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自殺と事故の明暗

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「知らぬは自分ばかりなり」
 という言葉があるが、それはあくまでも、自分はまったく知らないという意味ではなく、
「まわりよりも知らない」
 というだけの話で、そんな状況は十分にありえることであった。
 不倫など考えられないと思っているのは、二人だけのことで、まわりの人が他人事として見ている以上は、面白半分の興味本位の状態になるのは当然のことである。
 元々、学校で起こる、
「苛め」
 というのも、そのあたりから始まっているのかも知れない。
 自分に襲い掛かっている悩みで自分が苦しめられる。それをまず理不尽に考えてしまうと、その理不尽を取り除くことができないと分かると、その攻撃先は他人に向いてしまうのである。理不尽を取り除くことができないのは当たり前、自分に襲い掛かってくる悩みを自分のこととして直視できないことが原因だとすると、自分を他人事のようにしか見えず、他人事として見ることで、苦しみから少しでも解放されるというすべを、自らが学ぶのだった。
 そんな中において、他人に向いた目は。
「目には目を、歯には歯を」
 ということわざをそのまま実行するというもっとも安直な考えに至らしめてしまう。
 それが、苛めという形で流行し、その流行が、
「皆がやっているんだから、僕だって」
 という気持ちにさせることで、またしても苛めをしている自分が他人のように思えて、自分が蚊帳の外にいるように感じる。
 そこが苛めがなくならない一番の理由ではないかと、最初に教師をしていた頃の凛子は考えていた。
 せっかく、いいことを考えていたはずなのに、一つの事件がすべてを台無しにした。一人の理性のない行動は、人の考えている想像など、簡単に蹴散らかしてしまう。実に無惨なことであり、この世での罪深さなのだろう。
「罪を憎んで人を憎まず」
 などという言葉があるが、実際に行動してしまい、被害者が出たのであるから、人を憎まずなどという言葉は、ただの机上の空論にすぎないのではないだろうか。
「行動してしまえば、もう後悔したって始まらない」
 というではないか。
 被害者からすれば、加害者を憎まずに泣き寝入りなどということになれば、実に理不尽であり不公平だ。そう思うと、
「人間は自分の行動には最後まで責任を取らなければいけない」
 というのが、当たり前のことだと言えるのではないだろうか。
 もちろん、一刀両断には言えないだろう。そのまわりには種々の事情たるものが存在しているはずだからである。
 とにかく、
「二人が不倫をしていた」
 などという戯言は、根も葉もない根拠のないウワサではあったが、一本違えれば陥ったかも知れない行動でもあった。
 だが、この行為に至るか至らないかということは、天と地ほどの違いがある。それを分かっているのは誰あろう、本人たちであることは間違いない。
 それでも、二人が離れることはなかった。離れてしまうと、もっと想定外のことが起こるに違いないと思われるからで、それは、一緒にいるリスクよりも大きなものだったかも知れない。そのことを誰が理解できるというのか、分かっている人がいるとは思えなかった。
 そのうちに、川島の奥さんの様子がおかしくなってくる。最初こそ、
「夫を信じている」
 と言っていたが、まわりのウワサを気にしていないようなふりをすることに耐えられなくなったのであろう。一度耐えられなくなってしまうと、疑心暗鬼は猜疑心と一緒になり、誰も信じられなくなる。極度な鬱病に嵌り込み、そんな状態の奥さんであっても、気になる相手は凛子だという意識。それは最初に気になり始めたのが凛子だということから由来しているだけで、
「どっちが大切なのか?」
 ということを度返ししたものとなっていた。
「俺はどうしたらいいのだろう?」
 と思い始めた時には、すでに時は遅くであった。
 奥さんが自殺を試みたが、未遂に終わり、精神的にも病んでいることから、しばし病院に入院していた。川島は、そんな自分の家庭に起こった出来事を、
「すべてが自分のせいだ」
 と感じた凛子に入れあげていた。
 だが、凛子も彼のことを想ってなのか、彼を無視するようになった。孤独を感じた川島は、今度は川島自身がだんだんとおかしくなってきた。
 ここまでくれば、正直泥沼であった。川島はこんな泥沼にどうして陥ったのかと考えた時、自分の正義と、安直な考えを一番に立てた。その考えが、
「妻の自殺未遂」
 というとんでもない思い違いに至ったのだ。
 こうなってしまうと、奥さんへの気持ちは完全に冷めてしまい、自分が招いたことではあるが、不倫などしていないという正当性だけを武器に、自分が悪くないと思い込むに至ったのだ。
「これが俺の考え方だ」
 この思いは川島の開き直りであり、他の人には分からない、勝手な理屈でしかなかったのだ。
「妻がどうして自殺をしたのか?」
 ということを考えてはみなかった。
 もし、ちゃんと考えていれば、
「妻は自分と同じ考えだった」
 ということに行き着くはずだ。
 妻には妻の正義があり、そしてその正義を守ろうと考えた時に、安直な考えから、自殺という道を選んでしまったのだ。
 だが、あまりにも自分と考えが似ていたことから、川島に妻の気持ちが分からなかったはずもない。それを認めるのが怖くて顔を背け、気持ちが冷めたということを言い訳に、自分を正当化しようという考えしかできなかったのだろう。
 だから、
「世間が何と言っても、俺は俺の道を行く」
 という意地を張ってしまい、次第に凛子の方へと気持ちが靡いてしまうのだった。
 だが、そんな川島を凛子が受け止めるわけはない。
「自分と同じ考えの川島はどこかに行ってしまったんだ」
 と感じるようになり、
「そうだ、奥さんのところに戻ろうとしたんだ。でもダメだったから私のところに逃げようとした。そんな逃げ腰の人を受け入れるほど私はお人よしではない。このままズルズルと言ってしまうと、自分まで破滅してしまう。無理心中はまっぴらごめんだわ」
 とまで考えていたのだった。
 そんな凛子の気持ちを分かっていたが、どうにも耐えられなくなっていた川島は、凛子に襲い掛かった。
 もちろん、凛子は必死に抵抗する。その時、やっと凛子も完全に目を覚ました。
――この人は、自分のことしか考えていない。奥さんのところに帰ろうとして帰ることができなかった。それはきっと私はいるという甘い考えが彼にあり、この期に及んでも、選択権は自分にあるとでも思っていたのだろう――
 と感じていた。
 女というのは、明らかに興ざめした男性に対しては、憎しみや気持ち悪さしか印象に残らないのだろう。男性のように、昔の楽しかったことを想い出すこともない。なぜなら、女が相手に対して迷ったあげく、自分で道を決めたのであれば、もうその瞬間から過去を振り返ることはしない。冷たいと言われるかも知れないが、その思いがあるから、弱く見えても、一本筋が通っているのだろう。
「女というのは、男にはない子供を産むことができる」
 という意味で、強くなくてはいけない。
作品名:自殺と事故の明暗 作家名:森本晃次