短編集110(過去作品)
作品を読み直していると、入院生活が自分の中でまったく違う世界であったことを思い出していた。きっと作品を読まないと、二度とこんな感覚には戻れないだろう。赤面するほどビックリした作品なのに、その反面で懐かしさと二度と味わえないと思っていた感覚を思い出すことができた新鮮さに半分感動していた。もちろん、その気持ちは頼子に悟られないようにしなければならない。
次第に頼子に対する気持ちが薄れていき、気がつけばゼロになっていた。
――ゼロには何を掛けてもゼロである――
そんなことは分かりきったこと。だが、なかなか実生活の中で味わうことができないのも事実である。
実際にゼロのものが他にあるかと考えると、ないことに気付く。限りなくゼロに近づくものはあるかも知れないが、まったくの「無」に等しいものはそう簡単にあるものではない。
頼子と付き合っていて、気持ちがゼロになるなど考えたこともない。しかし、ゼロになるというのも却って新鮮なものかも知れない。すべてのものはゼロから始まるのであって、一から始まるものではない。
頼子に対して、恨みも憎しみもない。ただ、愛情が失せてしまっただけだ。鹿島の気持ちがゼロになってしまうと、頼子の方もそのことに気付いたのか、次第に嫉妬もなくなって、
「別れよう」
と鹿島が頼子に告げた時も、
「いいわ。私もあなたに対しての気持ちが今までと変わってきたのが分かってきたの。でもなぜか、それまで抱いていた嫉妬心も薄れてきて、何となく新鮮な気持ちになってきたのよ。言い訳じゃないのよ」
それを聞いて鹿島は黙って頷いた。きっと頼子がそう言うであろうことは想定の範囲内であったからだ。
憎悪も煩わしさも消えると、やりたいことが急に増えてきた。気持ちに余裕が生まれたのか、それとも余裕が戻ってきたのか、フラリと出かけた旅行では今までできなかった趣味を堪能したくなったのだ。
なるべく寂れた場所で、誰も来ないような宿に泊まり、そこで絵画などに勤しんでみたいという気持ちになっていた。
時間は余るほどあるわけではないのだが、絵画が完成する必要はない。気持ちの中で整理できるだけの時間があればそれでいいのだ。あくまでも絵画が目的ではない。
宿の予約などしていない。だが、泊まれないことはないだろう。田舎であれば、きっと暖かく迎えてくれ、まるで自分の田舎に帰ってきた感覚になるに違いない。鹿島の頭の中にはそんな感覚があった。
車窓から流れる景色は、今までに感じたことのないほど綺麗なものであることには違いなかったが、見慣れてくると、だんだん、懐かしさがこみ上げてくる。
――ついさっき見た光景が、すでに懐かしさとして脳裏に浮かんでくるのだ――
不思議な感覚だった。
電車に乗ったのはついさっきだという感覚がある。都会から田舎に入るまではあっという間で、田舎に入ってから見えている光景はあまり変わり映えのしないもので、それだけに時間の感覚が麻痺して来ているのは事実だろう。
それにしてもすでに懐かしさに変わるというのは、田舎の光景を今までに何度も夢見てきたからではないだろうか。
――いずれは、こういう光景を見たくなる――
という衝動に駆られることを予期していた。予期というよりも希望だったのかも知れない。希望はやっと叶えられた。しかし、それが付き合っていた女性と別れての傷心旅行だというのは皮肉なことだ。
付き合っていた女性と別れると、心の中にポッカリと大きな穴が空いてしまう。その穴の大きさは、自分が考えているよりもさらに大きなもので、相手の別れを告げられるよりも、むしろ自分から別れを告げた方が、より一層大きなものであることを初めて思い知らされたような気がした。
流れていく車窓の風景は、時間の感覚を麻痺させるということに気付くと、絵を描きたいという願望が次第に強くなってくる。それは願ったり叶ったりであり、自分の中で吹っ切りたいものがしっかりと吹っ切れることを示していた。
「これでいいんだ」
心の中で呟いたつもりだったが、思わず声になって出てしまった。同じ車両に人はほとんど乗っていないようなローカルな路線。心地よい列車の揺れが、
「ガタンゴトン」
という小気味よい音を立てて進んでいくと、睡魔を感じてくるのは、気持ちの余裕の成せる業なのかも知れない。
普段であれば、すぐに睡魔に負けて寝てしまうのだろうが、その日は眠ってしまうのがもったいなかった。
無理に起きている必要はないのだが、起きていることが苦痛ではない。
普段から精神状態が不安定な時ほど、
「一日のうちで一番の楽しみは寝る時で、一番辛いのは起きる時だ」
と思っていた。
寝てしまえば辛いことは忘れられるが、起きる時が一番現実に引き戻されて嫌である。しかも夢の中で嫌なことを感じた時などなおさらで、起きることの辛さを思い知っていた。それでも眠っている時が一番幸せな気がしていたくらい、精神状態は尋常ではなくなっていたのであろう。
――もし、このまま起きなければ――
と考えたこともあり、そんな気持ちで夢を見ると、今度は目が覚めてホッとしている自分に気付く。何とも目覚めの悪さを感じるが、現実に引き戻されるだけの目覚めよりも少しはよかった。
きっと、その時に眠りたくないと思ったのは、もったいないという気持ちよりも、
――もし目を覚まさなければどうなるんだろう――
という気持ちが強かったからだ。精神的に余裕のある時の方が、悪い方に考えることも多く、それだけ精神的に余裕がないと、感覚が麻痺しているのだろう。考えられない精神状態が懐かしくも感じられた。
――何を弱気な――
そんな気持ちになっていた。
別に余計な考え方をする必要などない。素直に、今の気持ちを受け入れればいいだけではないか。
鹿島を載せた電車が目的の駅に到着する。
駅舎を出て表を見ると、
「あれ? 本当に初めて来るところなんだろうか」
と感じていた。初めてには違いないが、どこかで同じ光景を見たように思えて仕方がない。
デジャブーという言葉があるが、初めて見た光景なのに、潜在意識の中で初めてではないとハッキリ自分に訴えることができる現象である。夢の中で見たことなのか、それとも以前に見た光景を歪んだ形で記憶しているのか、それとも空想的に考えるならば、前世で見た記憶なのか、それかであろう。空想的に考えることは嫌いではないが、実際の自分に当て嵌めると、どうしても現実的にしかなれない鹿島には、前世の話は信じられなかった。
――気持ちに余裕ができると、現実的になってしまうのだろうか――
非現実的な考えがあるからこそ、気持ちに余裕がなくなるのかも知れない。そう思って駅舎のすぐ前に立って、目の前の光景を見ていると、
「結局、どこへ行っても、精神的に変わることはないんだな」
という結論を導き出したが、それが精神的な余裕から来るものであることも分かっていた。それは帰るところがキチンと決まっているということを意味していて、その場所ではずっと同じ気持ちを繰り返すことになるであろうことも分かっていた。
作品名:短編集110(過去作品) 作家名:森本晃次