自殺と事故の明暗
「私は川島さんと以前お付き合いをしておりました。実にいい人で、私のことをいろいろ庇ってくれたりしたんです。それで好きになってお付き合いをしていたんですが、ある日、相手からいきなり絶縁状を突き付けられたんです。私は何も悪いことをしている覚えはないのに、何か証拠を握ってでもいるかのような言い方をされて、本当に一方的でした。まるであの言い方は、こっちから嫌いになるように仕向けているかのような感じでした。どちらにしても、私としては納得がいきませんでした。何とか彼の気持ちをもう一度繋ぎ止めたとしましたが無駄でした」
「一体何があったというんでしょうね?」
「あれはいつのことだったか、一度私が彼の服を選択しようと思っていると、口紅がついていました。浮気をしているのかと思いましたが。どうもそうではない。その口紅はオンナの人の口紅とは少し違っているような気がしたんです。かなりどぎついもので、確か彼はあまり派手な女性は大嫌いだと言っていたはずなのに、そんなにいきなり趣味が変わるというのもおかしいと思いました」
「男性の中には、、急に何かに目覚めたりすることってありますからね。女性に対しての好みが変わることもあるでしょう。ただ、問題なのは、その時に外見上の好みが変わったのか、それとも、顔の表情だったり、性格だったり、そのあたりが違う女性を好きになったのかによって、ストライクゾーンが広がったのか、それとも、本当に好みが変わってしまったのかが分からないですよね」
と言っていた。
「彼は完全に好みが変わったかのようでした。下手をすれば、私に時々暴言を吐くようになり、その時のセリフは、以前はそんなことがなかったのにというのが多かったですね」
「ところで、凛子さん、あなたは、記憶を失っているはずなのに、どうしてそんなに彼のことをどんどん口にできるんです?」
「それは、事故の時助手席で彼の顔を見たという意識があったことで、私は、彼のことだけを思い出すことができたような気がするんです。このまま他のことも思い出せればいいんですが、自分としては微妙な気がしているところです」
と言った後で、
そこまで話を聞いていると、みゆきが急におかしなことを言い出した。
「凛子さん、本当に見たのは助手席の男性が、彼に見えたんですか?」
と言われて、
「ええ、そうだと思いましたけど、言われてみれば、あの暗く冷たい目が彼だったような気がします」
と聞くと、みゆきは、
「ひょっとして、その川島さんは、同棲使者だったんじゃないですか? 同性愛者というのにもいろいろあって、男性も女性も受け付けるという人もいますが、元は男性などの場合は、自分が男性を好きだと思うと、女性を生理的に受け付けないという話をネットで見た気がします」
とみゆきが言ったが、実はこれ、昨日看護師から、
「私は同棲愛者なの」
という告白を受けて、彼女のために少しでも同棲使者のことを調べようとして、昨日家でだいぶネットを見て勉強した。
それが、まさか翌日いきなり役に立つなど思ってもみなかったので、
――世の中、何が繋がってくるか分かったものでもないわ――
と感じた。
「もし、彼がそういうタイプの同性愛者だったとして、どう解釈すればいいんだい?」
と辰巳刑事がみゆきに問いかけた。
「同性愛者は、極端に偏見を嫌うと思います。中にはみずからカミングアウトする人もいますが、それは稀なことです。芸能人だったり、有名人は、うまくマスコミを利用してカミングアウトを演出できますが、逆に一歩間違えるとすべてを失いかねない。難しい立場なんだと思いますけど、逆に一般人は、それだけですべてを失うことはないかも知れないけれど、ごく小さな些細な幸せを育んでいるとすれば、それはすべてが水の泡。まず立ち直れないほどのショックを受けると言ってもいいでしょう。川島さんがどうだったかと思うんですよ。川島さんが一生懸命に顔を隠そうとしていたのには、何か訳があるのかも知れないですね。ひょっとすると、助手席に乗っていた『彼』は、芸能人か何かなのかも知れないですね。たぶん、二人とも蚊を隠していると却って怪しまれる。女性が運転している車に芸能人が乗っているというだけでは、それほど問題にはなりませんが、二人とも顔を隠していると、下手をすると警察から職質を受けるかも知れない。それを思うと怖かったんでしょうね」
と、みゆきは、自分の推理に酔っているかのようだった。
みゆきの着眼点と想像力によるものなのだが。一歩間違えると、暴走しかねない。そんな時に抑えてくれるのがなつみだったが、これもちょうどいいタイミングというべきか、この日のみゆきの行動を知らなかったなつみが、フラリと見舞いに訪れたのだ。
「あら? 皆さんお揃いで」
と、まるで人を食ったような言い方を、なつみはしたのだった。
なつみがこの病院を訪れるのはもちろん、今回が初めてdえはない、感度かみゆきの来ない時にはここにきて、相手をしていた。
二人で来ることもあったが、なかなかタイミングが合わない時もある、同じ日の別の時間にそれぞれ来ることもあったりして、凛子もなつみもしっかり馴染みになっていた。
そんななつみを好きな看護師がいるというのを知っているのは自分だけだと思っているみゆきだったので、p、思わずなつみを見ると、微笑ましく感じたのだった。
みゆきは、別に姉がカミングアウトをしても、別に構わrないと思った。逆にそれくらいの姉であれば、もっと頼もしく感じられるのではないかと感じたのは、同性愛に対して偏見がないといえばウソになるからだった・姉がもしそうであれば、応援するかどうかは分からないが、少なくとも反対はしないと思っている。なぜなら、相手を理解するのはそこから始まるからだと思っている。
「何か、同性愛者とかいうワードが女性の声で聞こえてきたんだけど、まさか、それってみゆきちゃんだったのかな?」
と、なつみは言った。
それまで、会話に集中していたからなのか、あまり意識がなかったが、改まって、しかも姉のなつみから言われると、急に恥ずかしさがこみあげてきた。
完全に顔を下にして、うずくまったような気分になったみゆきだったが、なつみはお構いなしだった。
もちろん、妹の気持ちを分かっていてやっていることだったが。ただ、それは妹の暴走を止めようという意識ではなく、むしろ、もっと表に出させようという意思があったようだ。