短編集110(過去作品)
服装はいかにも画家っぽかったのだが、雰囲気が画家ではない。どこか垢抜けた身のこなしを感じ、まるで令嬢のような歩き方であった。
顔の雰囲気もお嬢さんっぽさがあり、話しかけにくい雰囲気があった。
「お客さん同士お話されるのもいいかも知れませんね」
とも言われたが、なかなかそうも行かない雰囲気だった。
だが、宿の人の気持ちも分からなくはない。温泉宿に一人旅の女性、いくら絵を描く人とはいえ、こうやって見ていると、思いつめるタイプに見えなくもない。他に客がいれば話しかけてほしくなるのも分からなくはない。
電話での予約の時はどうだったのだろう?
あまり暗い雰囲気だったら分かったようなものだが、それも後で仲居さんにちょっと聞いてみた。
「いえいえ、それがね。電話では陽気な感じの人だったんですよ。私たちも実際に見て、びっくりしているというのが真実ですね」
と話していたが、やはり彼女と本当に話をしてみなければ分からないだろう。
年齢的には二十歳代の半ばから後半に掛けて、粕谷にとっては、少し「おねえさん」になるだろう。見た目の年齢なので何とも言えないが、
「こんにちは」
「こんにちは」
声の感じはやはり陽気に見える。目を瞑って声を聞けばきっとまったく違った女性を思い浮かべるに違いない。
「絵を描かれるということですが、職業なんですか?」
「いえ、本職は違います。いずれは画家になりたいという思いをずっと描いてきたんですけど、なかなか現実は厳しくて。今では趣味で描いているだけですね」
絵を見せてもらうと、
「いやいや、なかなかのものに見えますよ。特に少し距離を置いてみると、立体感が浮き出てきそうですね」
温泉から少し山に入ったところに滝があるというのは、最初に宿の人に聞いた話である。鉛筆でのデッサンであるが、その滝を見事に描いていて、数秒間じっと見つめていた。見れば見るほど見事に感じる。色が白と黒の二色であっても、明るさのグラデーションが素晴らしく、却って色がない方が綺麗に見える。
「鉛筆画が専門なんですか?」
「いえ、そんなことはないんですが、この滝を見た時に、鉛筆画が浮かんできまして、インスピレーションで浮かんできたものを絵にするようにしているんですよ」
と話してくれた。
確かに最初に浮かんできたものを描くのが素晴らしいに違いない。絵心はない粕谷だったが、
――描いてみたいな――
と思わせる絵であった。
美術館に飾ってある絵を見ても、何が素晴らしいのか分からない。
――ここに飾ってある絵はどれも素晴らしいんだ――
という思い込みがあり、それは何かの力で思い込まされているという意識があるためか、最初から、
――プロの作品――
という目で見てしまう。だから、感動を覚えないのだろう。だが、彼女に対しては、素人としてしか見ていないので、どうしても贔屓目に見てしまうのだろう。それを差し引いても、粕屋には感動的に見えた。
滝のように動いていることで壮大さをかもし出しているものを、動かない、しかも平面の世界に納めてしまうのは、実に難しいことだろう。いかに壮大な動きを、そして立体感を表すかが、焦点になってくる。
――ボカシのセンスがいるのかも知れない――
粕谷は、常々物事にはボカシが必然なものであることを感じていた。
――含みを持たせる――
といってもいいのだろうが、要するに「遊び」の部分である。
遊びをニュートラルとも訳せるだろうが、余裕がなければ表すことができないもので、違った角度から物事をみることで、違ったイメージが見えてくる。あたかも違う方向から見た影がまったく違う方向に、まったく違った形で現れる雰囲気に似ているのではなかろうか。彼女の絵にはそれを感じるのだった。
彼女にも同じものを感じた。声の感じと、雰囲気がまったく違う。光と影の部分が見える角度によって違うのだろう。
彼女の雰囲気は、違う角度から見ることを嫌っている雰囲気がある。隙がないとでもいうのだろうか。こちらが角度を変えても、彼女は自分が動いて、必ず正面を向いているだろう。
それでも当たっている光の方向は変わらないので、できる影は微妙に違う。それを知ってか知らずか、わざと違った方向から見てみたくなる女性であった。
「明日でも滝までご一緒しましょう」
ダメかも知れないと思いながら誘うと、意外にも
「いいですよ」
とアッサリ引き受けてくれた。
その日は、廊下で出会うこともなく、二人はそれぞれの部屋で自分の時間を過ごした。それはお互いに最初からの予定していたことで、その日は、テレビをつけてはいたが、完全に頭の中は次の日のことでいっぱいで、実際にテレビの内容など覚えていない。
部屋で一人でいる時にも同じようなことがある。何か自分の用事をしながらテレビを見ていることも多く、内容を覚えていないことが多い。そのため見るテレビもドラマなどの続きものではなく、バラエティのようなあまり記憶に残らないものがほとんどだった。
一人で考えごとをする時、部屋を静かにして考えるよりも、テレビがついている部屋で考えごとをすることの方が多いかも知れない。静かな部屋ではなかなか時間が過ぎてくれず、却って余計なことを考えてしまうが、テレビがついていたりすると、時間があっという間に過ぎてしまい、結論だが出なくとも、
――そのうちに何とかなるだろう――
という考えに落ち着く。
元々が大雑把な考えだからかも知れないが、以前はもっと神経質だったはずだ。余計なことばかり考えて、一人悩んでしまう。それを解消するのがリズムであるということに気付いたのは大学に入ってからだった。
テレビの音であっても、音はすべてにリズムを持っている。静寂の中で感じるリズムは胸の鼓動だけ、胸の鼓動が、自分に与える影響が悪いリズムであるという思い込みは、静寂は耳鳴りしか与えないことを知っているからだ。
彼女と次の日に一緒に滝まで出かけていった。滝まではあまり綺麗な道があるわけではない。舗装された道も途中までで、途中からは土の道であった。
しかも粘土質。
滝は猛烈な湿気を放つため、道もドロドロであった。粘土質にドロドロの湿気、まさに歩くには最悪のシチュエーションと言えよう。
不安定になりながら辿り着いた滝は、最初に考えていたよりも壮大で、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「吸い込まれそうな雰囲気を感じるでしょう?」
彼女の言うとおり、大量の水が一気に下の池に打ち付けられて、勢いでまわりが真っ白になっている。その時の勢いは、見ているだけで吸い寄せられてしまうほどの風が感じられる。
音もすごいのだが、次第に音は霧の中に吸収されていくように思えてくる。
「あまり近づくと、危ないわよ」
適度なところにベンチがあり、彼女は、持ってきたタオルで、ベンチの上を拭くと、そこに腰掛けた。そして、おもむろにスケッチを始めた。
「昨日出来上がっていたのではないんですか?」
「ええ、昨日のは昨日の作品ですね。でも、今日はまた微妙に違う形を示してくれているんですよ。見ていればあなたにも分かるかも知れません」
作品名:短編集110(過去作品) 作家名:森本晃次