自殺と事故の明暗
また二人の間には、娘がいた。それも二人である。すでに手がかからない年齢になっていたが、学費や何かで少々物入りであったが、この会社で営業課長を務めている以上、よほどのことがなければ、問題はなかった。
奥さんとは共稼ぎで、パートに出ていたが、それも奥さんは別に苦痛に感じているわけではなく、
「家にずっといるよりもマシ」
ということで、家族も団らんで平和であった。
娘の一人はみゆきという名前の高校二年生だった。
近くの高校に通っているが、成績は可もなく不可も鳴くと言ったところであろうか。学校の先生が見ても、
「社交的で明るい性格であるが、たまに何を考えているか分からない時があるかのように、考えごとをしていることがある」
というイメージがあったようだ。
だが、誰かに迷惑を掛けるわけでもなく、友達も多いので、先生もそれほど心配をしているわけではなかった。それでも、他の人とは少し違った変わり者というイメージを拭い去ることはできず、それが長所であればいいと思う先生たちであった。
しかし、それが本当に長所だということが証明されるのは、それからすぐのことで、まわりの人も一目置かないわけにはいかなくなることになるのだが、それが、これからお話する物語であった。この時までは、彼女自身にも自分にそんな力が備わっているなどと思っていなかっただろう。本当にただの女子高生でしかなかったのだ。
彼女の高校は、男女共学であった。性格は少し変わっていたが、男子にはなぜか気になる存在だったようだ。
しかし、彼女のことをあからさまに気にしていると、他の女子から白い目で見られることもあり、そこまでのリスクを犯してまで、彼女に注目する必要もなかったので、皆影から見つめる程度だった。
一歩間違えればストーカー目線であったが、そこまでさせないのも、彼女の雰囲気によるものか、これこそ、いい性格を裏付けるものなのかも知れない。
男子生徒に本当に人気のある女の子は、まるでアイドルのような女の子だった。一度皆と一緒にF市の繁華街に出かけた時のことだったが、彼女には数人のスカウト連中が名刺を渡しているようだった。だが、そんな中、一人のスカウトが、注目の女の子に名刺を渡さす、
「君のことが気になったので、よかったら連絡をください」
と言って渡した相手がみゆきだったのだ。
本命の女の子はあからさまに嫉妬心を抱いているようだった。
――何よ、どうして私じゃないの?
と言いたげである。
しかし、みゆきは戸惑うこともなかった。
「ありがとうございます」
と言っただけで、その様子は、初めてスカウトされたとは思えないほどの落ち着きだった。
だが、さらに驚くべきは、みゆきは最初からスカウトに応じるつもりなど微塵もなかった。普通であればその気がなくともスカウトされれば、少しは気にするものだが、みゆきにはその素振りはなかった。
自信がないからなどということではない。彼女自身、別にやろうと思えばできるくらいの思いがあった。
「ただ、自分には興味がない」
ただ、それだけのことだったのだ。
興味のあることには、おせっかいなくらいに顔を突っ込むのに、興味のないことには、誰から頼まれてもしようとはしない。小学生の時、興味のないことであったが、少々上手だったバレーボールの試合があるから、円バーに加わってほしいと言われて参加したが、本人が思っているとよりも、ほとんど活躍できなかった。
―ーおかしいわ――
と思ったところに友達が、
「何か、面白くなさそうにしている感じだったわ」
と、相手からすれば悪気はなかったのだろうが、そう言われてみゆきはショックを受けていた。
その時初めて、
――そうなんだ、私は興味のないことには、身体が反応しないんだ――
ということに気が付いたのだ。
冷めていると言われるかも知れないが、自分のことを理解するということが大切なのだと、子供なからに無意識ではあっても感じたことは、それからの彼女の人生に大きな影響を与えたのは間違いない。
そういう意味で、彼女は中学時代にまわりから無視されたり、苛めとまではいかないが、陰湿な目で見られたりしたことがあったが、本人がそれを意識していないので、まわりもそのうちに彼女を意識することがなくなっていった。
だが、逆に彼女に対して、大いに興味を持つ人も少なくはなかった。まわりが、
「長いものには巻かれろ」
というような風潮になっている時に、一人逆らうように、我が道を行く彼女を、実に男らしいと思えるような雰囲気を醸し出していることは、見る人によっては実に魅力的なのだろう。
そんな彼女に対してのイメージは、
「敵も多いが、味方もいる」
と言えばいいのだろう。
敵が多いのは、彼女のような性格であれば仕方のないことだろうが、少なくとも味方がいるということはありがたいことである。それがみゆきの性格でもあり、いいところなのだろう。
高校生に入ると、彼女に対しての視線は、さらに極端になっていた。嫌いだと思う人たちにとって、
「存在が邪魔」
とまで感じるのだが、どうしても手出しできない雰囲気があった。
それはきっと彼女に味方が増えてきたからなのかも知れない。
しかもその味方というのが、彼女を嫌いに思っている人から見ると、
「敵に回すとこれ以上厄介なことはない」
と思われるべき人たちで、敵を彼女以外に作ってしまうことは、いかにも本末転倒なことである。
みゆきという女の子の存在が、学校内でもウワサになりかかっていた。そのウワサは決して悪いものではなく、
「頭の切れる、それでいて芸能界にスカウトされるビジュアルを兼ね備えた美少女」
という印象である。
彼女の頭が切れるという印象は、あれはいつだったか、クラスで万引き騒ぎがあった時、彼女は直接に関係していたわけではないので、最初は関わっていなかったが、実際にまわりの人が話している話だけを総合して考えれば、犯人が誰であるかをズバリ指摘したことで、彼女はとたんに有名になったのだ。
「私は別に犯人を指摘したわけではなく、着眼点を見つけて、想像したことを口にしただけです」
と言っていたが、それが平気でできるだけまわりは感心していた。
彼女が自分で言ったことは間違いのない事実だろう。それが彼女の自分をよく分かっているということであり、それが本当の彼女のいいところなのだが、それ以上に表に出てきた事実だけを見て判断する人たちから見れば、
「彼女は頭が切れる」
という風に考えてしまう。
つまり相手を分析しようとせず、全体的に見えたそのままを直接感じるだけなのだ。そこに想像力も思考能力も何もない。そのどちらも兼ね備えて言うみゆきにとっては、どうして誰も頭に描かずに、見えていることだけで判断しようとするのか疑問だった。
それはきっと、世の中の風潮が、
「物事は事実が一番正しく、想像力は事実に比べれば劣るものだ」
というような感覚に包まれていると思っているからであろう。
確かに、事実に勝るものはないが、想像力を伴わないと、真実に行き着くことはできない。それを感じているのが、みゆきだったのだ。
みゆきのことを、
「天才だ」