間ではそこまで悪い意識はないかも知れない。
 主従関係において、ちゃんとした双方関係になっている場合は、お互いに主従関係の感じないのだろう。しかし、時代劇などにあるような、悪代官や悪徳領主などが、暴利を貪るようなことになると、どちらかが利益を得て、もう片方は酷い目に遭わされるという状態になってしまうと、本当の意味での封建制度は腐敗に向かうのではないかと思う。
 そういう意味での江戸時代というのは、戦国時代からの影響で、家康の意向の元、
「戦の世に戻さない」
 という信念の下、太平の時代を迎えたことで、よかった部分も多いのだが、その弊害がなかったわけではない。
 太平の時代になると、謀反や一機が起きないように定められた身分制度を悪用し、高い身分であることを武器にして、相手に無理強いをして、主従関係の根本を壊すという時代になっていた。
 それが、幕府の財政に影響したのかも知れないが、幕府の財政がひっ迫し、庶民の生活をコロコロ変えるという状況に陥らせた李したものだった。
 幕府がそんな状態では、世の中を正すなどできるわけもない。そのうちに鎖国していた世の中を、海外勢力の砲艦外交によって開国させられたことで、封建制度の危機はピークを迎え、倒幕へと結びついていくのだった。
 日本の場合は、外国勢力による、
「図らずの封建制度の崩壊」
 ではあったが、崩壊してしまったのが、本当の封建制度だったのかどうかは分からない。
 明治政府では、一部の特権階級が権利と利益を貪るという時代があった。これは、本当の意味での封建制度の崩壊ではないだろう。
 しかし、海外をマネて日本を中央集権国家に変えたのも事実であり、しかも、世界情勢が、日本国内だけでのそんな封建制を認めるわけにはいかない状況であった。
 小学生の頃の辰巳はそんなことを知る由もなかったが、中学になって苛めがなくなると、小学生の頃の苛めを思い出すことがあって、
「あれこそが、封建的だったんだ」
 と思うようになった。
 学校では違う意味で習ったはずなのに、封建的だと思ったのは、ひょっとすると、中学時代に苛めが行われているということに、封建的という言葉が使われていたからなのかも知れないと思った。
「お前のものは俺のもの。俺のものは俺のもの」
 という言葉は忌まわしい言葉に違いないが、辰巳の中では、
「ニセ封建制度のシンボルのような言葉だ」
 と思うようになっていた。
 この宗教団体が、どこまでの封建的な集団なのかは分からないが、彼らのセリフを鵜呑みにするとすれば、
「正統派の封建制度だ」
 と思うのだが、どこまでの信憑性があるのか分からなかった。
 一度会ったくらいでそう簡単に分かるものではないのだろうが、
「信じてみたい」
 という思いが辰巳にはあった。
 ただ、彼の気持ちに反するような形で起こった今度の殺人事件。一体何を意味しているというのだろう?
作品名:自殺を誘発する無為 作家名:森本晃次