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短編集110(過去作品)

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 女の子を意識するようになり、大人の女性がそばを通っただけで、振り返って、しばし見つめていたりしているやつもいた。
「そんなに気になるものなのか?」
「お前は気にならないのか? おかしいんじゃないか?」
 といわれたりしたものだが、
「俺は何とも思わないんだが、急に何かを感じるようになるのかな?」
「匂いだよ、匂い。大人の女性には芳醇な香りが漂っているのさ。香水の香りとはまた違った匂いに吸い寄せられるような気分にならないかい?」
「俺には分からないな」
 と答えていたが、
――その匂いを感じるようになれば、俺も友達のように大人の女性に興味を持つようになるんだろうな――
 と思い、別に焦ることもなかった。女性に興味を持つことは、大人への一つのステップのように思っていたので、最初は焦りもあった。だが、焦る必要はないということを友達が教えてくれたのだった。
 しかし、中学にもなれば、相手のことを考えず、余計なことを吹き込むやつもいたりする。別に知りたくもないことを、勝手に知識として入れたがるやつがいて、本人からすれば、面白半分、そして残りの半分は、自分が大人であるということを示したかったのではないだろうか。
 彼が植え付けた知識は、女性と男性の肉体関係についての知識だった。しかも低俗週刊誌に載っているような小説の内容を、事細かに説明する。
 それも授業中に、集中しなければならないシチュエーションでの中で、ボソボソとした口調で耳元から囁かれれば、いやが上にも気にならないわけにはいかない。
――大きな声では話せない内容――
 と思うことが余計にムズムズした感覚を植え付けられる。
 しかも、その時に自分の下半身が反応していたのだ。
 恥ずかしかった。
 誰にも言えないことであるし、悟られないように必死になっていたが、話をしているやつには分かっていただろう。
――こんな気持ちにさせやがって――
 とは思ったが、誰かに悟られたくない気持ちの方が強く、表情を変えることができない自分に腹も立つ。憤りを感じるといってもいいだろう。
 話の内容は、後から思えば中学生の中途半端な知識だった。だが、想像性豊かで、成長過程にある健康な男子に中途半端な知識は却って毒である。余計な想像が頭から離れなくなってしまっていた。
 その友達には、いろいろなことを教えてもらった。余計な知識も多かったが、それでも、何も知らなかった粕谷にとっては、先生のようなものだった。
 それも人生の先生とまで思っていたのである。思われていた方も、さぞや気持ちよかったに違いない。
 だが、それが少し違っていることを知ったのは彼の家に遊びに行った時だった。
 どちらかというと裕福な暮らしの粕谷だったが、その友達は輪を掛けて裕福だった。粕谷自身、自分では裕福だとは思っていなかったが、友達はさすがに感じていると思っていた。
 庭も広く、綺麗に芝が生えそろった庭は誰が手入れしているのだろう。お屋敷と言えるほどの家なので、きっと手入れにはお金を惜しまないに違いない。専属の庭師がいるのではないかと思ったほどだ。
 友達の部屋に行くと、案外普通の中学生の部屋なので、びっくりした。考えていたよりも綺麗に整頓されていたからである。どちらかというと、大雑把なところばかりが目に付く友達だったので、部屋もそれなりに散らかっていると思っていたのだ。
 まるで女性の部屋のように綺麗に整頓されているのを見て、違う意味で見直した気がした。
――見習わないとな――
 粕谷の部屋は対照的に綺麗に整っているとはお世辞にも言えない。
「いつも綺麗にしていなさい」
 常々母親から言われていた。
 粕屋は反発心が強い方だった。言われれば言われるほど反発してしまう。綺麗にしなければいけないと思いながらも、
――いつでもできるさ――
 という思いが次第に散らかってくる部屋に何も感じなくなる。
 しかもヒステリックに説教されてしまっては、火に油を注ぐようなもの。
――誰が掃除なんかするか――
 と、ひねくれるようになっていた。
「いらっしゃい」
 ワンピースを着たおねえさんがコーヒーとケーキを持ってきてくれた。これくらいの家庭になると、コーヒーとケーキは定番なのかも知れない。
「僕の姉です」
 普段、「僕」などと言ったこともなく、しかも粕谷に敬語など使うなど信じられない友達の言葉とは思えず、しばし絶句していた。
「あ、どうも初めまして、粕屋と言います」
 絶句したわりには、きちんと挨拶ができた自分が不思議だった。
「ありがとう。もういいよ」
 言葉では優しかったが、どこか煙たがっている友達の表情を粕屋は見逃さなかった。
「じゃあ、ごゆっくり」
 立ち上がり、踵を返した時に、何とも言えない甘い香りを感じた。おねえさんが部屋から出て行くのを身と溶けると、友達の表情は一転して、まるで苦虫を噛み潰したような何とも言えない表情になった。そのまま唾でも吐き捨てそうな雰囲気である。
「余計なことを」
 声にはならなかったが、口元がそう動いたように思えた。
「姉さんは、本当の姉さんじゃないんだ。今の母親は父親の再婚相手で、義母も姉も好きにはなれない」
 と言いながら、口惜しそうな表情はどこから来るのか分からなかった。
 高校時代まではお互いに友達で、高校二年生になる頃には、お互いに対等な関係になっていた。
「お互いに尊敬できるところがあると、友達関係って長続きするものだな」
 と友達が言っていたが、納得できた。そのことに気付いた友達に、さらなる尊敬の念を抱いたのは言うまでもなかった。
 大学に入ると、お互いに離れ離れになっていた。粕屋は都会の大学に進み、友達は地元の大学に進んだ。
 中学時代の同窓会があって、久しぶりに戻ってきた時、一番会いたかった友達が来ていなかったのだ。
「どうしたんだい?」
 と同じ大学に進んだやつに聞いてみると、
「お前知らないのか? 彼は、義姉と駆け落ちしたらしいんだ。昔からそういうところがあったからな」
 という話だったが、
――違う。粕屋はそんなやつじゃない――
 と一人首を振っていた。
 やつは、大雑把に見えて思い切ったことをしそうに見えるが、実際には寂しがり屋で、思い切ったことなどできる性格ではないんだ。
 と感じた。
 何となくおねえさんを避けていたように思っていたのは、どうやらオンナとして彼女を意識していたからだろう。そして性的な話をするのも、どうしようもない欲求のはけ口を求めていたからに違いない。だから、おねえさんの前では従順で、いなくなった瞬間に、苦虫を噛み潰したような表情になったのだ。
 確かにそれからの友達は違って見えた。尊敬とは違う身近に感じられるものがあった。ひょっとして、自分も同じような思いをするのではないかと感じていたからなのかも知れない。
 初めて会った時のお姉さんの顔を思い出していた。
――どんな顔していたっけ――
作品名:短編集110(過去作品) 作家名:森本晃次