自殺と事故の明暗
「私はさすがに飛び降り自殺までは考えたことはなかったんですが、飛び降りする人の心理というものを考えたことがあります。さっきの私の話とは矛盾するんですが、死を目の前にして、屋上の飛び降りの場面に自分が立った時、やはりどんなに覚悟を決めていてもどうしても、躊躇のようなものはあるようなんです。下に植え込みが見えれば、少しでもそっちに落ちて、楽に死にたいなどという思いで、死ねなかったらどうしようとも感じているくせに、そういう直感的な思いが矛盾となるんですよね。でもそういう直感というのはいざという時に影響するものであって、自然と植え込みの方に近づくんじゃないかっていう思いもあります。どんどん落下速度が家族するうちに、次第におじけづいていく、でももう止めることができない矛盾を感じて死んでいく。その間は一瞬のことなのかも知れないですが、きっと一つの物語ができるほどの長い時間がその人の中だけで繰り広げられ運じゃないかってですね。私はこの感覚が何かに似ているような気がするんです」
と三雲がいうと、
「その何かというのは?」
「夢の世界のような感覚なんですよ。夢というのは、どんなに長くて、時間的に長期に渡っているような内容でも、実際には目が覚める数秒で見ているのではないかと言われています。飛び降りてから死ぬまでの一瞬のうちに、それから見るはずだった夢を一気に見てしまうのではないかというのは、相当乱暴ではあるんですが、考えられないことではないのかなって感じました」
辰巳は、事情聴取がかなり違った方向に流れているのを意識していたが、第一発見者としてあまり詳しくは見ていないことが分かっているので、それならばということもあり、いろいろ話を聞いてみたいと思った。
実際に三雲の話には興味があり、
――こういう話が好きな人、俺のまわりにもいたよな――
と思わせた。
その人もいつの間にか辰巳を自分の話のペースに巻き込むようにして話をしている。その話を聞くのもまんざらではないと思っている辰巳にとって、その人との話でこういう難しい話にも免疫ができているので、興味深く聞くことができている。
逆に五十嵐巡査の方は、こういう話に免疫などあるはずもなく、辰巳刑事が真剣に聞いているから自分も聴いていると思っているだけで、正直、頭の中に残っているわけではなかった。
しかし、五十嵐巡査は、
「興味のない話でも、聞いていれば結構記憶として残っているものだ」
ということに実はこの時初めて気づくのだが、それが今後の自分にどのような影響を与えるかまでは分かっていなかった。
それでも、二人の話を聞いていて、ウンザリしていたはずなのに、いつの間にか話に引き込まれているような気がして不思議だった。記憶に残っているのも無理もないことなのだろう。
辰巳は三雲の話を聞いていて、自殺をする人の心境など、分かるはずはないと思い、さらに、分かりたくもないと思っていた自分の心境が、今少し変わってきているように思えてならなかった。
勧善懲悪が彼のモットーのように思っていたので、
「自殺はどんなことがあっても、許されることではない」
という思いがあった。
確かに自殺したくなる気持ちも分からなくもないが、自殺する人は、自殺を思いとどまるような素振りがまったくないようにしか表面上は見えないので、そう思うしかなかったのだが、三雲の証言の中にあった、
「自殺しようとしている人でもm植え込みに落ちれば楽ではないか」
という矛盾の話を聞いた時、
「人間というのは矛盾があるからこそ、自殺を思いとどまるひとだっているんだ」
ということで、その矛盾を肯定したくなる気分になっていた。ひいてはそれが、飛躍した発想で、
「自殺もある意味、仕方のないことなのかも知れない」
とさえ、考えるようにもなった。
だが、その思いは我に返って考えると、すぐに打ち消している自分がいたのだ。
理由としては今までに何度も、自殺の場所に捜査で赴き、そのたびに遺族の悲しみを見てきたではないか。
「なんで家族を残して自分だけ死んじゃうんだ。見ていられない」
という感情がいつも湧いてきているはずではないか。
もちろん、遺族側から板一方的な見方であり、自殺した人の気持ちを考えきれないからそう思うのであって、それは仕方のないことであろう。
「死んでしまったら、もう何も言うことができないんだ」
と、そこで改めて死んでしまうことの虚しさのようなものを感じるのだが、さすがに辰巳刑事も、こういう時のお決まりのセリフとしての、
「生きていれば、そのうちにいいことだってあるさ」
などという中途半端で、何の根拠もないセリフを吐くことはできなかった。
むしろ嫌悪を感じるほどのセリフであって、
「こんなセリフ、絶対に口にはできない」
と思うほどだった。
こんなセリフは誰に対しても言えるものではない。まして遺族に対していうと、傷口に塩を塗るのと同じで、却って相手の抑えている気持ちに火をつける結果になるように思えたのだ。
だとしたら、
「こんなセリフは、口に出すことはおろか、考えることも罪ではないか」
と思うようになった。
その思いが嵩じてなのか、今まで刑事としても、人間としても、
「自殺することはまったくもって容認できない」
と思うようになった。
それは、
「死んで花実が咲くものか」
という言葉に近いかも知れない。
「人間、死んでしまえばそれまでなんだ」
という思いでもある。
もちろん、遺族にそんな言葉を吐けるわけもないが、自殺を自分を殺すという意味で罪だという考え方は、宗教的であるという感覚もあり、どこまで自分の信念にしていいのかという思いもあったので、三雲の話を聞きながら、死にゆく人の気持ちを初めて考えてみたのだという気がしていた。
考えてみれば、三雲のような立場の人は、きっと自殺は絶対に許されないと思っているはずだと思っていた。なぜなら、生きたくても生きられない人が病院にはたくさんいるはずだからである。不治の病で入院している人だっていただろう。現在の医学ではどうすることもできない人に、心の中にその運命を隠して接しなければいけない辛さは、想像を絶するものだったに違いない。
三雲と一緒にいると、今まで考えたことのないことを考えさせられ、何か不思議な感覚に陥った。
「これではどちらが質問しているのか、分からないではないか」
という思いがあったのだ。
「柊さんのお話は非常に興味があります。今まで考えていた自殺への思いが、少し変わった気がするくらいなんですよ。正直今まで自殺した人の気持ちを考えたことがなかったんです。実際にもう死んでしまっているわけだからですね。それに刑事という職業柄、どうしても残された遺族の思いを目の前に見せつけられることばかりなので、自殺を悪いこととしてしか見ることができませんでした。きっと、頭の中には勧善懲悪という感覚がこびりついているのかも知れないです」
と辰巳刑事は言った。
「それが辰巳さんのいいところなんですよ。私好きですよ、。辰巳さんのそんなところが」