短編集109(過去作品
相手は自分を覚えていない、自分だけが覚えているというシチュエーションにも、本当なら覚えていないことへの少なからずのショックがあるのだろうが、偶然という言葉で片付けられるものがあることに逃げ道のようなものを感じていた。
「以前どこかでお会いしたような気がするんですけどね」
と言うと、
「そうですか? ごめんなさい、覚えていませんわ。私あまり人の顔を覚えるのが得意ではないので……。でも、覚えていていただいたなんて光栄ですわ。これって縁なのかしらね」
女性に縁のようなものを感じてくれるとますます男としては嬉しく思える。普段から女性に対しては妄想の強かった静雄にとって、言葉を交わすことは、現実に戻るためのステップであり、必要なことである。毎日が妄想だけでは、疲れてしまうのだ。
その日、どんな話をしたのか、あまり覚えていない。ただ、あっという間に過ぎてしまった時間の中で、落ち着きを感じていたのは事実である。せわしい時間に落ち着きを感じるというのは、相手を尊重した上で、自分を誇張して見せていた証拠でもある。
少しでも相手に大きな男だと見られたいという気持ちは表情や態度に表れるもので、却って卑屈な自分を表に出してしまうのではないかという懸念があったが、それよりも本当の自分をさらけ出したいという気持ちの強さが、誠意となって相手に伝わりそうに思えてならない。
店の中が暑かったのか、汗が出てきた。
――汗の匂いが分かるかな――
とも思ったが、それよりも友子の香水の方が気になった。
――この香りの中にいると、まるで自分が抱かれているように思えてくる――
友子に母親のイメージを抱いた。だが、母親のイメージを抱いたのは後にも先にもその時だけで、
――自分がすべてリードする――
という気持ちでいっぱいだった。
ベッドの中でもそうだった。
何がきっかけで、出会ったその日に身体を重ねることになったのか覚えていない。きっと、きっかけになった言葉や表情があったに違いないが、思い返すとすべてがきっかけに繋がったとも言えなくはない。後から考えて二人が抱き合うのは最初から決まっていたことのように思えて、さらには、それほど神聖ではなかったのではないかとさえ思えてくるから不思議だった。
身体を重ねるには、それなりの大義名分があるだろう。
「寂しかったから」
ただそれだけでも立派な大義名分だと静雄は思う。しかし、決して寂しくなかったといえばウソになるが、身体を重ねて癒されたという気持ちが残っているわけではないので、大義名分としては不十分に思える。
喫茶店の中の空気とはまた違った空気が部屋には流れていた。喫茶店からホテルの部屋までの間にどんな空間が存在したのか記憶にはないが、いきなりホテルに行ったとは考えられず、少なからずアルコールの匂いをイメージしてしまう。
甘いワインの匂い、口の中に広がった味をさらに深めていたように思えるので、ピザのようなチーズが口内には広がっていたであろう。
元々静雄はチーズをはじめとした乳製品は好きではない。グラタンやドリアなどは、今でも見るだけで気持ち悪いのだが、ある時を境にピザだけは食べれるようになった。
――いつからだったのだろう――
そんな思いを後から感じることは少なからずあったことだが、ピザに関しては思い出さなくてもいいような特別な思いがあったのも事実である。思い出したくないのではなく、思い出す必要もなく、さりげなく事実だけを受け入れたいという気持ちになっている。
同じものを見るにしても、何かを考えている時というのは、得てして小さく見えることがある。明かりにしてもまるで蛍光灯の明かりを見ているような薄暗さを感じる時である。
静雄の場合は欝状態に陥った時に、夕暮れ時の気だるさを思い起こさせる時がある。欝状態には学生時代からなることが多かったが、欝状態の時ほど、時間の感覚がしっかりしていた時期はないと思っていた。うtr酢状態に陥ると、いつ頃元の状態に戻れるかは先が見えていないにもかかわらず、時間の問題であることが一番よく分かっている。
まるで暗いトンネルに入っているようなもので、かすかに見えている出口を集中して見ていると、出口の明かりが次第に遠くに見えてくるような気がするのが欝状態と似ているのである。
トンネルで黄色いハロゲンライトがついている時など、その思いは強く、見えている出口の寸前に来るまで、それが出口だと思っていても、出口としての認識ができないでいる。しかし、認識できないだけで、頭では分かっているのだ。頭でっかちという言葉があるが、意識だけが先行してしまい、見えているものだけが真実でないことに気付かされる。
寝る前に仰向けになって天井を見ることが多い。欝状態の時に限ってではないが、仰向けになっていると、天井の模様が近づいたり遠くなったりと、目の錯覚を誘発する。錯覚を見ていると、実際に頭が冴えない時など、見えているものすべてが本物ではないという気持ちになり、欝状態の時だけに感じる本当の自分を普段でも感じることができるのではないかと思えるのだった。
友子との再会が自分にとって何かを意味しているように思えてならない。彼女とはそれからも何度か会ったが、静雄にとって友子は、
――友達以外の何者でもない――
という思いだった。
確かに抱いた時は愛しているという気持ちが強く、いとおしさから強く抱きしめても、腕に入る力が半減しているように思えたりした。腕の力は正直で、いとおしさといっても、子供を思うような血のつながりのある本能であれば、いくら力を入れてもどこかで緩めてしまっている。
――本当に好きな人に対しては、思い切り抱きしめることなんてできないかも知れない――
と思っていた。
だが、友子に対しては腕の力に加減はなかった。本能のままに力が入ったのだ。その本能もさらに一歩進んだ「いとおしさ」ではない。
――好きだ――
という気持ちだけが頭の中から腕に伝わったに違いない。
――何かが違う――
と思ったきっかけは何だったのだろう? 価値観の違いだったのだろうか。
どちらかが冷めていたのかも知れない。どちらかというと、静雄だったように思う。好きになったら猪突猛進タイプで、相手の気持ちを考えるよりもまず自分であった。
友子の場合は、結構警戒心が強く、そんな女性と一緒にいると、猪突猛進でまわりが見えなくなってしまう。そのせいか、そんな静雄に対して引いてしまう女性も多いが、彼の誠実さに魅せられて、いつの間にか静雄のペースに嵌っている女性も少なくないに違いない。
そのことに静雄自身は気付いていない。
――自分はもてない――
猪突猛進な性格は分かっていて、それが災いにしか結びつかないと思っている。
自分の性格を把握している人がどれだけいるだろう? 分かっていても度合いまでは分からない。
静雄が友子を抱くまで、あっという間だったように思っているが、友子はどうだったのだろう?
友子という女性は、男性に抱かれることに違和感を感じるような素振りはなかった。ドキドキはしているのだろうが、恥じらいを隠そうとすることもなく、すべてが自然に思えた。
作品名:短編集109(過去作品 作家名:森本晃次