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短編集109(過去作品

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助言



                助言


「悩みのない人間なんて、この世にはいないさ」
 これが藤堂俊の口癖である。自分にだって悩みはある。当然誰にだって悩みはある。そして、悩みは一つ解決しても、気がつけばすぐに他の悩みが出てくるものだ。一つ解決して安心している暇などないはずなのに、一つの悩みが解決すると、次の悩みが出てこないと錯覚する人もいることを心の底では羨ましく思っている。
 今日もまた藤堂に悩みを持ってくる女性がいる。どこから聞きつけたのか、藤堂には女性の悩みを聞いてくれるという噂が広まっているのかも知れない。実際に悩みを聞いてそれなりにアドバイスしてあげると、
「何となく肩の荷が下りたような気がするわ。ありがとう」
 と言って、本当に感謝の笑みを浮かべて帰っていく。晴れやかな笑顔で女性を見送る藤堂だが、そんな時が実は一番嬉しく感じる時なのかも知れない。
 女性の悩みというのは、たいていが男性のことである。
 彼氏がいて、別れたい人もいれば、好きな人がいるんだけど、どうやって告白すればいいのか分からない人もいる。それくらいならまだいい。もっと深刻なのは、家庭を持っていながら、他の男性を好きになってしまった場合で、ただ好きなだけでも厄介なのに、身体を求め合う仲になってしまっていることを相談してくる女性もいる。
 本当であれば、そう簡単にアドバイスなどできないのだろうが、話を聞いているうちに的確なアドバイスが頭に浮かんでくるのだ。
 女性側からすれば、最初はアドバイスを求めるというよりも、話を聞いてもらえるだけで、幾分かでも落ち着いた気分になれることから、話をしてくるのだと思っている。もちろん、藤堂も最初は話を聞いているだけだ。話を聞かないと相手の気持ちが分からないからだが、本当は聞き上手ではないのではないかとも思っていた。
 元々友達の話を聞くのは苦手な方だった。特に高校時代までは、話を聞いていてもろくに最後まで聞かず、話の腰を折ることもしばしばだった。
「最後まで話を聞いてくれよ」
 と言われるまで、自分が相手の話の腰を折ってしまったことすら気付かないくらいだった。
 高校の頃までは、どうしても人との会話でタイミングを合わせることを意識すると、聞いている話をすぐに忘れてしまうくせがあった。きっと、その都度いろいろなことを思いつくからに違いないが、話をしていて片っ端から忘れていくのはさすがに若いだけに気になってしまう。
「藤堂は、一つのことに集中すると、まわりが見えなくなってしまうようだな」
 とよく言われたものだ。
 人と話をしている時でも、よく上の空になってしまってまともに話を聞いていないこともある。そんな時は、他のことを考えていることが多く、そんな自分に人が相談を持ちかけるなど、考えてみたこともなかった。
 だが、大学に入ってからであろうか、よく将来について友達と話すことが多くなった。大学では不特定多数の人と友達になったが、なぜか気が合うは少なかった。それでも、純粋に将来についてのことや、自分の考え方を話すのが好きな連中が集まったりしたことは嬉しかった。
 アパート暮らしをしている友達の部屋で、夜を徹して話すことも少なくなかった。そんな時、
――僕も聞き上手になったんだな――
 と感じる。別に焦る必要もない。時間はたっぷりあるのだし、何よりも自分が考えているのと同じことを相手も考えているのだから、相手の言葉は自分の代弁でもある。それでも意見が違っていることが出てくるのも当然で、違う意見に対して正直な自分の意見が言えるようになったのも、根本的なところでお互いの気持ちを分かりあえている証拠であろう。
 人と意見を言い合うのは、二人だけの時だけではなく、数人で話をすることも多くなった。そんな時、自分が天邪鬼だと感じる。
 明らかに正当なことを一人の人が言い始めると、必ずまわりの人はフォローを始める。自分の意見を正当化しようとして、最初に言い始めた人も饒舌になってくるが、それでは面白くないところが天邪鬼なのかも知れない。
 決して正当な意見ではないことでも、何とか言い訳を作って反対意見を考えたりする。他の人は最初こそ、正当な意見を支持するように反論してくるが、実際に話が白熱してくると、他の連中は完全に聞き役になってしまう。
――やっぱり、しっかりとした意見を持っていないんだ――
 他の連中に対して、そう感じるのだ。話題を少しでも広めようとする気持ちがあり、日頃考えていたことを言葉で正当化できることが嬉しいのだろうが、所詮、話が白熱してくると、自分の確固とした意見がないだけに話に入っていけないのだ。
――それよりも、反対意見が出てくることを予期していなかったのかも知れないな――
 とさえ思える。想定外の出来事が起これば、すぐに自分が対応できないのも、優柔不断な人に多いのかも知れない。少しでも気持ちに余裕があればいいのだろうか……。
――気持ちに余裕?
 そこまで考えれば、どうして自分が反対意見を支持したくなったか分かってきた。余裕のある部分で、他の人が見ていないところを見ようとしているからである。これは天邪鬼ではあるが、自分としては大きな進歩に思える。
 反対意見を述べる自分が個性的で、個性を尊重する人が偉いという気持ちになってきた。それまではその他大勢の意見が正しく、個性的な人間はまわりから嫌われるタイプの人間だと思い込んでいた。
 高校の頃までは目立つタイプではないが、先生や親から叱られたことのないのが自慢だった。叱られないようにするには、目立った行動を取らず、まわりがどのようにしているかを見ていて、一番たくさんの人がしていることをマネさえしていれば怒られるようなことはないはずだ。
 そう思ってきたのは、元々が保守的な考え方で、争いごとを嫌っていたからであろう。小学生の頃、苛められている友達がいたが、助けてあげることもできず、自分がやられることを想像しては足が竦んでいたような少年だった。
 子供なりに悩んだ。しかし、悩んだところでどうなるものでもない。自分がやられることを思えば見て見ぬふりをすることが、うまくやっていく秘訣ではないか。
 しかし、それでもいじめっ子グループに参加することはなかった。一歩間違えば、彼らの顎で使われるタイプになりかねない。そんなものに抜擢されれば、それこそ悩みは真剣に深かっただろう。実際に物静かで逆らうことをしない友達が彼らから顎で使われているのを見る。まるで自分を見ているようで心が痛むが、どうすることもできない。
 子供心に悩んでいることがそのままトラウマとなってしまったのか、自分から人に相談することができなくなっていた。人と話すことも少なくなり、引きこもりのようになってしまった。
 一時期不登校にもなった。
 原因がいじめによるもののようなハッキリとしたものではないだけに、逆にいじめを受けているのではないかと、まわりが心配した。
――違うんだ、いじめのせいじゃないんだ――
 と心の中で叫んでみて、結局すぐに学校に行くようになった。不登校になった理由が自分でも分からないのに、何も知らないまわりから勝手に理由を決められたくなかったのだ。
作品名:短編集109(過去作品 作家名:森本晃次