自殺と事故の明暗
と、三雲に言われて、何も言い返せなくなるほどに照れている辰巳刑事を見て、そんな姿を初めて魅せられたと思った五十嵐巡査は、
――辰巳さんでも、こんなに照れることがあるんだな――
と思って感心した。
この感心した思いは、逆に刑事という、巡査から見れば雲の上のような階級の人が、少しでも自分と同じ立場になるんだというものであり、親近感がさらに湧いてきたような気がして、見ていて微笑ましさを感じていた。
辰巳刑事は、そばに五十嵐巡査がいることも、そして自分たちを意識して見ていることも分かっていたが、分かっているだけに、余計に恥ずかしさが倍増する。ただ、言い訳がましい態度はしたくはなく、まだ、大っぴらに照れている方が、自分らしいと思うのだった。
しばし目に見えて照れ臭がっていた辰巳刑事だったが、自力で冷静さを取り戻すと、
「どうもお忙しいところを事情聴取にお付き合いいただき、ありがとうございました。また何かありましたら、遠慮なく私に連絡いただければ、お話に伺いますね」
というと、
「ええ、私も思い出したことか何かあれば、ぜひ辰巳さんに逢いにいきますね」
と三雲は答えた。
「ご連絡します」
ではなく、
「逢いにいきます」
というのは、刺激的な言い回しだ。またしても照れている辰巳刑事だったが、今回はすぐに我に返ったようだった。
「失礼します」
という三雲を無言で頭を下げた辰巳刑事は、五十嵐巡査を振り返り、
「じゃあ、ちょっと鑑識さんに聞きに行こうか?」
と、エレベーターに乗って、屋上まで行った。
このマンションの屋上に行けば、鑑識さんのそばに見慣れない一人の男性が佇んでいて、鑑識から聞かれたことに、答えているようだった。
「あの人は?」
と辰巳刑事が五十嵐巡査に聞くと、
「ああ、このマンションの管理人をしている人ですよ。このマンションは、普段から防犯のために屋上にはいけないようになっているらしいんですが、どうやって飛び降りが行われたのかの検証に呼ばれたようです」
という返事だった。
「えっ、ということは、このマンションでは一部の人しか、普段は屋上に入れないということなのか?」
「ええ、これだけ大きなマンションで、十階の屋上ですよ。それこそ飛び降りがあってはいけないということだったのに、その一番恐れていたことが起こってしまったということで一番ビックリしているのは、管理人のようです」
という五十嵐巡査の話を聞きながら、辰巳刑事は飛び降りたと思われる場所、つまりは鑑識が調べている場所に歩み寄った。
管理人と呼ばれたその男が辰巳に気付いて頭を下げる。辰巳もつられるように頭を下げたが、その様子はいかにも事件現場という緊張した雰囲気を醸し出していた。
「何か分かったかい?」
と辰巳刑事が馴染みの鑑識管に訊いた。
「はい、辰巳刑事。どうやら、あのあたりから飛び降りたのは間違いないようです。指紋がバッチリ残っているのと、手前に揃えられた靴、そして遺書らしきものが置かれているからですね」
「遺書があったのかい?」
「ええ、実に短い文章で、誰宛てというわけではなかったんですが、それだけに亡くなったかたの無念のようなものが感じられて、やるせない気分にさせられますよね。自殺するなりの理由はあったのでしょうが、言葉で残さなかったのには、何か心境として強いものがあったのを暗示しているような気がします」
二人がそういう話をしているのを、管理人は恐々と見ていた。
その様子はまるで自分も疑われているのではないかという思いなのか、それとも、このマンションで自殺者が出たということで、自分の責任問題にならないかという不安からなのかよく分からなかったが、少なくとも、普段は締め切っているはずのマンションに誰かが屋上に侵入して自殺を試みて。それが成就されたことにかわりはない。その事実がある以上、不安に感じられてもそれは無理のないことだろう。
「管理人さん、ここは普段カギが締まっているということだったのですが、今日はどうして侵入していたんですか?」
というと急に聞かれた管理人はさらにビックリして、
「私のも分からないんです。カギはいつも管理人室に置いてあり、実際にロックのかかる扉の中にカギは入っていますから、取り出すことはできないはずなんですが」
というと、
「スペアキーを作ることはできるんですか?」
「それはできると思います。マンションの個々の部屋のキーはもちろんスペアキーを作ることができないように加工していますが、屋上まではそこまでしていませんでした。でも、ロックのかかるキー収納ボックスに入れているので、基本的には私が開けない限り開かないはずなんです」
「でも、人間なので、何かのはずみで開けっ放しにしていたということもあるのでは?」
と言われて、管理人は急に何かを思い出したのか、考え始めた。
「そういえば、あれは一か月くらい前だったですかね。管理人室のすぐ表に、プレハブの倉庫のようなものがあるんですが、そこでちょっとしたボヤがあったんです。その時、すぐにはボヤだとも分からずに、近くで何か音がしたと思ったんですね。カギが必要かと思ってキーボックスを開けるところまでしたんですが、プレハブにカギはかかっていなかったことを思い出し、取るものもとりあえずに行ってみると、少しだけ燃えていたんです。急いで消火器で火は消してから、警察に通報したんですが、その少しの間、キーケースが開いていたと思います。確か、あの時は巡回が終わって、管理人室に戻ってすぐに他のカギをしまおうとしていた時でもあったような気がしました。今から思えば、狙われていたのかも知れないです」
と管理人は考え込んだ。
「屋上には、毎日巡回に行かれるんですか?」
と辰巳刑事が聞くと、
「いいえ、毎日は行きません、定期的に行くとしても、週に一回くらいですかね。でも最近はあまり行かなくなりました。屋上で何か点検でもあれば別ですが」
「ということは、少しの間、屋上のカギがなくなっていたとしても、不思議には思わないんですね?」
「ええ、そういうことになります」
と管理人はそこまで言って、自分からこの話に乗ってくることはなかった。
辰巳刑事はその時、若干の違和感を抱いた。
――もし、誰かがスペアキーを作ったとして、このマスターキーをいつ管理人の気付かないうちに戻したというのだろう? そのことをおかしいと思わないわけもない。何しろ管理人なんだから――
と感じた。
考えてみれば、それを口にしなかったのは、管理人の中で何か言えない理由か疑念があったのかも知れない。そう思うと、管理人に対して何か胡散臭さを感じたが、今ここでそのことを敢えて口にすることは控えた。
少なくとも、これが自殺であれば、余計なことを蒸し返すこともないだろう。しかも管理人が自分の不注意を自覚しているのであれば、わざわざ指摘することもないはずだからである。
そんなことを考えながら鑑識が動いているのを漠然と見ていた横で、五十嵐巡査が呟くように言った。
「最近、何かこの街には、事故やら自殺が多いような気がするな」
という言葉を聞いた辰巳刑事は、
「そうなのか? 最近も、何かあったのかい?」