短編集110(過去作品)
矛盾というのは別に自然に矛盾しているわけではなく、順平の心の中に矛盾があるのである。
――繋がっているはずの気持ちの中に矛盾を感じると、それが夢だったことに気付いて目が覚めるものなのかも知れない――
と感じるのだった。
夢が必ず矛盾しているものを見せるわけではないが、目が覚めてから結果的に矛盾があったことで目が覚めたという認識を受ける。順平にとって、夢とは、
――忘れてしまったのだと思っていることを封印している場所なのかも知れない――
と感じさせるに十分だった。
ジャズに心を動かされている順平だったが、本当に好きなのはクラシックであった。そのことに最近気付き始めている。
クラシックには歴史を感じる。歴史の重みはそれまでの自分の人生を凝縮しているように思えてしまう。だが、どんなに長いと思っている人生であっても、それは歴史の一部にしかすぎない。繰り返される歴史の中で、自分がいる位置など、流れの中に潜んでいる無数のプランクトンのようだ。
「もし、人生をやり直せるとしたら、どこからやり直したいかい?」
と聞かれたとすれば、
「ピンと来ないよ。もっともやり直したいとも思わないけどね」
と答えるに違いない。
この返答にはいろいろな意味が含まれているだろう。
あまりにも壮大で、ピンと来ないのも間違いないし、やり直しが利かないだろうという現実的な考えがあるのも事実だ。
しかし、もしやり直せるとしても、きっと同じことを繰り返すに違いないという思いが一番強いからで、まったく違う人間に生まれ変わりでもしない限り、同じことを繰り返すだろう。
まったく違う人間になってしまったら、今考えていることもすべてリセットされてしまい、人生をやり直したことに気付くはずもない。それこそ時空のパラドックスと言える感覚である。
「何か三つまで願いを叶えます」
という内容の童話を聞いたことがあるが、
「人生を繰り返せるとしたら……」
という発想に似ているような気がする。どちらも現実離れしていて、自分の中の想定を越えているのだ。
「人生の原点は、生まれた時にある」
そんな話も聞いたことがあるが、これも、
「将棋を指す時に、隙のない布陣は何か?」
と聞かれた時のようだ。
将棋で一番隙のない布陣は、最初に並べた形なのである。動くごとに隙が出てくるという考え方だ。
「動かざること山の如し」
とは、まさしくこのことだろう。
ただ、時々考え込んでしまうのはなぜなんだろう? 人生を流れに沿って歩いているつもりで時々立ち止まってしまう。そこで見ないでもいい後ろを振り返り、気にしていたことが何か分からなくなる。
「後ろを決して振り返ってはいけない」
と言われて、振り返ったことで一つの悪の街が滅んでいくと同時に石になってしまった男、旧約聖書で見た覚えがある。順平はクリスチャンではないが、歴史が好きで、旧約聖書の話には造詣が深かった。聖書の中で、強いインパクトを受けて、自分の人生に大なり小なり影響を与えていると思っている。
順平が角を曲がる時、いつも同じことを思い出すのも、人生を繰り返しているからだという思いを強く持っているからに他ならない。人生が繰り返される中で、同じ周期で繰り返す別の世界があるとすれば、順平はその世界の存在を信じるに違いない。
角を曲がると、いつか違う世界であることを感じているのかも知れない。
――自分という狭い範囲の中で、曲がった角の向こうで、過去という点と線が交じり合って、一つの人生を作っている――
と思うようになった。
人生は人とのつながりによって、無数の線を作り上げる。その中に自分の人生がどこに繋がっているかを考えるようになっていた……。
部屋に入ると感じるもの。この部屋の過去に何があるというのだろう。
異臭を感じるはずなのに、湿気が嗅覚を麻痺させる。それが記憶を呼び起こすものなのだろう。
未来を見つめるためのものがすべて過去に向かっている。
部屋の壁の奥には、湿気た異臭を放つものが埋まっているに違いない……。
( 完 )
作品名:短編集110(過去作品) 作家名:森本晃次