自殺と事故の明暗
もちろん、なつみも同じ考えである。
そんな二人は、凛子の、
「過去と現実」
と取り戻すべく頑張っていこうと考えていたのだった。
凌辱の果て
四日前にマンションの屋上から飛び降りた人、その人の身元はすぐに分かった、
「川島修吾」
という高校教師だった。
実は凛子が今通っている同じ学校で教鞭をとっていて、普段からあまりまわりとうまく行っていない凛子のことが気になっていた。
年齢は三十五歳になっていて、三年前に結婚していた。子供はいなかったが、夫婦生活は大人しいもので、奥さんとは共稼ぎだった。奥さんの方は、近所のスーパーでパートをしていた。どちらかという多趣味な奥さんは、パート先の先輩に誘われるまま、週に二回ほどパートの後にバレーボールサークルの練習に参加していた。学生時代にバレーボールをしていたということを面接の際に話をしたことが直接の理由だったが、最近、夫が忙しくて、夜遅くならないと帰ってこないことも要因でもあった。
川島は、学校では目立たない大人しい教師だった。それは小心者だというのが理由であり、どこにでもいるパッとしない教師だったのだ。同じく大人しくしている凛子の場合は、過去に教師を一度辞めた手前から、今の教師に対して馴染めないというのが過去のトラウマが招いた産物だった。二人はまったく違うところに原因を置いているが、見た目は他人との確執を持った、知らない人が見れば、
「似た者同士」
に見えたことだろう。
そういう意味で、二人は誤解されやすいタイプでもあった。まったく似ていない性格なのに、見た目だけで判断され、似た者同士というわりにどこがぎこちなさが感じられることで、
「二人は不倫しているんじゃないか?」
という何の根拠もないウワサもあった。
だが、一旦ウワサというものが立ってしまうと独り歩きしてしまうもので、そう簡単に否定できない雰囲気になっていた。それは、古今東西、今に始まったことではないに違いない。
川島が自分と似たところがあるということを、凛子は直感で感じていた。そのせいもあってか、凛子は川島に時々相談していたのだが、それは凛子の中で、
「不安に感じてしまうと、自分を見失ってしまうところがある」
という性格が顕著に表れている証拠だった。
凛子がそんな性格であるということを知っているのは、川島だけだった。川島の方も結構直感の鋭い方で、その直感を疑うこともなかった。信じてしまうと、それ以外の発想がなくなってしまうことで、そこも凛子に似ていたのである。
ただ、二人は実際に不倫まではしていなかった。お互いに、
「なくてはならない存在だ」
と思っていたことで、身体の関係になることを控えていた。
身体の関係になってしまうと、恋愛感情を抱いてしまうことになるだろう。恋愛感情を抱いてしまうということは、二人の関係が対等ではいられないということになる。
身体的には、男女で大きな開きがあることは分かっている。男と女で違っていることから、ないものを求めてお互いに貪り合うのだからである。
「なくてはならない存在」
という感覚と、
「ないものを相手に求める」
という意識とでは、逆なものだと思っていた。
つまり、それぞれが相いれないものであり、同居できないものだとも思っていたのだ、だから二人にとって、
「身体を重ねてしまうと、お互いに求めあっているものを壊してしまう」
と感じていた。
もし、お互いに身体を求めあうことになるとすれば、それは、寂しくて仕方がなくなり、その感覚が呼吸困難にまで陥った時に、逃れられない苦しみとなって自分にのしかかってきた時、相手を貪ることになると思っている。
ただ、それは自分の一方的な感情であって、相手も求めてくるかどうかは分からない。まず、一緒にということはないだろう。
そうなると、必ず相手を蹂躙することになり、そんなことはしたくないという思いと裏腹に、衝動的な行動に彼らてしまった自分をどうすることもできず、果ててしまった最後に残っているのは、憔悴感と、言い知れぬ自己嫌悪に違いない。
自己嫌悪は、二人のような性格の人間には、地底的なものではないだろうか。
相手の失意と傷つけられた思いも果てしないだろう。我に返って後悔しても、もう遅いに違いない。
下手をすれば、相手を道連れに心中などと考えるかも知れない。道連れにされる方もたまったものではない。もしそれが自分の立場だったとして、相手を許すことなどできるであろうか。
「許せない相手を信じてしまったこと」
これほどの自己嫌悪はない。
さらに、後悔してももう遅いという言葉の本能の意味を、嫌というほど悟らされるに違いない。
自分たちのような関係は、少しでも動けば、どんどん泥沼に嵌り込んでしまう。
{どうしてこんな関係を最初に求めたのか?」
やはり、寂しいという感情が一番先にあったのだろう。
しかし、その寂しさが、再度よみがえってくると、そこには地獄しか待っていないことは分かっている。そうなると、一旦入ってしまうと、
「戻るも地獄、進むnも地獄」
ということになってしまうのではないだろうか。
この時、川島は自分たちの関係を、将棋盤に例えて考えていた。
「将棋において、一番隙のない布陣というのは、最初に並べた布陣であって、一歩手を進めれば、そこに一つずつ隙が生まれてくるものだ」
という話を聞いたことがあった。
完全に減算法の考え方であって、その考え方が自分に当て嵌まるということも分かっている。
だが、二人がそのようなことを考えていたなど、誰も知らなかっただろう。二人の関係は公然の秘密であったが、それでも二人はまわりにはなるべく知られないようにと思っていた。
そのアンバランスな心情が、却って不可思議な行動に見え、まわりを懐疑的に見せるのだった。頭が悪い訳でもないでもない二人なのに、意外と自分たちのことには気づかないもののようだった。
そんな状態を考えていると、お互いに未来を予見する気持ちに、無意識にであったが、なってきているように感じられた。
「このままいけば、お互いにダメになるのではないか?」
という疑心暗鬼に捉われてくる。
これが少しでもお互いに時間的なずれを生んでいるとすれば結果も違ったかも知れないが、偶然というのは恐ろしいもので、どうやら、ほぼ同じ時期だったようだ。
そうなってくると、不思議な以心伝心に繋がってきて、一つになった疑心暗鬼は疑心暗鬼だということが分かっているだけに、二人は同じ気持ちになっていたようだ。
それも疑心暗鬼が同じだということは、
「否定している感覚が同じ」
だということになり、否定の同一というものがどんな結果をもたらすかを考えると、そこには根拠がなくても生まれる問題が潜んでいるように思えてならないのだった。
そのことを知らぬは、本人たちばかりである。まわりが知っていようが知るまいが、それ以前の問題であり、どこかでスぺレートな気持ちを生むことになるのを誰が分かるというのだろう。要するに、
「自分たちにも分からないことが、他人に分かるはずはない」
ということである。