自殺と事故の明暗
そんな中途半端な先生を見て、次第に生徒は告白したことを後悔し始める。そんな状態を見抜けず、ずっと焦らしに徹していた彼女を、生徒はすでに見下していたのだろう。告白状態になってから、まったく会話がないことに、彼女は違和感すら抱いていなかったのだ。
少しでも違和感があれば、どうなっていたか分からないが、後悔はなかったかも知れない。
しかし、男の子の気持ちを分かっていなかったことで、相手の性欲に火をつけてしまったのは事実だった。
一瞬のことだった。男の子はいきなり彼女を力で組し、床に押し倒してくる。
「痛いっ」
と声を出したが、驚きはそんな痛みをマヒさせるほどだった。
相手の力は強く、抗えることなどできないと観念した彼女は完全に力を抜いてしまった。―-ひょっとすると、やめてくれるかも知れない――
などと、淡い期待を抱いた。
それがどんなに甘い考えであったかということに気付くはずもなく、傷みつけてくる相手の考えが読めなかった。
相手は傷みつけているつもりはなかったのかも知れないが、一つの目的に向かって突き進む男の子の力はそんなに甘いものではなかった。力を抜いたが最後、二度と逃がすものかという執念に凝り固まって、さらに相手を羽交い絞めにしていた。
それが相手の気持ちにも火をつけたのかも知れない。
最初は自分が相手を焦らすことで主導権を握ろうと思っていた相手に、今度は主導権を握ることの、
「楽しみ」
を教えてしまったのかも知れない。
楽しみという言葉を少年が知ってしまうと、それはまるでおもちゃを操っているような、または、昆虫採集で捕まえてきた昆虫の背中に容赦なく針を突き立てる気持ちと同じではないだろうか。それが生きていようが死んでいようが関係ない。相手は人間ではないのだからという理由であった。
そう、その時の少年は、相手が自分と同じ人種を相手にしてはいなかったのかも知れない。憧れであった女性というのは、彼にとっては元々未知の生物であり、初めて触ったことで自分のなぜか興奮状態に火をつけて、力づくで自分のものにすることに目覚めてしまったのだから、それを目覚めさせる結果になった自分に罪はないというのだろうか。
もちろん、その時はそんなことを考える余裕などあったわけではない。
―ー早く終わって――
と、心境はまるでいじめられっ子が、苛めっ子に対して感じることであった。
先生は知らなかったが、この生徒はいじめられっこであった。だからと言って、いじめられっ子が珍しいわけではない。苛めっ子が少数に、他はいじめられっこがほとんどなのだ。昔のように傍観者が多いという時代ではなくなってきたようで、しかも、その学校は前述のように特殊であった。
特殊な学校に赴任してきた意識はあったが、まさか自分がこんな目に遭うなど想像もしていなかった。
――こんな学校、いつでも辞めてやる――
というくらいに感じていた時期もあったくらいで、そんなことすら考えられないくらいの状況に、
――声を出してはいけない――
ということだけは自覚していた。
本当は声を出して助けを呼びたいのはやまやまだが、声を出してしまうと、そのままこの男の子に首を絞められて殺されるような気がしたのだ。もし他の女性で、声を出すことを躊躇っていることがあるとすれば、
「こんな姿を人に見られると恥ずかしい」
と感じるからだと思っていた。
しかし、実際にそうであろうか? どうして声を出してまで助かりたいと思うのだとすれば、貞操を守るためではないのだろうか。貞操を守れるくらいなら。恥辱を我慢するくらいのことがどうしてできないのか? 彼女はそう感じた。
しかし実際には貞操を守るという感覚と、恥辱を晒すことのジレンマが、行動を起こさせないようしするという感情は、理に適っているのではないだろうか。
もっともこれは理屈的な考えであり。その時々でまったく事情が変わってくる。ドラマなどでよくあるシチュエーションでは、恥辱を晒すことを嫌がって、相手の思うままにされてしまうことが多いのかも知れない。もちろん、恐怖におののきながらであるが、本当のところはそんな環境にならなければ分からない。
彼女はまさにそんな環境に身を置くことになってしまったが、最後の一瞬まで、
―ー早く終わって――
としか考えられなかった。
ことのすべては静寂の中で行われた。自分がどんなリアクションを取ったのか、相手が何を考えているのかなどまったく分からない。ただ、二匹の獣が貪りあっている姿が、影絵のように写し出された状態に、言語を絶する状態に、文章をあてがうことなどできるはずもないだろう。
欲望を満たした男はさっさと服を着て、放心状態で寝ている女を放っておいて、その場を離れた、
その時最後に見せたその生徒の顔を今でも忘れることができないでいる。
「ふっ」
と口元が歪んだのだ。
明らかに相手を支配したことで、満足し、
「お前は俺のものだ」
と言わんばかりのその態度に彼女は身動きが取れなくなっていた。
そして立ち去る寸前、また一言、
「先生、ありがとうよ」
という捨て台詞があったが、正直この言葉が一番堪えた。
――何を言っているの、この子は――
と思った。
支配感と満足感に包まれたその生徒は、支配して、さらに欲望を注入した相手に対し、礼をいう。もちろんそれは額面通りのお礼なわけもなく、嘲笑うかわりの言葉に、浴びせられた方は、さらなる屈辱感に見舞われる。
いや、それまでかんじてi他屈辱感なるものをすべて否定させられて、
「今のその感情が本当の屈辱なんだよ」
と、その生徒に教えられた気がした。
そんな屈辱に、そう簡単に耐えられるものでもないだろう。耐えられない気持ちを胸にそこでしばらく放心状態でいると、真っ暗な教室の向こう側に真っ白い光の輪がだんだん大きくなってくるのを、ただボーっと見ていた。
服を着る気力もなく、ただその光を見ていたが、扉がガラガラという音とともに空いてから誰かが入ってきたところまでは覚えているのだが、そこからどうなったのか、気が付けば医務室のベッドで寝かされていた。
「私、どうして?」
と身体を起こそうとすると、頭がガクンとなったようで、次の瞬間、頭痛を感じた。
「あなたは、誰かに暴行されたみたいなの、相手は生徒なんでしょう?」
と言われて、何も言えなかった。
目の前にいたのは、学年主任の先生だったが、その先生は、彼女をいたわる言葉を一言も発せず、言った言葉は、事実を告げたことと、犯人が誰かを聞いたことだ。この二つともいきなり聞くなどタブーなのではないだろうか。意識が朦朧とする中でもそれを理解できたのは決して冷静だったからではなく、あまりにも想定外だったからなのかも知れない。
後で警察の人に訊いたところによると、彼女は暴行されたということである。しかも悪いことに生徒の父親は、県下でも土建業で、学校への寄付も大きく、以前から学校運営に大きな影響を持っていた。そんな父兄が親なのでm学校もどうすることもできない。
「何分にもこのことは内密に」
と、校長、教頭から頭を下げられた。