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短編集110(過去作品)

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 不安を抱いたまま退院したのではないだろうか。完治しての退院ではなかった。退院しても数回の通院を余儀なくされ、通院すれば点滴を打たれた。だが、入院中に看護してくれたナースは入院患者担当のナースで外来のナースではない。外来のナースがイメージが悪いわけではないが、どうしても看護してくれたナースのイメージが忘れられず、外来のナースの印象が薄かったことも事実だった。
――これが同じ病院なんだろうか――
 と感じたくらいで、それほど看護してくれたナースの印象が深かったのだ。
 しかし、それでも顔を覚えるのが苦手な鹿島は次第に彼女の顔を忘れていった。
――顔を覚えるのが苦手なんじゃないんだ――
 とその時に初めて気がついた。
――新しい人を覚えようとすると、最初の人から順に忘れていくんだ――
 頭の中で覚えているキャパシティが決まっている。そう考えると理屈は成り立つが、一旦成り立ってしまった理屈を覆すことはできなくなってしまう。それだけ理屈というものが自分の頭の中を支配しているということを自覚していたのだ。
 作品の内容を今さらながらに読んでいると、次第に自分でも顔が赤くなってくるのを感じる。最初は淡い恋心から始まっているのだが、次第にリアルな感情になっていく。途中から妄想のようなものが入り込んで、自分の中で整理できないことすら感情として描かれている。
 書いている時に感じたことなので、間違いないだろう。
――リアルな感覚をいかにボカシながら描いていくか――
 そこが作品に深みを持たせるこつであろう。書いていてそこまで感じたかどうか思い出せないが、自分の作品でありながら、客観的に見つめることができるのは、それだけ作品に深みがあるからだろう。そのことは自分だけではなく、審査員の先生も分かっているから佳作とはいえ入選に値する作品だったに違いない。
 公開できる内容ではないほど、リアルな描写が描かれている。書いた本人もいくら客観的に見ることができるとはいえ、他の人と見方が違っていて、どこか主観的な部分が残っている。いや、却って他の人が見る時ほど、主観的に見れる作品に仕上がっているのかも知れない。他人事として見ることができれば、きっと違った感覚が芽生えてくるに違いない。
 この作品を読んだ頼子は、激しい嫉妬に見舞われていた。
 怒りの矛先はナースに対してなのか、鹿島に対してなのか、それとも両方になのか輪からない。少なくとも両方にあることは間違いないが、その割合までは分からない。
 今までの鹿島の感覚であれば、
――嫉妬されるのは、それだけ愛されているので、嬉しいことだ。嫉妬する女性を可愛らしいと思うに違いない――
 と感じていた。
 友達の中には、
「嫉妬なんて感情は、百害あって一利なしさ。感情を逆撫でるもので、お互いに近づいてくる感情を遠ざけるだけのものさ」
 と言っていたが、
「そんなことはないんじゃないかな? きっと愛情の裏返しなだけだよ」
 と反論したが、実際に嫉妬されたことのない者にとっては机上の空論でしかなく、論じていても、
――本当にそうなのか――
 と自問自答を繰り返し、それでも最後は、
――自分の感覚を信じればいいんだ――
 と言い聞かせて嫉妬を正当化しようとしていた。それだけ恋愛感情に疎かったのかも知れない。
 確かに嫉妬は相手を好きだという感情があるからなのだが、嫉妬に狂っている時というのは、本人にもどうしていいか分からないところがあるのかも知れない。振り上げた鉈の卸どころが分からず、意地を張ってしまうことも往々にしてあるのではなかろうか。
「嫉妬って、言葉は悪いけど、恋愛感情の裏返しなのよ」
 ドラマでは、嫉妬に狂っていても元の鞘に収まることもある。そんな時の女性の言葉がそれだった。
 だが、ドラマで嫉妬に狂っていた場合、なかなか元の鞘に収まることは稀かも知れない。なぜなら、元の鞘に収まってしまうと作品に発展性がなくなってしまうからだろう。下手をすればそこで終わってしまう。深みを持たせてドラマとして内容を持続させようとすると、嫉妬に狂った女性を悪者にしてしまうパターンが一番多い。だから、嫉妬という感情に対してのイメージが悪くなってしまうのだろう。
 確かに嫉妬に狂ってしまうと、何も見えなくなり、まわりが見ていると、わがままに見えてしまうことも多いだろう。ただのわがままならまだしも、嫉妬に狂ってしまうと、人の意見を聞く耳がなくなってしまうだろう。そうなると、解決できるのは、自分だけ。あるいは、ほとぼりが冷めるのを待つしかない。
「夫婦喧嘩は犬も食わない」
 と言われ、人が分からない関係に入り込めないことを暗示しているのだろうが、嫉妬が入ってくると当事者ではどうにもならず、やはり時が解決してくれるのを待つしかない。
 それでもタイミングというものもあり、解決してくれるであろう時をしっかりと見据えていないと、嫌気をさされてしまうとどうにもならない。女性の気持ちがいつまでも一定に持続しているわけではない。常に環境とともに変化しているのだ。それに気付かないと、気がついた時には関係も終わってしまっていたりする。
 それでもいいと感じればいいのだが、男が女性を忘れられない場合もあるだろう。そんな時に感じる苦しみは、なったことがないはずなのに、何となく分かる気がしていた。
――どうしてなんだろう――
 元々は嫉妬である。自分のことを愛してくれているということを感じているからこそ何とかしたいと思っているのだが、そんな時に苦しんでいる女性の気持ちも同時に分かったりする。
――意外と冷静だったりするのかな――
 鹿島は悩んだり苦しんだりしている時に、時々客観的になることがある。
――現実逃避に走っているのかも知れない――
 と感じることもあるが、気持ちとしては冷静である。ちょうど夕方に風のない「夕凪」という時間帯があるが、まさしくそんな時間帯なのだろう。
 気持ちの中の「夕凪」を感じる時、鹿島は自分の気持ちが普段から双方向に揺れていることを自覚する。
――自分の立場から見る味方と、相手から客観的に見た自分の姿――
 この両方である。
 右手と左手で交互に違った作業ができる人を不思議に思っていた。ピアノやギターができる人を不思議に思っていたのもそのせいだろう。気持ちの上での左右の感覚も同じで、片方が熱くて片方が冷たい手を重ねた時、熱さか冷たさかどちらも感じることができないことも自覚していた。どちらかに集中するということができないからである。
 それだけにお互いの気持ちを感じようとすると、絶えず双方向から見ていないと、緊張感が持続できない。それも意識してしまうとダメではなかっただろうか。それだけに「夕凪」の状態になるのも、無理のないことであって、今までに意識したことがなかっただけに、感じることが新鮮だった。
 嫉妬というものが悪なのかどうなのかは鹿島には分からない。だが、「夕凪」の状態に気持ちがなれるのであれば、決して悪とも言い切れないのかも知れない。
作品名:短編集110(過去作品) 作家名:森本晃次