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短編集109(過去作品

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 確かに躁鬱の気がないわけではない。何をしても面白かったり、その時であれば何をやってもうまくいきそうな時期というのはあるからだ。
 元々が自信過剰なところのある恵美である。
――私には何でもできるんだ――
 歳相応のことであればなんでもできそうに思える時期というのは、他の人にもあるかも知れない。だが、それを自分で気付くか気付かないかで、その人の生活が変わってくるだろう。
 普段から自分のことを見直そうとしない人に限って、躁鬱はない。ただ平凡に過ごせればいいと考えている人のどこが楽しいというのだろう。恵美には分からなかった。
 それは親を見ているから感じること、父親などを見ていると、何が楽しいか分からないし、母親を見ていてもそうだった。
 だが、都会に出てきての母親は違う。いつも楽しそうで、ただ、時々頭痛薬を重用していた。
 時々何かに悩んでいる光景を見かけるが、その後には決まって楽しくて仕方がない時期がやってくる。そんな時の母親を見るのが好きだった。
 だが、兄はそうではないようだった。母の楽しそうな姿を見ていて、いつも苦虫を噛み潰したようにキッと口を結んで、何か言いたげなのは分かっているが、口にしようとはしない。そんな兄を見ていて少しじれったさを感じるが、それもきっと兄の優しさから来ているに違いない。
 母が頭痛で苦しんでいる時、兄は真剣に悲しそうな表情をする。見下ろしているように見えるその表情には同情が一番多く含まれているように思えてならない。
 実際にそうだろう。苦しそうにしている母親を介抱しているところを何度も見た。哀れみにも似た表情で介抱している。そんな時に兄の優しさを感じるのだったが、最初は同じ母を見ていてどうして苦虫を噛み潰したような表情になるのか不思議で仕方がなかったが、兄には兄の考えがあるはずだと思っていたからこそ、苦しんでいる母を見ていて、自分が辛くならなかったのかも知れない。
 鬱病のようなものだと考えればすぐに治るのは分かっていた。一過性のものであれば、それほど心配するものではない。特に女性には一ヶ月に一度一過性の苦痛が待っているのだから。
 時期も似ているのかも知れない。
「ごめんね、お母さん少し横になる」
 兄の敷いてくれた布団に横になって、その日はそのまま夜が更けるのだが、そんな似の夕食はいつも恵美が作ることになる。
 その日の家庭はまるで火が消えたように寂しい。普段からあまり会話が頻繁なわけではないが、その日だけはまるで通夜のようだ。誰もが何かを話したいと思っているにも関わらず、喋ってはいけないという雰囲気が滲み出ているだけに、それぞれに辛いのではないだろうか。
 あくまでも恵美の考えであるが、兄も同じことを思っているかも知れない。そんな日に限って夕食の時間が長く、一生懸命に食べているのに、なかなか減ってくれない。そんな気分が二日以上続くと、きっと辛く感じるに違いなかった。
 そんな日に、恵美も寝る前頭痛を感じる。
 頭痛薬を飲んで寝るのだが、薬の減りが多いことに気付いたのは、しばらく経ってからだった。
 最初は母が飲んでいるのだろうと思ったが、頭痛薬は一度飲んだら、数時間開けないといけない。効果がないだろうし、あまり飲みすぎるとそのうちに慢性化してしまうのが恐ろしい。
 そんなことは母はよく分かっているはずだった。では一体誰が?
――お兄さんかも知れない――
 もう後は兄しかいない。しかし、食事の時間無口で重たい空気に支配されてはいるが、頭痛薬を飲むほどの苦痛を感じることはない。
――そう見えるだけなのかしら――
 恵美にしても、自分は普通に接しているようにしていた。重たい空気を感じながら、その間に頭痛が襲ってくるのだった。
――兄も同じなんだ――
 兄妹は似るというが、そのとおりである。
 こっそり飲んで自室に閉じこもる。部屋に閉じこもってしまえばなかなか出てくることはない。高校生なのだから、音楽を聴いているなどしてもう少し部屋がうるさくてもいいのかも知れないが、兄の部屋から音楽が漏れてきたことは今までにない。何をしているのか不安に感じるくらいだ。
――田舎にいる頃に比べて変わってしまった――
 兄を見ていて寂しさを感じる恵美だった。
 田舎にいる時はあれだけ優しかった兄ではないか。それがあまり顔を合わさなくなった。時々目が合うと、兄の方から視線をそらしている。どこか気に入らないのかと思ったが、実はそうでもないようだ。
 どうやら、兄は恵美のことを女性として意識していたようだ。
 兄には都会に出てきてからしばらくしてガールフレンドができたようだ。
 彼女は都会の女の子にしてはあまり垢抜けしていない女の子で、表情もおさな顔。いつも何かに怯えているような女の子だった。
 家に連れてくることもあった。
「こんにちは」
 恵美が気さくに声を掛けると、
「こんにちは」
 と、恥ずかしそうに返事を返してくる。どちらが田舎者か分からないほどだ。
 学校では自分が田舎出身であることを、いまだに気にしている時期だった。都会の女の子は皆垢抜けているということを意識せざるおえない状況だったのに、兄のガールフレンドのおかげで、彼女にだけはそんな負い目を感じることがなかったのである。
「何となくお前に似ているんだ」
 ガールフレンドをバス停まで送っていったようで、その帰りにちょうど反対方向からあるいて来た恵美が、兄を見かけて声を掛けたことがあった。ちょうど塾の帰りで、恵美にはまだ鬱病の意識がなかった頃でもあった。
「お兄さん、どうしたの?」
 少し寂しそうな表情をしていた。
 バス停にいるということは彼女を見送りに来たことに間違いはなく、直感でそのことに気付いた恵美だったが、寂しそうにしている兄の表情がどこか上の空だったことが不思議だった。
 田舎にいる頃と違って、時々寂しそうな表情をするようになったことに気づいてはいたが、それも家にいる時だけ、表に出ても同じように寂しそうな表情をしている兄の姿を想像したこともなかったし、できることなら表で兄のそんな表情を見たくなかったのが本音である。
――都会に出てくると、皆臆病になるのかしら――
 母親にしても兄にしてもそうである。
――私は――
 その時まで躁鬱を意識したことがなかったが、そう感じたことが、自分の中で躁鬱を意識し始めるきっかけだったのではないかと感じるのは何とも皮肉なことであった。
 田舎での生活が今さらながらに脳裏をよぎる。
――優しかった兄、いつも同じ表情しか見せなかった母――
 都会に出てきてからの変わりようを思い出しているうちに、自分のことを考えているが、それは自然な成り行きだった。
 田舎では季節の変わり目に、よく葬式をやっていた。狭い街なので葬式があれば、街全体が異様な雰囲気に包まれる。
 人が亡くなると悲しいものなのに、通夜の時には皆で集まって酒を酌み交わし、夜を徹して騒ぎまくることが、子供の恵美には分からなかった。中には酒が呑めると言って喜んでいるような不謹慎な人もいた。しかし、それを誰も諌めようとはしない。
作品名:短編集109(過去作品 作家名:森本晃次