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短編集110(過去作品)

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福博の川で



                福博の川で

 粕谷紀一が初めて九州に足を踏み入れたのは、仕事で博多に行った時だった。
 博多駅近くにある営業所に立ち寄り、営業先を回ったのだが、まだ入社二年目で、遊びたい頃でもあった。
 遊びたいと言っても、有名な中洲に繰り出して夜の街を謳歌したいという意味ではない。元々アウトドア派であった粕谷は、あまり夜の街に興味はなかった。会社の人との付き合いで呑み屋には行くが、決して目立つことなく、適当に相槌を打っている。それでも雑学に長けていることから、たまに口を開いたことに女の子は感動を覚えるようだ。
「まあ、そうなんですの?」
「素敵なお話ね」
 たちまち尊敬の眼差しが飛んでくる。これがあるから目立たないようにしていても辛くないのだ。
 途中までは先輩を立てているが、最後は適当においしい思いをする。先輩としては面白くないのではないかと思うのだが、なぜか先輩からよく誘われるのだ。
 粕谷の外見は、どちらかというと、どこにでもいるタイプの男性であろう。ただアウトドア派なので、体格はよく、色も黒い。意外と夜の女性にもてるタイプではないかと思えるが、口下手な性分なので、自分が目立ちたいと思う先輩にとって粕谷のような後輩は、同伴するにはもってこいだったのだろう。
 粕谷は女性の気を引くのはうまいが、純情なところがあって、どう女性と仲良くすればいいのか分からない。特に夜の街はまったく未知の世界で、先輩がいなければ一人で来ることもない。
――本当は夜の街が好きなのかも知れない――
 とも思う。
 食わず嫌いという言葉があるが、粕谷はその典型であった。
 まさに食事の好みにしてもそうだし、新しいものに対しての抵抗感は、食わず嫌いにあったのかも知れない。新しいことを覚えることは嫌いではないが、始めるきっかけがなければなかなか重い腰を上げることがない。自分では損な性分だと思っている。
 アウトドア派になったのは、山が好きだからだ。山が好きになったのも、実は海が苦手だったからだ。海が苦手なのは潮風がダメで、小学生の頃に海に連れていってもらった次の日には必ず熱を出していた。
 決してひ弱なわけではないのだが、潮風にあたるのはダメだった。それに比べて山の空気は新鮮で肌に直接沁み込むような感じである。
 風は直接肌を刺激し、冷たさ暖かさをしっかりと感じられる。潮風は暖かいのか冷たいのかまったく分からなかったことを思えば、毛穴が塞がってしまうことが身体に悪かったことを促してくれる。
 山登りも最初は友達とだった。中学に入ると登山の好きな友達ができた。できた友達が登山好きだったというのも、今から思えばただの偶然ではないように思えてならない。
 登山に魅入られた友達だったが、登山以外でも話が盛り上がった。実際に今も持っている雑学の知識の半分は、その友達から教えられたもの多い。
 中学時代という成長期にできた友達に、雑学に精通している人がいたことは、今の自分を形成する上で、重要な要素だったに違いない。
 山登りをしていて、普通に歩いている時は無言の時が多いが、途中の休憩では結構話をする。それが雑学だったのだ。
 下界から逸脱された世界。しかもまわりを自然に委ねられた世界で聞く話は実に新鮮だった。相手への尊敬もさらに増していた。
――彼のようになりたい――
 と感じるのも自然なことだった。
 山登りもたまに一人で行くようになり、さらに本屋に寄ると雑学の本を気にして見るようになった。雑学の本はその頃から溜め始め、今では雑学に限らず、本棚に一杯になっていた。
「趣味はなんですか?」
 と聞かれると、
「読書です」
 と答える。登山ももちろん趣味ではあったが、趣味としての登山というところまでは行っていない。今でもたまに山の空気を吸いたいと思うが、山登りができるほど、体力に自信がなくなってきた。
 大学に入ると、登山には行かなくなった。アルバイトに明け暮れた時期があったからだが、一度行かなくなると、体力の限界というよりも、山登りに使う筋肉が衰退しているようで、スポーツにしてもしかりだが、使う筋肉はそれぞれで別々になっていることに気づくのだった。
 旅行は好きだった。
 中学の頃に初めて、登山のために友達と二人での旅行をした。登山目的だったので、観光地に立ち寄ることもなかったが、あまり賑やかなのは好きではないので、それでもよかった。
 だが、次の旅行は一人旅がしてみたかった。冒険心があるからというわけではなかったのだが、知らない土地の知らない人と初めて話す感覚を味わってみたかった。
 友達は一人旅の経験があると言っていた。
「やっぱり、人から聞く話って新鮮なんだよな」
 その時の自分にとって、「人」というのを友達に置き換えれば、まさしく同じ心境だった。「新鮮」という言葉が耳に残り、旅行とは新鮮なものだという発想にいたる。
 一人で出かけた旅行では、なるべく同じ旅行者に話しかけるようにした。最初は大学生くらいの男の人に話しかけていたが、自分がいきなり成長してしまったかのような錯覚に陥っていたが、話を聞いているとやはり同じ年齢の友達とは教養が違う。
――まわりの友達の違いなのかも知れないな――
 と、いきなり大人の仲間入りしてしまったように感じた。背伸びしたい年頃であることを再認識したとも言えるだろう。
 あまり遠くに行く旅行は好まない。お金や時間の問題もあるが、
――まずは近くを知っておきたい――
 という思いが強いのも事実だ。
 足場を固める感覚は、山登りで得た感覚かも知れない。足元ばかりを見ていては先が見えずにきつくなるが、かといって足元を見ずに、先ばかり見ていると、いつまで経っても目的地に辿り着けない。足元への意識だけはしておかなければならないと感じていた。
 大学時代に行った温泉への一人旅が印象的だった。
 特急に乗って二時間くらいのところがちょうどいい。温泉が出れば、なおいい。そんな感覚でいつも探していた。
「温泉で心も身体もリフレッシュ」
 年寄りや、女性ばかりの旅でなくとも、温泉は誰にでも平等だというのが、粕屋の持論だった。
 確かに粕谷が住んでいる街から温泉が出るところまではちょうど列車で二時間ほど、温泉郷と呼ばれるところには観光地として名高いところもあった。あまり観光地として賑やかだと、却って世間ずれしている。やはり温泉には静かなところが魅力がある。
 大学生一人の客などいないかと思っていたが、
「時々、一人のお客さんもありますよ」
 という話だったが、どうやら目的は芸術にあるらしく、一人静かに絵を描いたり、詩を書いたりする人が多いと言う。その中には大学生もいると旅館の番頭さんが話していた。
 一人旅で大学生は、一泊ではなく、数日逗留しているという。粕谷も二泊の予定でいたのだが、ひょっとすると、もう少し長く逗留するかも知れないと感じていた。
 ちょうどその時、一人旅の女性が逗留しているという。初めての客だというが、
「お客さん同士お話されるのもいいかも知れませんね」
 と、仲居さんが話してくれる。
 普通であれば、
――けしかけるようなことはないはずなのに――
作品名:短編集110(過去作品) 作家名:森本晃次