短編集110(過去作品)
――これはヤバい――
鹿島はそう感じた。彼女を他の誰かに取られてしまうことが嫌でたまらなかった。
他の誰よりもずっと一緒にいたいという気持ちが強く、気がつけば、まわりから彼氏のように思われていた。そんな自分が嫌ではなかったし、むしろ嬉しかった。頼子も同じだったに違いない。だが、まわりがその時どのような目で見ていたか、その時はまったく分からなかった。
彼氏彼女の関係になってみれば、意外と冷静な気持ちになれた。彼女を独占できたという独占欲が満たされたからに違いないが、それだけではなかった。
必死になって誰かを助けようと梯子を使って上に登ったが、登ったところにはすでに誰もおらず、梯子も外された気分に近かったかも知れない。
頼子は自分の性格についてあまり自覚しているわけではない。だから彼女が悪いというわけではないのだが、調子に乗せられてしまった自分に後悔があった。
人に構ってほしいと思うのは、女性としてはかわいい部類なのかも知れないが、それにも限度というものがある。きっと元々一人ではどうすることもできない性格なのかも知れない。飽きが来るのも早いだけに、性質が悪い。
それでも彼女はずっと鹿島を慕っていた。
鹿島も慕われて悪い気分ではないが、それだけに中途半端な気持ちが中途半端に持続してしまっているのはいいことではないだろう。
要するに甘えが強い性格なのだ。
頼子の父親は会社社長で、頼子が生まれる頃はまだ苦労があったようだが、頼子が生まれてからは、結構順風満帆だったようだ。
それだけに親は頼子を大切にする。頼子も大切に育てられたことで、世の中のことをあまり知らずに育ったようだ。我慢しなければならないことはあまり経験がなく、しかもまわりがそれを悟られないようにしていたこともあって、自分一人で育ってきたと感じるようになっていた。
高校時代まではお嬢様学校だった。まわりからはちやほやされて、ちょっとしたお姫様気分だったのだろう。世間知らずということは、擦れていないということで、そんな女性を男性が好きになるのは仕方がないことであるが、それでも本当に好きになる前に、それが本当の恋ではないことに気付くだろう。鹿島も気付いたが、その時はすでに遅く、離れられなくなっていた。情に脆いところがあるからであろう。
それが鹿島の長所といえる。
しかし、長所と短所は紙一重という言葉もあり、それが今まで鹿島の首を絞めていたこともいくつかあった。
鹿島は変に正義感を持っている。自分に厳しく人にも厳しいところがあるのだ。ある意味潔癖症ともいえるのだろうが、それが他人への押し付けになりかねない。
例えば、電車の中での携帯電話の使用だったり、路上での喫煙者だったりと、マナーの悪い人間を許しておけないところがあった。
あまりにも目に余るやつは注意する。特に電車での携帯電話。
「後から掛けなおすね」
と、掛かってきた電話に出たとしても、それだけ言って切る人は問題ないのだが、そのまま話し続ける人は許すことができない。
それが女学生であっても、サラリーマンであっても同じなのだが、どちらが嫌かと言えば、サラリーマンかも知れない。
「これは仕事の電話なんだ」
と言うだろうが、仕事の電話ということを正当化されると却って腹が立つ。それは自分がサラリーマンになってから特に感じることで、自分は電話には出ることのできない設定にしてあるからである。それをしないで文句を言うのは筋違いだと感じていた。
冷静に考えれば、それぞれの会社で事情も違っているので、一概にサラリーマン全員が悪いとは言えないのだろうが、それでも許すことができない。
頑固といえば聞こえがいいが、融通の利かないところがあるのは、やはり欠点の方が大きいだろう。
欠点と短所では厳密に言えば違っている。
長所は、ゼロからの積み重ねで、短所は満点からの減点方式だと思っている。満点というのは、その人それぞれで大きさが違っているために短所の大きさでかなり変わってくるだろう。だが、それでも満点からの減点法であることには違いない。
欠点というのは、いったいどういうものだというのだろう。鹿島が考える欠点は、満点kらの減点ではなく、長所を積み重ね、出来上がったものからの減点である。つまり、ポジティブな中のネガティブな部分、短所に比べれば、かなり小さなもので、長所によって十分に補えるものではないだろうか。
「長所と短所は紙一重」
という言葉、厳密には短所ではなく、長所から見たところの欠点に当たるのではないかと鹿島は考える。どこまでが欠点で、どこからが短所なのかをしっかり見極めておかなければ、せっかくの長所が台無しになってしまうであろう。そういう意味でいくと、鹿島の潔癖症は欠点に繋がるものであり、正義感は、短所に繋がるものかも知れない、正義感が強すぎることで、時々損をするからだ。
注意をすれば、自分が悪いにも関わらず、逆切れする人も中にはいる。チンピラのような男もいたりして、そんな男から凄まれると、急におとなしくなってしまう。
注意をする時は、自分に正義があるという気持ちだけが先に立って、相手から逆切れされることを考えていない。逆切れされると、急に恐ろしくなるのは、それまで考えていなかった自分の立場を思い出し、我に返ってしまうからである。
自分には何の力もないことを思い知らされるのはそんな時であった。
下手に逆らって、話ができる状態ではないので、喧嘩なってしまうと、あとが大変である。喧嘩して負けることが怖いわけではなく、喧嘩をすることで自分の社会的な立場が不利に立たされることを心配するのだ。
――あんなくだらないやつの巻き添えを食うのは嫌だ――
という気持ちが頭を巡り、喧嘩にならないのは結果としては賢明な処置ではあるが、そのためにストレスが残ってしまう。
――ストレスが溜まるくらいなら、最初から注意しなければいいんだ――
ともいえるだろうが、
――注意しないで目の前で行われている悪を黙って放っておけるのか――
という気持ちも頭の中で語りかける。
そんな時は二人の自分が頭の中に存在し、それはどちらかが正義でどちらかが悪というわけではないのだが、明らかに正反対の性格の自分である。
正義と悪だけが正反対ではない。結果として残ってしまったストレスに対して、自分の中で何とか正当化したいがために起こる葛藤であった。そんな葛藤をずっと繰り返している自分を分かっているが、どうにもならないと思っているのは、まだ自覚症状があるだけいいのかも知れない。
持って生まれた性格なのか、それとも環境が生成させたものであるかは明らかではないが、少なくとも、どちらかだけではここまで根が深くはないだろう。持って生まれたものに、まわりの環境が少なからず影響していることは火を見るよりも明らかだ。
頼子はそんな鹿島の性格を知っていて、鹿島と付き合うことを決めた。
作品名:短編集110(過去作品) 作家名:森本晃次