短編集109(過去作品
結婚していて、嫌いになったから別れたというわけではない夫婦が、離婚してからも連絡を取り合ったり、相談事を持ちかけたりすることに対しての方が、静雄にとってはよほど不思議なことだった。
もう一つ、静雄が後になって聞いた話であるが、友子には女友達も数人いる。その話がいかに静雄を驚愕させたか、その時の友子の気持ちに成り、自分のことのように聞いていたに違いない。
実際に親友と思っている女性もいるということだったが、その友達を嫌悪するようになっていた。そのことは本人の口から聞いたのだが、詳しいことは一切教えてくれず、それからであった。身体を求めようとすると、頑なに拒むようになったのだ。
「一体どうしたんだい?」
「何もないわ。男の人って、どうして女性の身体ばかりを求めるのかしら?」
目の鋭さは確実に静雄を責めている。初めて身体を交わした時には、あれだけ従順だったにもかかわらず、何かがあったとしか思えなかった。
もちろん静雄に覚えはない。その場に立ち竦んでいると、
――何よ、この人。ハッキリしないわね――
といわんばかりに鋭い視線は、弱まることを知らない。
最初の夜はまさしく、二人のために用意されていたとしか思えないほど、お互いに自然だった。どこを取っても甘い空気と、淫靡な匂いには違和感はなく、お互いが求め合っていなければ決して出来上がらない空間を形成していたはずだった。
「どうしてそんなに僕を責めるんだい?」
「責めてなんかいないわ。ただ、男性の動物的な本能に嫌悪しているだけなの。あなたは本当に私を愛してくれているの?」
言葉に一瞬詰まってしまった。
――愛していた――
言えるとすれば過去形でしかない。
「ほら、即答できないじゃない。あなたは所詮、女の身体が目的だったのよ」
「違う、そんなことはない。僕は君がいとおしいから抱いたんだ。君だって……」
――しまった――
言葉に詰まってしまったというよりも、余計な言葉を口にしたという思いが強く、
「何が君だってなの? そうよ、私だって確かにあなたを求めたわ。でも、あなたという人間を求めたのよ。愛してくれているという確信があったからお互いに求め合ったんじゃないの?」
「そうだよ、だから自然だったんだよね?」
「ええ、そう。確かにあの時はお互いを求め合うというよりも、あなたが私を見つめる目にあなたの心を感じていたの」
「それでいいじゃないか」
「でも今のあなたは、私を愛していないんでしょう?」
愛という言葉が何なのか、分からなくなっている。彼女の言うとおり、確かに身体だけを求めたのではないかと言われれば、そうかも知れない。だが、それもいとおしいからだった。いとおしさが自分の中の理性を抑えられなくなったというよりも、心地よさが理性を動かしたというべきなのだろうが、何を言っても言い訳になることは、冷静になって考えれば分かってくることだった。
友子の友達というのは、一人暮らしをしている。大学時代からの友達だったようなのだが、お互いに独身で、性格も似ていて、好きな男性の好みも似ているということから、学生時代から性が合っていたようだ。
一度紹介されたことがあった。
「彼女、みゆきさん。こちら、私の彼氏の静雄さん」
簡単であったが、顔を合わせた時に彼女の笑顔に淫靡なものを感じたのは気のせいだったのだろうか。
「私たち、結構男性の好みも似ているので、彼を取らないでね」
「ふふふ、分かっているわよ」
と言いながら、上目遣いが気になってしまった。
誘惑な視線にも感じたが、それよりもヘビに睨まれたカエルという印象の方が強く、どこか、性悪女としてのイメージしか残らなかった。
――どこか企みを含んだような視線だったわね――
と思わずにはいられない。
みゆきという女の企みを知ったのは、かなり後になってからだったが、まさか、それが友子に対してのものだったとは、さすがに分からなかった。
自分を誘惑してくるのではないかと思ったが、思ったより、友子のガードは固かったようだ。静雄への攻撃を起こさせないようにお互いの暗黙の了解を取り付けていたようだった。
みゆきという女、ただならぬ雰囲気を持っていたが、やはり、男友達はかなりいて、男遊びも盛んなようだった。
貞操がないというか、結構いろいろな男性と付き合うことをアクセサリーと同じようなものだと勘違いしていたところがあるようで、そこを友子は毛嫌いしていた。
「彼女、どうしても許せないところがあるの」
「どういうところだい?」
「節操がないというか、誰とでも身体を重ねるところがあるの。遊び感覚なのかも知れないんだけどね」
これは、初めて紹介された時、彼女と別れてすぐに友子の口から出てきた言葉だった。
意外だった。彼女の口から友達の悪口が出てくるなど考えられなかったからだ。
彼女も静雄と似たところがあって、
「私、友達にはそれなりに敬意を表しているの。人間って、どんなに愚かなところがあっても、必ず長所ってあるでしょう? 私はそこを見つけたいの。それって楽しいことだと思うのね。だから、私は友達になった人が自分にないいいところを持っていれば、相手に対しての敬意は強くなるものね」
静雄もそうだった。
へりくだっているというわけでもないのだが、自分に経験のないことを経験していたりすれば、素直に相手に尊敬の念を抱くところがある。
――この人は自分よりもすべてにおいて上なんだ――
という錯覚さえ起こしかねない。
――この人が大丈夫だと思えば、自分から意見をしたりしてはいけないんだ――
と思えてしまって、それが会社の先輩だったら特にそうで、ついつい自分の意見を見失ってしまう。
「お前は何も考えていないのか?」
と、よく上司に叱られることもあり、最近では少しずつ改善されているが、それでも元からの性格が治るわけではない。なかなかうまく行かないことも多い。
損な性格なのだろうが、これがなくなればもっと自分の中の性格が萎縮してしまいそうで恐ろしい。本来なら傲慢になってしかるべきなのだろうが、却って萎縮しそうに思うのは、それだけ自分が小さい人間だということを熟知しているからだった。
みゆきという女性、友子に似ているところがあると言っていたが、あの視線で友子と同じような性格であれば、性悪であることは分かっていた。
友子がみゆきの部屋を訪れた時、そこには見知らぬ男がいたらしい。友子は身体を硬くして、その場の雰囲気に身体が凍り付いてしまったという。
それまでは、疑いを抱いていなかったわけではないだろうが、まさか親友に対してそんなことがありうるのか、半信半疑だったに違いない。
「これが友子なの。一度身体で私という女の気持ちを分からせてあげたいの」
中に招き入れた時と表情が一点していたに違いない。腕を組み、これから行われる常軌を逸した行動に震えさえ感じていた。だが、その震えが性欲を満たすための興奮から来るものか、女としての自衛本能からの恐怖心が顔を出しているものなのか分からなかった。
「姉御、本当にいいのかい?」
「ああ、あんたならやれそうだからね」
何とも冷たい視線である。男も完全に震えていた。
作品名:短編集109(過去作品 作家名:森本晃次