自殺と事故の明暗
時間の感覚がこれまでとは明らかに違う。そしてその時には分からないが、それ以降の自分にとってもまったく違うものになってしまうものであった。それを自覚しろというのは無理なことで、自覚ができないから、何をどうしていいのか分からずに、時間に流されてしまう。理屈は分からないままに、みゆきはそんな同級生を何人も見てきた。自分なりに想像もしてみた。その想像が実はまんざらでもなく的を得ていたのだが、それを教えてくれる人などいるはずもなかった。
そんな人たちを見ていて、
「反面教師」
のつもりでいたが、ただ、それは彼らと違って自分が優れているなどという比較論ではなかった。
「自分はあんな風にはならない」
という、意識でもなかった。
彼らの様子を直視して、みゆきは想像を膨らませる。どのように膨らませるかはその時によって違うのだが、あくまでも自尊心を高めようなどという思いからではなかったことは確かだろう。
ただ、何かを想像しているだけなのだが、その総総力がいつの間にか研ぎ澄まされていき、いずれそのことが彼女の特徴になり、身を助けることになるのを、その時のみゆきは知る由もなかった。
元々、
「私は頭が足りないんだわ」
という意識を持っていた。
たくさん想像するのも、自分で考えることができないから、想像するしかないという考えだったが、間違ってはいないだろう。
しかし、頭が足りないからの想像力ではなく、巡らせた想像にまわりがついてこれないことで、まわりと自分が違うということから、みゆきは自分の頭が足りないと子供の頃から思っていた。
みゆきがそう感じていたのは、まわりがそういう暗示を掛けていたからだった。一番悪いのは、父親で、
「あの子は少し足りないんじゃないか?」
と、仕事で遅くなった時、娘が寝ていると思って。母親に笑いながら話す。
それを聞いて母親も、
「そうなのよね。ちょっと心配」
と、どこまで心配なのか分かってもいないくせに、そんな言い方をする。
実はみゆきは聴いていた。聞いていないというのをいいことに、笑いながら娘のことをそんな風にいう父親の方が、本当は十分に足りていないのだ。そういう意味ではもしみゆきの頭が足りていないということであるなら、自分の遺伝であるということを分からない父親の方がよほどバカだということであろう、
母親にしてもそうだ。
父親に同調することで、家庭の平和を保てるなどという妄想に駆られているから、娘を犠牲にすることであっても平気位でいられる。実に狂った両親と言ってもいいだろう。
そんな両親からこんな天才姉妹が生まれたのだから、神様も捨てたものでもない。やはり神様は本当にどこかにいらっしゃるのではないかと思えてくるくらいである。
みゆきは、当時、まだ十歳にもなっていなかった。十歳未満の子供にそんな悪口をほざくのだから、親の罪たるやひどいものだが、子供もそれを聞くと、信じ込んでしまう。
もっとも、その頃は、
「頭が足りない」
という言葉の本当の意味が分かっていなかった。
「私は頭が足りないんだ」
と思い込んだとしても無理もない。
しかも、姉のなつみも聴いていた。なつみくらいになれば、言葉の意味は分かっている。両親に対して怒りとやるせなさがこみあげてきて、
「あれが私の両親だなんて、あまりにもみゆきが可哀そうだ」
と考えるようになった。
その頃から無意識にいつもみゆきのことを考えていて。
「私がみゆきを守ってあげる」
という思いが強くなり、それが次第になつみの性格を形成していった。
なつみは、性格的に自分が正面に出ていくタイプではないと、ウスウス気付いていた。誰かをサポートすることにかけてはある程度の自信があったのだが、中学に入ってからの副クラス委員をやったことで、自分が表に出なくても、自分の実力を発揮できることに気付いた。
「私が、みゆきのサポートをすればいいんだわ」
と思うようになったのは、自分が高校生、なつみが中学に上がった頃だった。
みゆきの天才的な側面が見え隠れし始めたのは、中学に入った頃からだった。
ちょうど、街でひき逃げ事件があり、たまたまそれを目撃していたみゆきが、犯人の車を的確に言い当てた。さらに、
「これは私の意見なんだけどね」
と言って、警察の人に言ったこととして、
「車は信号無視をしたんじゃないかと思うの。それに隣に女の人を乗せていたように見えたので、きっと誰かに追われていて、信号無視をしてしまったのかも知れない。犯人は有名人か、偉い先生か何かなんじゃないかしら?」
と言っていた。
警察も、目撃者の、しかも中学校に上がったばかりの女の子の意見を、鵜呑みになどしたわけではなかった。むしろ、
「変な先入観を与えないでほしい」
と思ったことだろう。
だが、実際に犯人を捕まえてみれば、大学教授が犯人で、奥さんが探偵を雇って、不倫の証拠を掴もうと追いかけていたところの唐突に起こってしまった事故だった。ひき逃げをしてしまったのはまずかったが、追いかけた方にも罪がある。
みゆきの助言通りであったことで、その時の刑事もビックリしていたが、その時から、
「目撃者の証言を頭から思い込みによる証言と決めつけるのもいけない」
と感じるようになったようだ。
みゆきは、警察から感謝状を贈られたが、両親は別に喜んでくれたわけではない。表では、
「うちの娘に感謝状を頂いたのよ」
と言っていたが、心の中では、別に何とも思っていない。
そんなひどい両親だったのだ。
よその家では、娘が感謝状を貰ったと言って近所に自慢して回るなどという話を聞いたこともあったが、
「そんな軽薄な母親は恥ずかしくて嫌だ」
と言ってみたいものだと、みゆきは思っていた。
しかし、みゆき以上に母親の冷たい態度に対して苛立ちを覚えていたのは、姉であるなつみの方だった。
なつみは、みゆきの性格も分かっている。母親の性格も分かっている。さすがにみゆきの性格が母親のこの冷淡さから来ているとまでは思わないが、少なくとも何か悪いものが遺伝しているのではないかとは感じていた。
「親の因果が子に報い」
と言われることがあるが、何の因果だというのだろう。
「生まれてくる子供は、親を選べないんだ」
と声を大にして言いたかった。
そこまでなつみが悔しがるのは、みゆきの素質のようなものを理解しているからだろう。そんな親の因果のためにせっかくの妹の長所が壊されてしまったりするのは、実に虚しいことである。なつみは、妹のみゆきを自分のことのように、いや、それ以上に思っていたのだ。みゆきも自分も大嫌いな母親が自分に因果を与えているなど、妹には知られたくないという思いが強かった。
そういう意味では、天真爛漫なところがあるみゆきを見ていて、ホッとさせられる。母親の因果が影響しているなどと思えないほどの天真爛漫さは、心配している自分さえを慰めてくれるほどだ。元々、慰める方の自分が慰められるなど本末転倒もいいところだが、みゆきを見ているだけでも心地よい気分にさせてもらえるのは、姉冥利に尽きるというところであろうか。