短編集109(過去作品
しかし悲しいかな、一緒に出かける女性がいない。観光地では家族連れツアー客もいるが、どうしても目立つのはアベックだった。意識が強すぎるからかも知れないが、自分が旅行者ではないという意識が、アベックを意識させるに違いない。観光地への旅というのはそれだけ新鮮なものだということなのだろう。
静雄にとって、奈良、京都はまさしく別世界である。それぞれの土地にそれぞれの顔がある。奈良は時代的には短いかも知れないが、駆け巡っていった時代を思わせる。特に大和、明日香地方も近く、さらなる古代へと思いを馳せるには、奈良という土地にはもう一つの顔がありそうで、静雄にとっての興味は深まっていく。
京都という土地は、また静雄にとっては違った赴きがある。奈良のように小規模ではなく、一千年という歴史がある土地なので、大きさにさらに奥深さを感じさせられる。壮大という言葉だけでは言い表せないものがあり、京都に行った帰りに感じる気だるさは、歴史の重みを感じながら歩いたことを感じさせられる。
しかし、旅行に出かけて感じる観光地は、また格別である。萩、津和野に限らず、特に城下町などは造詣が深い。天守閣に登って見つめる街は、城主がいた頃のそれとはまったく違う風景には違いないが、初めて訪れた街なのに、初めてではないように思える不思議な感覚を与えてくれる。それも旅の一つの醍醐味に違いない。
社員旅行で出かけた萩では自由行動が許された。萩という街は、それほど坂があるわけではないので、レンタサイクルで回るにはちょうどいい。一日自由時間を取ってまわるには、広すぎることもなく、狭すぎることもない街、それが萩という街である。
城址もあり、お寺もあり、さらには海岸沿いの半島には小さな火山もある。見所はいっぱいである。
中学の頃はそれほど興味がなかったのに、歴史を勉強することで、同じ街でも最初に来た頃よりもこじんまりとして感じる。
――そういえば、初めて萩に来た時、初めて訪れた街ではないと思ったような気がしていたな――
というのを思い出した。
時々あることだ。初めて訪れたはずなのに、初めてではないと思うことは、何も観光地に限ったことではない。
デジャブーという言葉を聞いたことがあるが、それとはまた少し違っているように思える。
似たような街を訪れたという経験は今までにもあった。それがどこだったのか分からないが、その街で出会ったと思っている人を、これまたどこかで見かけるという、奇妙な偶然が続いたことも事実であった。
これこそ出会いは偶然とタイミングのうちの偶然を思わせる。
その中に友子という女性がいた。
友子を見ると萩という街を思い出すのだが、あれは新入社員の時に萩に社員旅行に出かけた時に見かけたのだとずっと思っていた。
友子と再会したのは、三十歳になってからである。よく三十歳になるまで記憶していたなと自分でもビックリしているのだが、それだけ雰囲気が深く記憶の中に刻み込まれていた証拠であろう。
つぶらとも言える瞳もさることながら、鼻の辺りに線を引いて、上と下を見比べてみると、記憶に深いのはむしろ下の方である。鼻から唇にかけてのラインが印象的で覚えていたのだと思っている。そんな印象で人の顔を覚えていたことなどないはずなのに、後から考えると、今までにも同じような感覚で人の顔を覚えていたのではないかと思えるのは、出会った口の動きに気持ちが表れていることに気付いてからだった。
友子には大人の女性のイメージが付きまとう。初めて見かけたと思っていた時から、雰囲気は変わっていない。八年近くも経っているはずなのに、変わっていないということは、最初から大人の雰囲気を感じていたからに違いないのだ。
それにしても最初に出会ったと思ったところはどこだったのだろう?
「私は萩に行ったことはないわ。雰囲気や写真では見たことあるんですけど、似たような街にも行ったことはないわね。他人の空似じゃなかったのかしら?」
と言われて、頷くしかなかったが、それにしてもよく似ている。
「八年も雰囲気が変わっていないというのもおかしいわね。私はこの八年間で結構変わったつもりなのよ」
と苦笑いを浮かべたが、その苦笑いの奥には、
――これでも苦労をしているのよ――
と言わんばかりの表情が浮かんでいた。
さすれば、八年前に出会った彼女に感じた「大人の雰囲気」は、きっと苦労を重ねたことから滲み出ていたものに違いないであろう。
私にとってこの八年が何であったか思い返してみる。
――そういえば何もない八年ではなかったか――
仕事ではいろいろなセクションを動いて、一から覚えなおすこともたくさんあって、かなり大変ではあった。おかげで、広く浅くいろいろなことを経験しているが、一つのことを深く経験している人にも決して負けない気ではいる。
「俺はお前には負けないぞ」
いろいろなセクションに行くたび、特に同期入社の連中からは言われてきたが、負ける負けないとは次元が違うのかも知れない。確かに誰にも負けないという気概は持っているが、最近では、勝ち負けを度返ししているところがあることに気付いていた。
仕事の合間には趣味として旅行に出かけることもあった。
誰かを誘うわけでもなく、一人旅である。
そろそろ三十歳を迎えようとしていることもあって、趣味として旅行に出かけるのも潮時ではないかという考えもあった。
一人旅には年齢を感じることが多い。一人で旅していると、虚しさを感じずにはいられない。人と旅しているよりも自由で、何よりも出会いを期待することができるのが最大の醍醐味のはずなのだが、寂しさに勝てないのも事実で、最後の日などは、年齢を感じてしまうのだ。
三十歳ともなれば、きっと一人で旅するには一番年齢を感じるに違いない。実際に結婚を考えてもいい歳になっているはずだからである。
もしこれが四十歳を過ぎての一人旅であればどうだろう?
結婚生活にも落ち着きを見せていて、一人の時間を逆の意味から楽しめるかも知れないと思っている。しかし、実際にはもう少し年を取らないと落ち着いていないだろうとも思えるが、十年後の自分がどうなっているかを思うと、楽しみなようで不安でもある。二十歳代後半から三十歳前半に至るまで、この間をいかに過ごすかがこれ以降の自分を占うに大切なのだろうと思う今日この頃であった。
出会いにとってのタイミングを感じるのはそんな時である。
旅行先で出会った人もいるが、彼女たちと旅行から帰ってきて、どこかで再会を約束したりしたこともあるが、雰囲気が違っている。
旅行先で見せた表情も、その時の雰囲気も、再会した時のそれとはまるっきり違っている。
完全に緊張していて、まるで見合いの席に借り出されてしまったようで、借りてきた猫のような雰囲気になっている。
「旅の恥は掻き捨て」
というが、きっと気持ちの上で他の土地に行くとすべてが開放されたような気持ちになっていたからに違いない。胸のうちを開放したところに魅力を感じていたのに、自分の生活範囲に戻ってしまうと、急に萎縮してしまう。
――守りたい――
作品名:短編集109(過去作品 作家名:森本晃次