短編集110(過去作品)
限りなくゼロに近い
限りなくゼロに近い
「女性のわがままはアクセサリーのようなものだ」
という話を聞いたことがあるが、今の鹿島礼二にとってその言葉は一番強烈な皮肉であった。
厳格な性格の鹿島ではあったが、女性に対しては甘いところがあったが、それも限度というものがある。
「自分のことを棚に上げて」
と言われるかも知れないが、最初から感覚の違いがあったのではどうしようもない。女性というものが信じられなくなったとしても仕方がないと思っている。
男性が女性を、女性が男性を信じられなくなることは珍しいことではないだろうが、
――まさか自分にそんなことが訪れようとは夢にも思わなかった――
と感じている人がほとんどではないだろうか。
女性を好きになるのは男性の本能である。女性だってそうであろう。好きになるとまわりが見えなくなり、猪突猛進になるのは若さの特権で、それによってさまざまな問題が生じてくるのも仕方はない。
例えば嫉妬。
相手を好きになったがゆえに相手しか見えなくなり、相手の気持ちも自分と同じだという錯覚が生まれ、自分の考えと違う行動を取ると、不安になり、疑心暗鬼になってしまうことも往々にしてあったりする。
それが嫉妬ではあるが、嫉妬にも度合いがあって、
――嫉妬されるほど好かれているんだ――
と嫉妬されたことを嬉しく感じる人もいるだろう。それも女性の可愛らしさ、愛嬌として片付けられる間はいいが、それがひどくなると鬱陶しさを拭いきれなくなり、相手を見る目も変ってくる。
――可愛さ余って憎さ百倍――
という言葉があるが、今まで愛嬌しか見えていなかっただけに、相手に対して憎悪の念が生まれることもあるだろう。
鹿島礼二は、そんな思いを断ち切るために、旅行に出かけた。
どこに行くという宛てがあるわけではない。学生時代には旅行に出かけたこともあったが、それも今と同じ一人旅であった。だが、その時は旅先での出会いを求めてのもので、そこで出会った人と、行動をともにすることの楽しさを知っていたからだ。もし誰にも出会うことなく続ける旅なら、それはそれでもよかった。最後まで出会いを想像することができれば、それなりに楽しい旅だったからだ。
鹿島は一人でいることが嫌いではない。むしろ、一人でいる時間が多いわりには、一人の時間を有意義に過ごす術を知っているつもりである。
趣味は多彩であった。
絵画を描いたり、ポエムを書いたり、さらには、ダンスも習っていたりした。学生時代に芸術的なことが好きで、絵画では地元コンクールに入選することも何度かあった。
「もっと大きなコンクールに出展すればいいのに」
と言われたこともあった。大きな展覧会に出展してみるのもよかったのだろうが、それよりも趣味を豊富に持つことの方に興味があり、絵画ばかりをしている気にはなれなかった。
それが却って女性の気を引くことになった。
一つのことに秀でている男性に興味を持つ女性も少なくはないだろうが、大学時代にいたまわりの女性は、多彩な男性に興味を持つ人が多かった。というよりも、鹿島のまわりに集まってくる女性のほとんどが、そういう女性だったというだけなのかも知れないが、それを知ってか知らずか、鹿島は多彩な趣味を持つことの方を選んだ。
鹿島の友達のほとんどは、一芸に秀でている人たちばかりである。
絵画では大きなコンクールでの入選経験があったり、スポーツではインターハイでの優勝経験者、中には自分で撮ってきた写真を出版社が買ってくれたりしているやつもいるくらいだった。
鹿島は彼らを尊敬し、羨ましくも思っていたが、逆に彼らも鹿島を尊敬していた。一芸に秀でている人も自分の中に不安があるのだ。それは誰にでもあるもので、秀でれば秀でたで、違う不安がこみ上げてくるものなのかも知れない。
彼らには彼らの個性がある。自分が秀でた部分を必死にアピールしようとする人もいるが、大半は、自分の世界をあまり表に出そうとしない人ばかりである。自分の世界は人に冒されたくないもので、せっかく気付いた世界を大切にしたいという気持ちの表れであろう。そこにどれほどの苦労が存在したのかまでは分からないが、想像をはるかに超えたものではないだろうか。鹿島はそう感じていた。
彼らは一芸に秀でた連中で作ったグループ以外とはあまり話をしない。鹿島はそのグループの中では例外であろう。なぜなら、他のグループの連中と話もするし、他の人が見れば、鹿島はいろいろなグループに所属しているように見えるからだ。
実際に、鹿島は誰とも分け隔てなく話をしている。そこが、女性に好かれるところでもあった。
鹿島は大学一年性の頃は決まった彼女はいなかった。ガールフレンドと呼べる女性は数人いたが、友達の域を出ることはなかった。それでもいいと思っていたのだが、次第にそれでは寂しくなってくる自分に気付いていた。
大学二年になって知り合った女性、彼女の名前を頼子というが、頼子と知り合ったのも奇妙だった。
知り合ったきっかけは別に普通だったのだが、知り合ってしまったことに鹿島は後悔を覚えた。
彼女は、自分が他の人から気にされていないと気がすまない性格の女性で、いつも誰かに構ってもらいたがっていた。そのことが分かっていたはずなのに、彼女のことが気になって仕方はなくなってしまうまで、すべてを彼女の魅力だと思っていたのだ。
構ってもらいたくて仕方がないということは、寂しくて仕方がないということである。自分を寂しいと思う女性は目の前にいる男性を慕っているはずなので、嫌いになるはずもない。男として慕われることが嬉しいからだ。
大学生というと、まわりにたくさんの女性がいるので、
「わざわざ一人の女性に決めることもないだろう。たくさんの女性と付き合って、その中から一人を見つければいいのさ」
と嘯いている友達もいたが、
「それってまるで女性蔑視のように聞こえるんだけど」
というと、
「そうは思わないさ。女性だって、たくさんの男性の中から、自分に似合う人を探すものさ。合う合わないは付き合ってみないと分からないからね。だから、すぐに別れて他の人と付き合う人がいてもおかしくないじゃないかな?」
「そんなものかな?」
何となく納得はしたが、どこか釈然としない。自分に気持ちの余裕がないことだと気付くまでに時間が掛かった。
――しかし、友達だって決して気持ちに余裕があるわけではないんだろうな――
と思っていた。
そんな時に出会ったのが頼子だった。
「名前は源頼朝の頼という字を書くんですよ」
名前を最初に気に入ったと言ってもよい。珍しい名前で、しかも人に頼ってしまうタイプに見える彼女にはピッタリの名前だった。
人見知りをするタイプで、自分からなかなか話題を作れない。人の話題にも恐る恐る入ってくるようなタイプで、つい手助けしたくなる。
そんな女性を男性は「かわいらしい」と感じるのではなかろうか。
他の友達も頼子には親切だった。
「ここが分からないの」
と言えば、時間を考えずに一生懸命に教えてあげたくなる彼女に対して、程度の度合いはあるだろうが、ほとんど皆同じ気持ちだったに違いない。
作品名:短編集110(過去作品) 作家名:森本晃次