自殺と事故の明暗
「夢を見ていると、夢自体が本当のことで、現実世界が実は夢なんじゃないかって思うことがあるんですよ。同じ夢を二度と見ることはできないでしょう? それは続きを見ることができないという意味でですね。つまり夢の世界には時系列があった。過去、現在、未来が存在しているんじゃないかって思うんです。そう思うと、現実との違いがどこにあるのかって考えるようになって、急に前が見えなくなる感覚に陥るんです」
と看護師がいうと、みゆきも、
「うんうん」
と、相槌を打つ。
「それはまるで、真っ暗闇の中で、つり橋の上にいるような感覚ですね。前に進むにも後ろに進むにも、どちらも同じくらいの距離にいて、しかも、どっちに行っても危険は同じだとすれば。あなたはどうしますか?」
と、看護師に訊かれて、あまり考えることもなく、みゆきはすぐに答えた。
「私なら、後ろに戻ります」
と言った。
「どうしてですか?」
と訊かれて、
「だってそうでしょう。もし前に進んでしまうと、自分の家に戻るには、もう一度同じ場所を通らなければいけない。絶対に先に進まないといけない理由があって、しかも時間に余裕がないと分かっているのであれば別ですが、そうではないのであれば、戻る方に間違いなく考えが至ると思います。別に危険を犯してまで、行かなければならない理由も分かっていないわけでしょう? それこそ、『君子危うきに近寄らず』ですよ」
とみゆきは答えた。
「なるほど、みゆきさんらしいですね。じゃあ、それが夢だと分かっていればどうですか? 夢なら行けそうだとは思いませんか?」
と看護師に訊かれて、みゆきは、さらに即答した。
「それなら、なおさら、前には進みません。いや、進めないと言った方がいいかも知れない。なぜなら、夢というのは、自分が夢を見ているということを分かっている時というのは、何でもできるという感覚になるわけではないんです。できないことはできないとハッキリ認識しているんですよ。だから私は前には進めない。夢だと分かった瞬間、何かが覚める気がするんですよ。つまりは夢の中で夢が覚めてしまって、夢が覚めたというところから、次の段階の夢が始まるというわけです。ただ、それは続きではないんですよ。あくまでも違う夢。だって、夢の続きを見たいと思っても、絶対に見ることはできないでしょう? それは潜在意識がそう感じさせるのであって、その潜在意識こそが夢なんですからね。そう思うと、絶対に前には進めるはずがありません」
と、みゆきは答えた。
それを聞いていて、看護師は本当に感心したような顔をしていた。その表情には明らかに尊敬の念があるようで、
「みゆきちゃんは、私が考えも及ばないところに発想があるのね。本当にすごいと思うし、素晴らしいと思うわ」
と言った。
「そんなにおだてても何も出ないわよ」
と、まんざらでもない表情のみゆきは、やはりまだ、ただの高校生の表情を浮かべている。
そんなみゆきを見てホッとしている看護師は、そこも、
――みゆきという少女の魅力なのかも知れない――
と、感じた。
この看護師は、実は姉のなつみともよく話をしていた。
――なつみちゃんも、みゆきちゃんも、お互いに私とお姉ちゃんが、あるいは妹がよく話をしているなどと思っていないんだろうな――
と思っていた。
姉のなつみとの話も結構楽しかった。なつみに感じた思いは、
――私と考え方が似ている――
というところであった。
逆に妹のみゆきに対しては、
――どうすれば、あんな発想が思い浮かぶんだろう?
という着眼点に大いなる敬意を表していた。
この看護師も、看護師仲間からも、医者からも一目置かれるほどのしっかり者で、逆にいえば、彼女でなければ、みゆきやなつみ姉妹の相手は務まらないとまで感じさせるくらいだった。
なつみは、一見大人しそうに見えるが、話し始めると饒舌だった。なつみの特徴は、自分が自分が、などと前に出るよりも、誰かの影に隠れて、影で暗躍するというタイプだった。相手の長所を引き出したり、うまく相手を操縦したりするところの才能に長けていたのだ。
看護師も、自分のことよりも、同僚を引き立てたり、部下に手柄を譲るというような謙虚なところもあり、それが彼女の闘争心というよりも、包容力を持った余裕のある気持ちが、きっとそうさせるのだろう。
だから、なつみを見ていて、
「同じ匂い」
を感じた。
なつみは自分が敬する人を、相手が上司であったり、年上であったりしても、お構いなしに引き立てようとする。今では妹のみゆきがそのターゲットである。
いつもそばにいるなつみは、相当早い段階から、みゆきのそんな才能を見抜いていて、
「私は決して、この娘から離れないようにしよう」
と思うのであった。
だが、なつみと話を始めると、せっかく気さくに話しかけてくれるのに、緊張して言葉が出てこないことがあった。今までにはそんなことなどなかったのに、なつみは彼女にとっての憧れなのかも知れない。
ただの憧れとはまた少し違う。淫靡な感じを漂わせる匂いが漂っている雰囲気だった。それを彼女は。
――女性が女性を好きになってしまうなんてことがあるのかしら?
と、恥じらいを感じている自分に戸惑っていた。
だが、このことがこの事件においての真相解明に大きな一役を買うことになるのだが、まだそれはもう少し後のことである。
ただ、看護師は真剣、
「私、どうしちゃったのかしら?」
という思いを抱いてしまい、なつみの顔がまともに見れない分、みゆきとは実によく話が合うのだった。
密かにみゆきに自分の思いのはけ口のようなものを口にしていた。
――どうせ、相手は無垢な高校生、意味は分からないわ――
という思いもあっただろう。
翻弄ならこんな感情を人に話すなど顔から火が出るほど恥ずかしいことだ。しかし、彼女にとってみれば、それはどうしようもない。
実は、彼女が自分のことを、
「同性愛が強いのではないか」
と感じたのは、今回が初めてではない。
実際に声を掛けて、そのような関係になったことはなかったが、密かに憧れている人がいた。その人がこの間、ビルの屋上から飛び降りた川島を目撃した柊三雲だったというのはただの偶然だと言ってもいいのだろうか。
もちろん三雲も彼女からそんな目で見られていたなどということは知らない。ただ、三雲が病院を辞めた理由の一つに、彼女の存在があったのも事実だった。
「可愛さ余って憎さ百倍」
と言われるが、自分の気持ちに一向に気付こうとしない彼女に業を煮やしたのだ。
普通なら、誰がそんな関係など想像できるだろうということを分かると思うだろう。しかし、彼女は三雲に対して、嫌がらせのようなものを行っていた。バレるのが怖くて、秘密裏にしていたことなので、却って、三雲にとって、何が起こったのかと思えてくるだろう。
実は柊三雲には、憧れている人がいた。告白などという大それたことができないのも分かっていたので、自分のことだけで精一杯の三雲に対して、気付けという方が難しいのだった。